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やがて降る雨、それは復讐という名の雨  作者: 黒陽 光
冬の日、束の間の休息
59/279

Execute.59:聖なる日の前には一抹の銃火を添えて

 そして年は明け、穏やかな年始を過ごし。一月も終わりがけといった頃になれば、戒斗はエマを連れてセーフ・ハウスの地下にある射撃場をよく訪れるようになっていた。前々からエマにも暇を見ては射撃を教えるようにはしていたが、今年からは本格的にやろうということにしたのだ。

 地下の射撃場は本当にちょっとしたもの程度だが、しかしそれでも五十メートルのレンジは確保している。人気(ひとけ)の少ない一帯に、それこそアメリカ並みの敷地の家という状況を大いに活用した造りだ。これならば拳銃射撃はもとより、ちょっとしたライフルトレーニングも出来る。流石はリサ、抜かりはなかったというワケだ。

「うーん……こう?」

 そんな射撃場の中、幾つも仕切られたブースの内ひとつに戒斗とエマが並び立っていた。二人とも耳にはイヤーマフ(軍用ヘッドホンのような大型の耳栓)を着けていて、そしてブースの前に立つエマの手にはベレッタ・モデル92FSの自動拳銃が握られている。

「そうだ」と、銃把を握るエマの手に自分の指先を這わせながら、戒斗が頷く。

「エマ、確か左利きだったよな?」

「うん」

「なら、持ち方はそれでいい」

「カイトも左利きだったっけ?」

「元はな」と、戒斗。「でも俺は両方で使えるようにしてる。基本的には右で撃ってる感じだ」

「じゃあ、僕もそうした方が……」

 エマはそう言って右手に銃把を持ち替えようとするが、しかしそれを「君は素直に利き腕でやれば良い」と、戒斗が制する。

「俺は仕事上、両利きなのがベストだっただけだ。お陰で拳銃は左眼で狙う羽目になってる……。俺が構えるとき、よく銃を斜めに倒すだろ? アレ、そもそも効き眼も左だからなんだ」

「右でも使えた方が良いの?」

「まあな」頷く戒斗。「基本的に、銃って物は多数派の右利きを前提として作られてる。それはレフティ・シューターが多くなった今でも基本的には変わらない。それにブルパップ式のライフルなんかを拾っちまった場合、元の持ち主の利き腕と同じ方じゃないと、そもそも薬莢が顔に当たってマトモに撃てないんだ」

 その通りだった。戒斗の言うように、ブルパップ式――弾倉の挿入口を初めとした機関部が、銃床の部分にあるタイプのライフルだと、設定された排莢方向と逆手で撃てば空薬莢が顔に当たってしまうのだ。例えば右利きの射手だと薬莢の排出も右側に設定するが、これを左で構えてしまうと、薬莢の排出方向は右側のまま。つまり銃床に頬付けした顔面に熱々の空薬莢が激突してしまう、というワケだ。

 ちなみに余談だが、戒斗の元が左利きであるということはナイフの扱いにも現れている。左でナイフを振るうのが良い例だ。それに、投げナイフなり手榴弾なりを投げるときも、戒斗は左手で投げている。幾ら両利きシューターになれるよう訓練したとしても、根本的な部分は変わらないというワケだ。

「でも、エマの場合は事情が違う。君は俺みたいになる必要は無い。あくまで自衛のために扱うのなら、利き手でしっかりブチ抜けるようにした方がよっぽど有意義なんだ」

「そういうもの、なのかな」

「ああ、そういうものだ」

 そして、戒斗はエマに92FSを構えさせる。真っ直ぐ伸ばした左腕だけで構える、片手での撃ち方だ。

「拳銃の基本は片手撃ちだ。場合と個人差に寄っては両手より良く当たる。……試してみろ」

「分かった……」

 戒斗の指示に従い、エマは親指でスライド部分にある安全装置を解除。最初は撃鉄を起こさず、ダブル・アクションで撃ってみることにする。

 細く白い綺麗な人差し指が、そっと92FSの引鉄に触れる。ゆっくりと力を入れていけば撃鉄は独りでに起き、そしてシアが切れるタイミングで再び倒れた。

 ――――発砲。

 真鍮のカートリッジに充填されていたコルダイト無煙火薬が弾け、鋭い撃発音と共に銃口から眩い火花を瞬かせる。それにエマがあまり驚かないのは、既に何度も此処に足を運んでいるが故のことか。それとも、フランスで戒斗と共に何度もそういう場面に出くわしているからなのか……。

 だが、少なくともエマは怯まなかった。怯まないままに撃ち、華奢な左腕は9mmパラベラムの鋭い反動を上手く受け流し。そして撃ち放ったフルメタル・ジャケットの弾頭は、五メートル先にあるターゲット・ペーパーの中央から五センチほど左上にずれた場所に命中した。

「良い調子だ」その成果を見て、戒斗が褒める。「続けて撃て。弾が切れればスライドが開くから、それで分かる」

「うん、分かった」

 それからエマは、弾倉に残った残り十四発の9mmパラベラム弾を撃ち尽くすまで何度も92FSを発砲した。一発撃ち放つごとに徐々にコツを掴んでいったのか、バラバラだった着弾点は段々とターゲット・ペーパーの中央付近に集まってくる。最後の三発は中央サークルの近辺に三発ともが命中していた。

「ふぅ……っ」

 やがて弾倉内の十五発を全て撃ち切れば、92FSのスライドは引き切られたままの状態で停止する。ホールド・オープン。弾倉内のマガジン・フォロアーがスライド・ストップを押し上げることでスライドを引ききったままで停止させ、射手に弾切れを知らせる機構だ。

「終わったよ、カイト」

 そうすれば、エマは構えたままの格好で戒斗の方に振り向き、少しだけ疲れた顔で息をつきながらそう言う。戒斗は「良い腕だ、最初にしちゃあ悪くない」と彼女の頭を軽く撫でながら褒めてやる。

「えへへ……」

「撃ち終わったなら、弾倉を抜き、スライドを閉鎖。その後何回かスライドを引いて薬室確認。最後に空撃ちをして確認してから、それから銃口を正面以外に外せ」

 戒斗がザッと口頭で教えたのは、銃口管理だ。拳銃というものは軽く見られがちだが、例え.22口径の豆鉄砲でも当たり所が悪ければ即死を招く強力な武器だ。銃口の向きと装填状況、それを徹底して身体に染み込ませることから安全は確立される。本来ならホールド・オープンしていればそれで問題ないのだが、戒斗は敢えてそうさせることで危機管理を学ばせた。

「とりあえず、今日はこの辺だな。疲れたろ?」

「少しね……」安全確認をした92FSをブースの机に置きながら、エマが戒斗の方を振り向く。

「そういえばさカイト、もうバレンタインも近いよね」

「……言われてみれば、確かにな」

 言われるまでは、本当に失念していた。確かに二月十四日のバレンタイン・デイはもうすぐそこだ。節分を過ぎて暫くすれば、世の若い男女の待ちわびたイベントが訪れることを、しかし戒斗は完全に忘れてしまっていた。

「今年は僕が手作りしてみようと思うんだけれど、どうかな?」

 日本に来てからは毎年、そういう風習があると知るとエマは何かしらのチョコレートを戒斗にプレゼントしてくれていた。といっても忙しさにかまけていたせいで手作りしている暇もなく、ゴディバなりの市販品だったが。しかし戒斗としては、その気持ちだけでも十分すぎるぐらいのプレゼントだった。

 しかし今年は、手作りしてくれるという。戒斗は少し思い悩んだが、それに「良いな」と答えた。

「心配しなくても大丈夫だよ、爪とか入れるような真似はしないし、する必要もないからさっ」

 とすれば、エマは戒斗がポーカー・フェイスの向こう側に隠した一抹の不安を悟ったのか、ほんの少しの柔らかな笑みを浮かべながら、そして戒斗の手の甲を指でつんつんと突っつきながらで、悪戯っぽくそんな言葉を続けた。

 バレンタインの手作りチョコという物はありがたいことであるが、しかし貰った側からすれば何が入っているか分からなくて、たまったものじゃない。髪の毛や自分の爪、中には明確な言葉で書くのも憚られるようなものを中に練り込む女は決して少なくない。現に戒斗も美代学園に潜入していた頃、その類のトラップ入りチョコを、見ず知らずの同学年の女から幾つも渡されたことがある……。

 そんなトラウマがあるからこそ、手作りと聞いた戒斗は一瞬だけ思い留まってしまったのだ。エマはきっと、そんな戒斗の内心を汲み取ったのだろう。確かにエマは料理上手だし、そもそも彼女はそんなものを仕込むような姑息な真似をする必要はない。何せ、既に渡す相手である戒斗とはそういう関係なのだから。

「……分かってるよ。他はいざ知らず、エマなら信じられる。純粋に楽しみにしてるさ」

 だからこそ、戒斗はエマが作ってくれるという手作りチョコが純粋に楽しみになってきた。何も心配する必要が無く、まして料理上手のエマが作ってくれるのならば本当に楽しみに待つことが出来る。ある意味で、戒斗にとってはかなりの幸福だった。

「ふふっ、分かった♪」

 とすれば、エマはご機嫌そうな顔になって戒斗の手を取る。ぎゅっと握る両手は少しだけガンオイルっぽい匂いだったが、しかし悪い感じじゃなかった。

(人並みの幸せ、か……)

 こんな幸せを、果たして自分が享受して良いモノなのかは分からない。しかしエマの楽しげな顔を見ていると、それでも良いと思えてしまう。

 ――――犯してしまった罪は、自らだけが生き残ってしまった罪は、決して拭えない。

 しかし、それでも。それでも戒斗は、今の彼女との……エマとの幸せを噛み締めていようと思っていた。少なくとも、この瞬間は。

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