Execute.48:a better tomorrow./追憶のグラス・ハート
――――夢を、見ていた。
夢の中で、自分はまだ十代の頃の姿で。そうして何故か美代学園に通っていた。しかも笑えることに、何も後ろ暗いもののない単なる一学生として、だ。
「あ、戒斗おはよう」
「おはようございますっ、戒斗さんっ!」
「んー、カイトか。おはようさんさん」
「……おはようございます、戒斗」
教室の中には、見覚えのある彼女たちが居て。優衣も彩佳も、レヴィも。そして遥ですらもが、昔のままの姿で教室に入って来た戒斗を暖かく出迎えてくれた。
「これは……」
夢なのか。
彼女たちの姿を見て強烈な違和感を覚えれば、そこで何となく夢であることを認識してしまう。明晰夢という奴だろうか。あるはずのないもの、あるはずのない場所、そして居るはずのない彼女たちの姿を見て、自分は――戒斗はそれを、何の気無しに認識していた。
でも、それも一歩教室の奥へ歩いて行くたびに薄れていく。これが夢であるという自覚は消え、最初から何も感じなかったかのように意識はまた夢の世界へと埋没していく。今見える光景が、確かな現実であると疑わないまま。
「ういうい、席に着けぃ」
そうして昔懐かしい窓際最後尾の席に着けば、ガラッと戸を開けて教壇に上げる教師が一人。雑な処理の金髪に長身痩躯、そして何故か教師の癖に煙草なんか吹かしているソイツを、戒斗が見紛うはずがなかった。
リサ・レインフィールドだ。何故か似合わない白衣なんか羽織りやがって、彼女はいっぱしの教師面で堂々と教壇の上に立つ。教室の中にも関わらず平気な顔で煙草をパカパカ吹かしているのに、それを咎める者は誰も居らず。すると戒斗はそんな光景に、理由も分からず妙なデジャヴを感じてしまう。
「んー、今日はな、転校生を紹介してやろうグハハハ」
およそ教師とは思えないぐらいに馬鹿っぽい高笑いをリサがすれば、彼女が「入っていいぞ」と廊下の方に向けている。そうして戸がガラッと開かれれば、そこから現れたのは――――。
「あー、というわけでコイツが転校生ね」
「初めまして、フランスから来ましたエマ・アジャーニです。どうか皆さん、よろしく――」
教壇に立つ、華奢で真っ白な肌をした彼女。金糸のように透き通る純粋なプラチナ・ブロンドの短い髪に、にこやかに微笑むアイオライトの瞳。
それを、戒斗が見紛うはずがない。どんなに一生を繰り返したって、忘れたりするものか。どれだけ記憶が零れ墜ちても、彼女だけはどうやっても忘れたりしない。
「――――エマっ!!」
気付けば戒斗は、振り向く周囲から注がれる奇異の視線も構わずに立ち上がり、腹の底から彼女の名を叫んでいた。
それからは、時間の流れが奇妙なまでに早かった。
優衣や自分たちの輪の中に無事溶け込んだエマは、戒斗も含めた皆との新興を深めていき。そうして夏が訪れ、秋が過ぎ。もう存在しないはずの美代学園のブレザー制服に身を包んだまま、緩やかで優しい日々を送っていた。戒斗もまた、その強烈な違和感に気付かぬままで。
「……あのさ、カイト」
そして、冬が訪れた頃だったのか。身が凍えそうになるぐらいの冷たい風の吹く屋上へ呼び出されると、待っていたエマにそう、問われた。何処か頬をポッと朱に染めたような、少しだけ恥ずかしそうな彼女の蒼い瞳に見上げられながら。
「僕のこと、君はどう思ってる?」
「どう、って……」
――――愛しているに決まっている。この世界の何よりも、この世界の何を犠牲にすることも厭わないほどに。
「…………」
そう思っているはずなのに、確かに自分は彼女を愛しているはずなのに。しかし夢の中の戒斗は戸惑った顔のまま、それ以上の言葉を紡ぎ出そうとはしなかった。
「僕はね、君のことが好きだよ」
すると、エマの方からそんな告白じみた言葉が飛んでくる。
「君を今日、此処に呼び出したのはね。僕のこの気持ちを、君に知っておいて欲しかったからなんだ」
出来ることなら、君の答えも聞かせて欲しいけれど。
「……俺も、きっと君と同じ気持ちだ」
そこまで彼女に言わせておいて、夢の中の自分は漸くその言葉を口にした。
「! じゃあ、カイト」
「ああ。……俺も君が好きだ、エマ」
意を決して自らの気持ちを告げれば、そんな夢の中の自分の胸にエマが飛び込んで来る。蒼い瞳の端から幾らかの雫が流れ落ちてくるのも構わずに、制服を身に纏う戒斗の胸へ力任せに飛び込んで来た。
「嬉しいよ、嬉しいよカイト……」
胸の中で涙を流す彼女の頭を、夢の中の戒斗はどぎまぎした落ち着きのない指先でそっと撫でてやる。
「こんなに幸せな気持ち、生まれて初めてだ……」
「……俺もだ」
それから夢の中の自分とエマは結ばれ、幸せな日々を送っていた。
年相応、というのだろうか。暇を見ては授業を抜け出して何処か別の場所で二人っきりの時間を過ごしたり、休日になれば色んな所へデートに出掛けたりもした。
訪れた先は、旭日解放戦線のテロの傷跡が未だ残るはずの新名古屋スクウェアや、名古屋駅のツインタワー。それに豪華客船"龍鳳"の船上で開かれたパーティに出掛けたりもした。それら全ては過去に戒斗が何かしらの形で関わってきた場所で、全て激しい戦いの爪痕が残っているはずだ。しかし夢の中で訪れたそこに、嘗ての戦いの痕跡は何一つとして残されていなかった。まるで、最初からあんな事件なんて無かったかのように。
エマと二人でそれらの場所を、まるで今までの足跡を辿るかのように訪れながら、戒斗は心の何処かで懐かしいとすら感じていた。夢の中だからかその原因は分からず、感覚としてはデジャヴにも似ている。しかし確かに訪れ、そして熾烈な戦いの主戦場となったそれらの場所は、戒斗にとってはどうしても忘れられない場所ばかりだった。
やがて、更に季節が巡り巡った頃だろうか。遂に二人の仲が、学園内で噂になり始めた。
「……アジャーニさん、最近ちょっと調子に乗ってない?」
「だよね、だよね。ぽっと出が横から戦部くん掠め取って、かなり生意気じゃない?」
「そうそう、ホントよ」
「この辺でヤキ、入れとく?」
「さんせー」
そうすれば、聞こえてくるのは不穏な声ばかり。大多数の女子生徒や、そして男子生徒からですらもエマに対し敵意が向けられていた。それを戒斗は、何度も耳にしてしまった。そして感じ取ってしまった。遅かれ早かれ、彼女が虐めの標的になってしまうであろうことを。
「俺は……」
そこに来て、戒斗は思った。また失うのかと。俺は此処でも、何もかもを失ってしまうのかと。
――――嫌だ。
それだけは、嫌だった。これ以上自分の手の中から何かが零れ落ちていくのは、護れたはずのものが失われていくのは。それだけは、嫌だった。
「失うぐらいなら、俺は」
全てを、壊す。
教壇に立つ戒斗の手の中には、いつの間にか拳銃が握られていた。シグ・ザウエルP226-E2。この世界で最も使い慣れた相棒。そういえば、美代学園へ潜入していた頃もコイツを使っていた。シグはいつだって、戒斗の相棒だった。
「エマ」
そして戒斗は、遥たちとにこやかに談笑していたエマを呼ぶ。すぐ至近にまで迫った悪意の手から引っ張り出すように、近づいてきた彼女の手を取って強引に抱き寄せた。
「……カイト?」
抱き寄せられたエマは、不思議そうに戒斗の顔を見上げている。そんな純粋な瞳をした彼女へ注がれるのは嫉妬や羨望、そして純粋な悪意たち。彼女を貶めてしまおうと、彼女を絶望させてやろうとする、人間が誰しも持ち合わせている純粋な悪意。それらが集まって、多くが集まって、エマの華奢な身体へと注がれていた。
ああ、人間とはなんと醜いものなのか――――。
戒斗は絶望した。いや、ひょっとすればとうの昔に絶望していたのかもしれない。人間という生き物の醜さに、愚かしさに。
「俺から離れるな、離れないでくれ」
でも、俺は失わない。これ以上、何も失いたくない。
きょとんとした顔で見上げるエマの華奢な身体を、戒斗は右腕で強く抱き締めていた。そうすると、いつの間にか戒斗の格好は美代学園の制服から次々と変わっていく。嘗て米海軍特殊部隊・NAVY-SEALsのチーム7に居た頃の戦闘服や、C.T.I.Uのコードネーム・A-9202としてリサと共に戦っていた頃によく着ていた、グレーのTシャツに袖を折った紅いジャケット、そしてジーンズといった格好。そして最後に身に纏うのは、ピシッとした黒のスーツにロングコートといった出で立ちだ。
その格好の変遷は、まるで戒斗自身の今までの人生を辿っているかのようだった。戦い続けてきた日々を振り返るように、そして最後にはこの格好になる。容姿もまた、懐かしき十代の頃から今現在の疲れた横顔へと変わっていた。
「何もかもを失ってきた人生だった」
そして、戒斗は左手で銃把を握り締めたシグ・ザウエルP226-E2の撃鉄を、そっと親指で起こす。カチリという確かな感触がした。
「空っぽの俺に最後に残ったのは、エマだけなんだ」
左腕を真っ直ぐに伸ばし、P226を構える。抱き寄せたエマの感触を確かめるように、刻みつけるように強く右腕で抱き締めながら。
「君を失うぐらいなら、俺は……」
そして、伸ばされていた人差し指が引鉄に触れた。
「――――全部、壊してやる」
引鉄を引く。シアが切れ、撃鉄が落ちる。
響くコルダイト無煙火薬の撃発音と、かぐわしき硝煙の匂い。9mmパラベラムのフルメタル・ジャケット弾が撃ち放たれれば、それは壊した。彼女に悪意を向けていた人間だけじゃない、この夢の世界そのものを撃ち壊した。
「エマを失うぐらいなら、俺は黒に染まる」
ひび割れた世界と、微かに漂う硝煙の匂い。執行された破壊の色は、何処か虚無の色にも似ていた。




