Execute.71:SIX RULES/六つのルール、それが男の信ずる正義①
日々谷本社ビルの地下に停めていた私物の真っ赤なスバル・WRX-S4を飛ばし、メモ用紙に記されていた住所を打ち込んだカーナビの指示に従うがままに戒斗が辿り着いた先。それは街外れの方にある一件の白い戸建てだった。
一階部分が丸々ガレージになっていて、シャッターが下りたガレージ部分の上に家が建っているような感じの趣だ。二階部分の玄関口には外階段を昇って入れるようになっていて、その近くには「五条探偵事務所」と小さな立て札が吊り下がっている。どうやら此処で間違いないらしいと戒斗は認めれば、一見すると戸建て家屋のような事務所の前にWRX-S4を堂々と横付けし、下りてその玄関口へと向かうことにした。
吹き付ける冬風はまだまだ寒く、車の外に一歩出た途端、凍えそうなぐらいの冷気が戒斗の頬を撫でる。ふぅっと白く染まる吐息と共に身を震わせつつ、戒斗はフォーマルシューズの靴底をコツコツと鳴らし、外階段を昇ってその玄関先にまで昇っていった。
「…………」
人差し指でインターフォンの呼び鈴を鳴らす。一分にも満たない間をクソ寒い北風の吹き付ける玄関先に突っ立って待っていれば、漸くガチャリと内側から扉が開かれた。
そして、開かれた扉の向こう側から現れた人物の顔を一目見るなり――――戒斗も、そして出てきたその男ですらもが、互いに互いの顔を見て絶句した。
「……ハリー?」
「そういうアンタは、カイトか……!?」
現れたのは、彫りの深い男前な顔立ちの、長身なアジア系の男だった。黒い前髪を大きく掻き上げたオールバック・ヘアの下に見える双眸は鷹のように鋭い目付きをしていて、それでいて着こなすのはアルマーニ辺りの高級イタリアン・スーツだ。今でこそスーツジャケットを脱いで上はワイシャツだけ、しかも襟元もネクタイも緩めて袖は捲るというだらしのない格好だが、しかしそんな彼の姿も相変わらずだった。
――――ハリー・ムラサメ。
嘗て西海岸で共に修羅場を潜り抜けてきた懐かしい顔と、どうやら意外なところで出くわしてしまったらしい。
思い返してみれば、奴の本名は確か五条晴彦だった。確かにそれなら事務所名が「五条探偵事務所」なのも納得だが、L.Aに居た頃からハリーを本名で呼ぶことなんてほぼ無かったせいで、彼の本名がどんなものかだなんて今の今まで忘れてしまっていた。最初に渡されたメモに記されていた事務所の名前で戒斗が気付けなかったのも、そういう事情があってのことだ。
お互いに戸惑いつつも戒斗が通されたのは、そのまま玄関を潜った先にある二階部分の事務所だ。来客の多い探偵事務所が故の性質なのか、はたまたハリーが国外での暮らしに慣れきっているせいなのか。どちらにせよ、靴を脱ぐ必要の無いアメリカン・スタイルなのは楽で良い。内装も板張りの床に渋い調度品たち、高い天井にはシーリング・ファンまで回っているような、そんな落ち着いた雰囲気が漂っている。恐らくはハリーのものと思われるマボガニー材のデスクには何故かタイプライターなんて置かれている辺り、まるでレイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説の中に迷い込んでしまったかのような錯覚を戒斗に覚えさせる。
「まるでフィリップ・マーロウだ」
そんな事務所の中、ハリーのデスクのすぐ前に置かれた応接用の黒い革張りソファに深々と腰を落とした戒斗は、ハリーの淹れてくれたインスタントの珈琲を飲みつつ冗談っぽいことを口にする。するとハリーは「ああいうのは、ガラじゃない」と同じく冗談っぽいことを頬を綻ばせながら返すと、
「煙草、吸うか?」
ハリーは戒斗に向けて、自分の胸ポケットから取り出したマールボロ・ライトの紙箱をスッと差し出してきた。
「悪いが、俺は基本的に吸わないんだ」
気持ちだけ受け取りつつ、しかし戒斗がそれをやんわりと断ると。ハリーは「そういえば、アンタはそうだったな」と思い出したみたいに頷いて、自分だけマールボロ・ライトの煙草を口に咥えた。
カチンとジッポーが鳴れば、仄かな紫煙の香りが事務所の中を漂い始める。懐かしい香りだ。確か彼の師匠だったクララ・ムラサメも、同じ銘柄の煙草を吸っていたはずだ。子供みたいに小さな体格と容姿に、ゴシック・ロリータっぽい服の裾を揺らす彼女の、すみれ色の髪の下に垣間見せる皮肉っぽいクールな表情を思い出せば、戒斗は思わず表情を綻ばせてしまった。
「そういえば、クララはどうしてる?」
思い出した流れで戒斗が訊いてみると、ハリーは煙草を吹かしながら「分からん」と首を横に振る。
「"スタビリティ"の一件でゴタゴタしたんだが、今は結局行方不明に逆戻りだ」
「"スタビリティ"だと?」その単語が引っ掛かった戒斗がハリーに訊き返す。「あの一件に、ハリーも何か関わってるのか?」
「関わってるも何も、奴らのせいで酷い目に遭ったんだ」
それから、ハリーは簡単にだが説明してくれた。彼がとある少女の護衛依頼から発展して、あの巨大犯罪シンジケート"スタビリティ"そのものを相手にする羽目になってしまったことを。護衛に当たっていた少女の通っていた学園も襲われ、今は何とか回復したものの年度いっぱいでの廃校が決定。そしてその少女の両親が開発した新世代の衛星利用型諜報システムにまつわる戦いについてを……。
「結果として何とかなったが、事務所は半壊。その上俺のインプレッサは火星まで吹っ飛んじまったんだ。全く割に合わない仕事だった」
「全くだな」肩を竦めるハリーに戒斗が苦く笑い返す。「で、その時にクララが?」
「ああ、"スタビリティ"に雇われてた」
ハリーの話を聞く限り、どうやらクララ・ムラサメはハリーと敵対した"スタビリティ"の傭兵として雇われていたらしかった。尤も、"スタビリティ"のボスだったユーリ・ヴァレンタインのやり方に着いていけず離反し、最終的には逃走を図ったヴァレンタインの乗っていたプライベート・ジェットを手ずから地対空ミサイルで撃墜したらしいが……。
「それから先は、まるで行方知れずってワケだ」
曰く、そういうことらしい。出来ることならば彼女とも久し振りに顔を合わせてみたかったが、どうやらそれは不可能なようだ。ハリーでさえ行方を知らないんじゃあ、連絡を取る手段はないに等しい。
「それよりカイト、アンタの方はどうしてまた、日々谷なんかに?」
「どうして、俺が日々谷の使いだと分かった?」
「事前に連絡貰ってたからな」と煙草の灰を灰皿に押し付けながらハリーが言う。「俺に依頼があって来た、そうだな?」
「そういうことだ。……依頼内容はこの中に纏めてある」
戒斗が例の茶封筒をテーブルの上に滑らせると、ハリーは「承知した」と言ってそれを受け取り、中身を改める。
「……因果なものだな、カイト」
すると、中身の――恐らくは浅倉と暁斗に関する資料を見つけたハリーが神妙な顔で呟くものだから、戒斗も「全くだ」と大袈裟に肩を竦めた。
「話が出てきた時はヒヤッとしたぜ。危うくボロを出しかけた」
「そういえば、さっきの話をぶり返すようで悪いが。……アンタほどの男が、何故日々谷なんかに飼われてるんだ?」
「それには、ちょいと込み入った事情があってな――――」
そうして、戒斗がL.Aでハリーたちと別れた後の経緯をザッと話してやろうと口を開き掛けた時だった。遠くから聞こえる二ストローク・エンジンの軽快なサウンドが近づいてきて、事務所の前までやって来たのは。
「っと、今日は早いな……」
すると、ハリーは意外そうな顔でその音に聞き耳を立てる。明らかに古いバイクのようなその音は事務所の前で止まると、シャッターを開いたガレージの中へと入っていく。音だけでも、戒斗はそれを何となしに理解していた。
「知り合いか?」
「そんなところだ」
そうしている内に、トントントンと下から階段を昇る音が聞こえてくる。どうやらガレージと直通の内階段があるらしく、そこを昇っているのだろう。
「ハリー、居るかしら?」
とすれば、ガチャリと内扉が開かれて。その向こうから勝手知ったる顔で現れた少女の、清流の如く透き通った声の音色が事務所の中に響き渡った。




