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Execute.77:Telescope Lovers./追想、傷跡と追走

 そんなこんなのちょっぴり鍋パーティから暫くが経った、そんなある日の休日の話だ。

「カイト、もう少しで着くかな?」

「もうすぐそこだ」

「そっか♪」

 この日も戒斗はエマを横に乗せ、昼下がりの街に車を走らせていた。まだまだ肌寒い北風の吹き付ける、しかし日差しだけはぽかぽか陽気で穏やかな街の中を、唸るような低い獰猛なサウンドと共に抜けていく。

 とはいえ、この日は普段乗りで使い倒している、昔馴染みの真っ赤なスバル・WRX-S4ではなかった。快適な黒い革張りな電動のサイドシートにちょこんと埋まる彼女の瞳みたいに真っ青な色をしたボディと、その中心をノーズから尻まで突き抜ける二本のレーシーなストライプ。そしてドデカい図体に左ハンドル仕様なんてザ・アメリカンな出で立ちのソイツは、2017年式のフォード・マスタングだった。

 フォードの日本市場撤退と共に半ば幻と化した最新型マスタングだが、しかも戒斗が平気な顔で走らせるコイツはただのマスタングではない。嘗てのシェルビー・アメリカン社が生み出した伝説のカスタム・モデル、シェルビー・マスタングGT350の名を冠したハイエンド・モデルの"マスタング・シェルビーGT350"だ。

 レーシング・ストライプの走る蒼いボンネットの下で脈動し続けるのは、排気量五・二リッターのDOHC/V8ハイパワー・エンジンだ。この過給器全盛の時代に未だ自然吸気でハイパワーを保つコイツの最大出力は五二六馬力、そしてトルク数値に至っては五九・三キロにも至る。そこに更に戒斗の手で小改造が加えられているから、その実力の程は計り知れない。ミッションが六速のマニュアル式なのは少しばかり面倒に感じるが、普段のWRX-S4を遙かに凌ぐ実力であることには間違いない。

 十九インチのタイヤが切り刻む路面のギャップを、交換品のオーリンズ製ショック・アブソーバーが確かに受け止めているのを、右手だけを添えるステアリング越しに感じる。外見のほどはテールランプを国内の車検対応品に替えたぐらいだが、しかし内に秘めたパワーは並みのアメリカンとは比べものにならない。隠していてもボディの端から滲み出る雰囲気が、それを如実に現していた。

「…………」

 戒斗が走らせる、そんな獰猛なマスタング・シェルビーGT350は、エマと共に日本に戻り、そして日々谷警備保障に黒沢鉄男として入社してから新たに購入したモノだった。米国からの個人輸入は少しばかり骨が折れたが、しかしそれ以上に戒斗はパワーのあるマシーンを欲していたのだ。

(思い出すだけでも、嫌な思い出だ)

 ――――嘗て、一度だけ追跡を振り切られたことがある。

 大滝が日々谷警備保障に入った直後のこと、貴士と二人で新入りの大滝をフォローしつつ仕事をした時のコトだ。一九〇センチぐらいの巨体をした外国人の男と出逢ったことがある。顔にデカい傷が二つあり、左の頬には火傷の跡。白髪か銀髪みたいな髪をしていて、そして金色の瞳をした大男だ。典型的なスカー・フェイスという奴だったが、あの大滝を圧倒するほどの実力だったことは今でも覚えている。

 最後の最後で貴士と共に合流した戒斗は、ボロボロの大滝を貴士に任せ、逃走するそのスカー・フェイスを追いかける役目を担うことになった。その時も乗っていたのはいつものWRX-S4で、そしてスカー・フェイスの車は酔狂なことに、1970年式のシボレー・シェベルSSだった。酔狂にも今の戒斗のマスタングと同じように白のレーシング・ストライプをボディに這わせていたから、今でも覚えている。

 思い返せば、アレは並みのチューンドじゃなかった。かなり長いこと追いかけていたが、しかし結果的に戒斗とWRX-S4は振り切られてしまった。フルスロットルで時速二四〇キロぐらいを越えたぐらいにCVTの方が悲鳴を上げ、自動的にセーフモードに入ってしまったのだ。その時のCVTフルードの油温、確か一二〇度近くだったと記憶している。仮にセーフモードに入らなかったとしても、チェーン駆動のミッションはいつか耐えきれずに吹き飛んでいただろうと今になって思う。

 完全にマシーンの差での敗北だった。ドライヴィング・テクニックの方では決して劣っていない。圧倒的な排気量の差と、そして駆動系にドデカい爆弾を抱えていたが故の敗北。これがもし、父親から受け継いだZ33初期型の日産・フェアレディZであったのならば、決して負けはしなかっただろう。……尤も、アレは今となっては行方知れずになってしまったが。

 その悔しさもあって、戒斗はこうして過剰なまでのパワーを生み出せるマスタング・シェルビーGT350を購入したというワケだ。海外暮らしが長かったこともあり、幸いにして左ハンドルにも慣れている。右ハンドル/左側通行が原則の日本国内では少しばかり取り回しが面倒だが、まあそこは経験と慣れで誤魔化していく。

 ただでさえハイパワーのマシーンに、更に手を入れてあるのだ。加えてハリー・ムラサメ直伝の防弾加工も施してある。次は負けはしない……。戒斗にはその自信があった。

(そういえば、あの男)

 ……ここからは余談だが、後にその男に関して戒斗は独自ルートを使って、取り逃がしたスカー・フェイスのことを調査した。残ったパイプを使い旧C.T.I.Uのデータベースを漁ったりした結果、あの男のことはすぐに判明した。当然だった。あんな目立つ風貌をしていれば、調査は簡単だった。男は戒斗の見立て通り――というより、あの現場に居たのならば当然――裏稼業の人間だった。

「ヴィンセント・W(ウォーレン)・ストラウス……」

 その名を、戒斗は傷だらけの風貌とともに胸に刻みつける。いつかもう一度出くわす機会があれば、今度こそ逃がしはしないと。今度こそ、自分の手で撃墜(オト)してやると…………。

「カイト、何か言った?」

 いつの間にやら、無自覚の内に戒斗はあの男の名をボソリと小声で呟いてしまっていたらしく、それを気掛かりに思ったエマがきょとん、と首を傾げながら訊いてくる。戒斗はそんな彼女の方にチラリと横目を向けて「なんでもない」と言うと、

「それより、もうそろそろ到着だ。買うものは覚えてるよな?」

「あ、うんっ。ちゃんとメモしてあるからね、そこは抜かりないよ」

「なら結構」

 ステアリングを切り、柔な日差しを反射する蒼のボディを滑るように、とある場所の敷地内へとその鼻先を突っ込ませた。

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