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Execute.50:a better tomorrow./夕陽之歌

 そして、香港で過ごす夢のような時間はあっという間に過ぎていった。

 戒斗はエマの望むがまま、彼女を色んな所へエスコートし連れて行った。香港島は勿論、九龍地区の方にだって。例のアインと別れたヴィクトリア・ピークにだってちゃんとした観光という形で連れて行ったし、香港島側の海岸線からヴィクトリア・ハーバーの夜景を眺めつつ、二人並んで愛を語らったりなんかもした。移動用のアシにしていたポルシェ・911カレラに何度給油したかも分からない。それぐらいに、戒斗はこの数日間を彼女を為だけに費やしていた。

 だが、そんな夢のような時間にもやがて終わりはやって来る。遂に香港で過ごす予定の最終日がやって来て、戒斗とエマはフォーシーズンズホテル・香港をチェックアウト。キャリーバッグなどの少しの荷物を引きつつ、夕暮れの中を香港国際空港へと向かっていた。

「楽しかったね、あっという間だった」

 ポルシェ・911カレラの隣に乗るエマの、窓から夕陽を眺めながらの言葉に戒斗は「ああ」と頷いてやる。いい加減聞き慣れてきた六気筒ボクサー・エンジンの低く唸るような音色を、しかし今だけは何処か名残惜しそうに奏でながら、911カレラは香港国際空港へと向けハイウェイをゆったりとした速度で流していく。

 カーステレオから流れるのは、相も変わらず現地ラジオで。そこから流れるのはアニタ・ムイの「夕陽之歌」だ。日本のアイドル歌手・近藤真彦の曲「夕焼けの歌」の広東語カヴァー・ソングで、彼女の代表曲のひとつ。そしてアニタ・ムイ自身が出演した映画「男たちの挽歌Ⅲ アゲイン/明日への誓い」の主題歌でもある。劇中では夕陽と共に印象的な使われ方をしていて、戒斗にとっても好きな一曲だった。特に今のように夕陽の中を流していれば、これほどに似合う曲もないだろう。

「エマ、また来たいか?」

「カイトと一緒なら、何度だって来たいよ。出来れば、仕事は無しの方が僕も嬉しいけれどっ」

「善処するよ」

 えへへ、と笑顔を向けてくれるエマと微笑みを交わしつつ、911カレラが香港国際空港へと近づいていく。アジアの一大都市・香港の新たなる空の玄関口にして、二人にとっては日常へ回帰していく扉である空港へと。

「……香港、何度来ても思い出深くなる街だ」

 過去の記憶を思い返しながら、そしてエマと過ごした香港での日々をフラッシュバックさせながら。戒斗はサングラス越しに行く先を見据え、ハイウェイをひた走っていく。全てが非日常のような戒斗の人生に於いて、しかしそれでも非日常的な、それでいてある意味でターニング・ポイントだった日々の終わりへ向かって。そしてその先へ向けてアクセル・ペダルを踏み込めば、911カレラが低い唸り声を上げて駆け抜けていく。そのガンメタリックの身体に、照らす茜色の夕陽を寂しげに反射させて。

「カイトは、楽しかった?」

 と、エマが問う。相変わらずシフトノブに置いた戒斗の左手に自分の掌を重ねながら、先を見据える彼の横顔をチラリと横目に見て。

「……色々あったけれど」

 そんな彼女の掌を、戒斗もくるりと裏返した左の掌でぎゅっと握り締める。互いの指を指を絡ませあい、何があっても決して放さぬようにと強く握り合う。

「楽しかったかな、俺にとっても」

「そっか♪」

 エマが向けてくれる、夕陽に負けないぐらいにきらきらとした笑顔。そして戒斗もその横顔に微かな笑みを湛えつつ、夕陽の中を走って行く。香港国際空港はもう目の前だった。





「――――やっぱり、此処に来たか」

 そうして香港国際空港に辿り着いた戒斗たちが手続きを済ませ、国際線の出発ロビーに入ろうとしていると。すると何処からか聞き慣れた声で二人はそう、背中越しに話しかけられた。

「……! アイン」

 振り向くと、そこに立っていたのはあの青年――アインだった。人混みの中で壁にもたれ掛かり、腕を組み。黒いポロシャツとジーンズに藍色のロングコート、そしてシューティング用の黒いサングラスといった出で立ちだったが、しかし立ち姿からして彼だと、戒斗もエマも一目で分かった。

「どうして、君が此処に?」と、エマが怪訝そうな顔で訊く。するとアインはフッと小さく笑い、

「異邦人がこの国を出るのなら、此処しか無いと思ったんだ」

 そう、何処かキザっぽい口調で答えてみせた。

「ずっと待ってたのか?」

「……マスターは死に、紅頭(ホン・タウ)はあのザマだ。要は職無しの暇人だからな、俺は」

「違いない」

 くっくっと笑う戒斗と、それに肩を竦めた自虐っぽい笑みを返すアイン。そんな二人の様子を眺めながら、エマまでもが小さく頬を緩ませていた。

「……行くのか、マーク」

「行くさ」と、戒斗。「俺たちには帰る場所がある。香港は世界一美しい街だけど、ずっと居るわけにはいかない」

「そうか……」

 すると、アインは少しだけ残念そうな顔をした。名残惜しそうに、出来れば香港に残ってくれと言わんばかりの顔で。

「いつか、また何処かで逢えるかな」

 しかしそれが叶わないことであることを分かっているからこそ、アインは敢えてそれを言わず。別の形でそう、名残惜しそうに二人へ問うた。

「逢えるよ」

「逢えるさ」

 それにエマと戒斗が、それぞれほぼ同時に頷いた。

「こうして、また俺たちと逢えたんだ。いつか何処かで、また逢える」

「そうだよ、アイン。僕たちならきっと、また世界の何処かでバッタリ逢えるさ」

「……また、世界の何処かで」

「ああ、世界の何処かで、また必ず」

 腕を組むアインに頷いてやりながら、戒斗はひょいっと懐から引っ張り出した何かを彼の方へ投げつけた。

「……ん?」

 それをアインは空中でバシッとキャッチし、開いた掌に視線を落とすと小さく首を傾げる。彼の手の中に収められていたのは、傷だらけになったいぶし銀のジッポー・オイルライターだった。

「餞別だ」と、ニヤリと戒斗は言う。「いつか、また何処かで逢えたら。その時に返してくれ。それまでソイツは、お前に預けておくよ」

「……良いのか?」

「構わねえよ、ソイツはお前が持ってる方が相応しい」

 その言葉の意味を、アインが理解することはなく。しかし戒斗は独り内心で納得すると、エマの手を引いて出国ロビーの方へと歩き出す。

「――――マーク!」

 遠ざかっていく二人の背中を、アインは呼び止めて。そして振り返った彼に向かって、こう叫んだ。

「いつか、また世界の何処かで!」

「……ああ、いつかまた、何処かで」

 人混みの中に紛れていく戒斗は、スッと胸ポケットから取り出したサングラスを掛け直す。最後に不敵な顔を残し、人混みの中へ消えていく。そうして人波の合間が再びアインの前に顔を見せれば、しかし既にそこに二人の姿は消え失せたように無くなっていた。最後に見せたサングラス越しの不敵な笑みを残し、まるで幽霊のように戒斗はアインの前から姿を消した。

「……いつか、また何処かで」

 劇終。より良い明日(a better tomorrow)を求め、こうして男たちは二度目の別れを迎える。今度は少し長い、今暫しの別れを。

 人波の中で独り立ち尽くすアインは、その掌の中に収まったいぶし銀のジッポーを強く握り締める。裏側に深く、ナイフのような物で「EarlGrey Hound」と刻まれた、彼から受け継いだそのジッポーを。強く強く、まるで己自身の胸に刻みつけるように…………。





(『香港激闘編』完)


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