Execute.69:All Alone with You./君と僕の背負う罪と罰
戒斗――いや、黒沢鉄男が日々谷警備保障に入社して少ししてから、社員の数は次々と増えていった。主にあの社長のせいで、だ。
最初に現れた新入社員は、伊能千鶴と大滝菊之丞の圧倒的パワータイプ二人組だ。それから自称ニンジャの謎めいた男・四葉英治に、掴み所の無い飄々とした古郡保。そして最近になってみれば、(どうみても中学ぐらいの歳だが)自称十九歳の荒城伯と、クソ生意気な大勢待吹雪なんて奴までもが増えた始末だ。
そんな具合に今現状みたく役者が出揃うまで、戒斗は既に幾らかの年月を日々谷警備保障の社員・黒沢鉄男として過ごしてしまっていた。事前に葉月に聞かされていた通りにヤバい仕事ばかりだったが、しかし今までのことを思えば、戒斗にとっては児戯としか思えないぐらい楽な仕事ばかりだった。黒沢鉄男を演じる為に力を意図的にセーブしていても、その上でも楽な仕事が多かった。
それでも時折、分からなくなることもあった。己が戦部戒斗なのか、はたまた黒沢鉄男なのか……。素性である前者としての己と、経歴を覆い隠す為の仮面である後者。それぞれが胸の内で混ざり合い、時に戒斗は本当は自分がどちらだったのか、分からなくなることがあった。何度エマに助けられたのかも分からない。混乱した自分を彼女が落ち着かせてくれたからこそ、とりあえずは未だに黒沢鉄男を演じつつ、しかし戦部戒斗としての確たる己を戒斗は維持できていた。
仮面を被り偽りの男を演じながら、しかし内に確かな己自身を確立しつつ。そうして戒斗が日々谷で過ごす月日は加速度的に流れていく。時系列は、漸くの回帰を迎えることになるのだ――――。
「ん……?」
気が付けば、戒斗はいつの間にか横になっていた。確か先程までソファで読書に没頭していた筈なのに、気が付けばこうして横になっている。今居る場所こそリビングのソファで間違いなかったが、しかし窓から差し込む陽の光は明らかに茜色で、かなり西の方に傾いた夕刻時になっていた。読書をしていた時は、まだまだ昼下がりといった頃のはずなのに。
「……あ、カイト。眼が覚めた?」
とすると、上から彼女の――エマ・アジャーニの声が降ってくる。声のした方に戒斗が虚ろな視線を向けてみれば、見慣れすぎたリビングの天井を背景に見下ろすエマの柔らかく微笑んだ顔と、そして上半身が視界の中に映る。頭を預けている辺りが妙に収まりの良い、ほどよい弾力のあるふんわりと暖かな感触がするのを思うに、どうやら戒斗はエマの膝に頭を預けて眠りこけていたようだった。
「俺、寝てたのか?」
「うん。本読んでる最中に。……よっぽど疲れてたんだね」
「今日は疲れるようなこと、無かったんだけどな……」
本当に、今日は何もしていない。朝からだらだらと事務所で雑誌を読んでだらけていて、やった仕事といえば報告書に始末書のセットを仕上げることと、禅の推理を手伝ったこと。そして後は、例の私立仙石寺大学・付属高等部に潜入している兎塚の元へ、狙撃ライフルやら仕事道具一式を届けた程度だ。普段のことを思えば、給料泥棒と罵られてもおかしくないぐらいに何もしていない。
それなのに、何故眠ってしまうほどに疲れていたのだろうか。黒沢鉄男を長く演じすぎたからなのか? 確たる理由は分からないが、とにかく現実として戒斗は眠ってしまっていたらしい。時間にして、二時間か三時間ぐらいだろうか。
「哀しい夢、視てたの?」
戒斗が思案を巡らせていると、すると上からまたエマの声が降ってくる。戒斗はそれに「……まあな」と軽く頷いて、
「昔のことを、思い出してた」
「昔の……カイトが僕と出逢う前の?」
「そうなるのかもしれない。子供の頃、浅倉の飛行機事故が起きてから今日までのこと。C.T.I.Uが壊滅して、リサも優衣も遥も死んで。独りでクリムゾン・クロウを叩き潰し、自暴自棄になった俺がフランスで君と出逢った時のこと。日本に来てからや、北米でハリーたちと逢ったこと。香港のことや、日々谷に入るまでのこと……。
…………なんでだろうな。今になって、こんな夢を視るだなんて」
独白するようにポツリ、ポツリと戒斗が呟けば、エマはそんな彼の頬をそっと指先でなぞる。いつの間にか瞳の端から滴っていた一筋の透明な雫が、彼女の白く華奢な指先に触れた。
「カイト、やっぱり疲れてるよ」
そのまま指先で戒斗の頬をなぞり、掌で優しく撫でたりなんかしながら。そうしながら、エマは言う。まるで赤子をあやすように優しげで、それでいて何処か一抹の哀しさも裏側に織り交ぜた言葉を。
「疲れてる……? 俺が……?」
うん、とエマは指で頬を撫でながら頷く。
「少し、無理をしてるように見えるんだ。僕の眼からは、最近の君はひどく無理をしてるように見える」
「無理をしてる、か……」
その通りかもな、と戒斗は思った。正直言って、黒沢鉄男を演じるのも段々と辛くなってきている。日々谷の社員連中と深く付き合っていく内に、段々と仮面と本来の自分との乖離が激しくなってきたような気がして。そのせいで、段々と戒斗は辛さを感じてしまっていたのだ。
――――いつかは、裏切らなければならない相手なのに。もしかすれば、殺さなければいけない彼らなのに。
「カイトはさ、もう少し楽になっても良いんだ」
胸中で複雑な思いを巡らせていれば、エマが柔らかな物腰で言った。窓の外から注ぐ夕陽に、金糸みたいなプラチナ・ブロンドの短い髪を透かして。アイオライトみたいに蒼く透き通った瞳から、優しげな視線を膝の上の戒斗へ注ぎ下ろしながら。
「君一人で、罪を背負いすぎないで」
「俺、独りで……?」
うん、とエマはやはり戒斗の頬を撫でながら、小さく頷いた。
「別の彼の仮面を被り始めてから、君はやっぱり無理をしてるような気がするんだ。それがやるべきことなのか、どうなのか。それは僕には分からないけれど……。
……でもね、カイト。独りきりで抱え込むようなこと、しなくて良いんだよ?」
「…………」
「多くを喪いすぎた君だけど。何もかもを失って、独りきりで戦ってきた君だけど。
…………それでも、今のカイトは独りじゃない。君の傍には、僕がいる。僕はずっと、ここにいる」
「俺は……」
「何でもかんでも独りで抱え込みすぎるのは、君の悪い癖だ」
「悪い癖、か……」
確かに、その通りかもしれないなと戒斗は思った。前にリサや凛子、優衣やレヴィ、それに遥にだって言われたことだ。それなのに、未だに直せていない。寧ろ昔より酷くなっているのかも知れないと思えば、戒斗は顔に浮かぶ自嘲じみた哀しい笑みを抑えられなかった。
「君の罪は、僕の罪でもあるんだ。だから僕にも背負わせて、手伝わせて欲しい。……君独りで背負う必要なんて、ないんだから」
「それでも、俺は」
「分かってる」
エマは言いながら腰を折り、自分の顔と胸とを膝の上に寝転がる戒斗の顔に近づけた。まるで、大事に卵を抱え込む親鳥のように、深く深く胸の内に収めるみたいに。
「分かってるよ、君のことは全部。……何も言わなくていい。これ以上、言葉なんて必要ない。
でも、これだけは覚えていて。僕だけは君を裏切らない。僕だけは、君の前から居なくなったりしない。……僕だけは、ずっとここにいる。ずっと、君の傍にいるから」
胸に刻みつけるような、そんなエマの言葉。何故かは分からないが、それで戒斗は少しだけ肩の荷が下りたような気がしていた。
「……そうか」
だから、今だけは埋もれていよう。この緩やかな安息の中に、暖かな温もりの中に。包み込む彼女の優しさの中に、今だけは揺蕩っていようと……。
そう思い、戒斗はフッと瞼を閉じた。今だけは、包み込んでくれる彼女の白い羽の中に埋もれていたかった。今だけは、エマの柔らかな優しさの中に漂っていたかった。
ただ、時計の秒針だけが緩やかに刻を刻んでいく。二人の束の間の安息を阻害する者は誰一人として存在せず、ただ暮れゆく茜色の夕陽だけが、物言わぬままに二人を見守っていた。




