Execute.45:Perfume of the Death./奔向未來日子
仁王立ちしたまま立ち尽くすリー・シャオロンの下半身を一瞥しながら、戒斗は握っていた刀をバッと振るい血を払う。そして落ちていた鞘を拾い上げれば、その中にカチンと刀を収めた。これだけ濡れてしまえば間違いなく錆びてしまい研がなければならないが、それは戒斗の役目じゃない。
そして遠くに落ちていたモデル586リヴォルヴァー拳銃も拾い上げれば、未だに床に倒れたままのアインを一瞥する。
「…………」
どうすべきか、戒斗は悩んだ。アインを縛り付けていたリー・シャオロンは既にこの世に居ない。やがて紅頭も、そして北米の麻薬シンジケートも壊滅するだろう。シャオロン一人の手腕で拡大してきたようなまだまだ新顔の組織が、この先シャオロン無しで生き残っていけるとは思えない。
だから、ある意味でアインは既に自由だ。自由だが……しかしアインは、恐らく自由が何かも知らない。それに彼に訊きたいことも少しだけある。このまま放っておく選択肢は、残念ながら戒斗には取れなかった。
「ったく……」
しゃがみ込み、仕方なしに気を失ったアインの身体をよっこいせと戒斗は肩に担ぐ。お姫様抱っこならぬ、いわゆる"お米様抱っこ"という奴だ。米俵を担ぐようにして、力なく項垂れるアインの身体を左肩に担ぐ。見た目よりは重かったが、しかし割と軽い方だった。
そうして、戒斗は今だスプリンクラーから雨の降り続ける地下駐車場を後にしていく。返り血も硝煙の匂いも、そして生臭い血の醸し出す死の芳香ですらをも洗い流し、外で待つ彼女の元へと歩いて行った。
歩き去る一人と、彼に担がれる一人。遠ざかっていく二人の背中を見送る者は居らず、ただ床に突き刺さった白帝の日本刀だけがそれを見送っていた。
「カイト、その人は……」
地下駐車場での激闘を終え戻ってきた戒斗がズブ濡れなのにも驚き、そしてそれ以上に彼が何故か謎の男を背負って戻ってきたものだから、助手席で待ち続けていたエマは戒斗が無事に戻ってきたことをひとまず安堵しつつ、しかし驚きと困惑に眼を丸くしていた。
「話は後だ、とにかくコイツも乗せて、一旦此処を離れよう」
戸惑うエマを一旦911カレラから下ろし、座席の背もたれを前に倒す。その隙間からアインの身体を滑り込ませ、991シリーズのお世辞にも広いとは言えない、居住性最悪の申し訳程度な後部座席へと寝転がすように放り込んだ。彼の日本刀はトランクへ、モデル586はアインの懐から拝借した予備の.357マグナム弾を入れ替えた上で、これは用心の為に戒斗が持っておく。
「行こう、エマ。話は走りながら説明するよ。とにかく今は、警察が来ない内に此処を離れた方が良い」
再びエマを助手席に座らせた後、そう言って戒斗は911カレラのエンジンを始動。長い待ち時間ですっかり冷え切ったエンジンを暖める間もなくギアを入れ、ガンメタリックをした暴れ馬の尻を叩き戒斗は911カレラを急発進させる。
「……とりあえずはカイト、お疲れ様」
走らせながら、サイドシートに座るエマがそう言ってくれる。シフトノブに乗せた戒斗の濡れた左手に彼女の華奢で少し冷えた、しかし今は戒斗よりも暖かい掌が重ねられると、戒斗は安堵のあまり息を漏らしながら「……ああ」と頷いた。
カーステレオから現地のラジオ局で流れる曲は、先程も流れた故レスリー・チャンの「奔向未來日子」だ。これも香港ノワール映画「男たちの挽歌Ⅱ」の主題歌で、同氏演じる刑事キットの散り際に流れていた印象が強い。何処か切ない、心に染み渡る静かなメロディの一曲だ。
そんな曲を背景に、そして左手に重ねられた彼女の掌から伝わる確かな温もりを感じながら、戒斗は街灯に照らされた夜更けの香港を飛ばしていく。ひとつの戦いの終わりを噛み締め、しかしまだ全ては終わっていないことを己に言い聞かせながら。戒斗とエマ、そして気を失ったままのアインを乗せたガンメタリックのポルシェ・911カレラは、香港島方面へと消えて行った。遠ざかっていく数多のサイレン音に見送られながら、ただ孤独なテールライトの赤い光跡だけを残して…………。




