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Execute.26:Perfume of the Death./男たちの挽歌⑧

 その後店を出れば、戒斗はエマを連れて暫く威霊頓街を歩き回った後、ヒルサイド・エスカレーターを下って再びセントラル地区の方へと戻り。そこから地下鉄に乗り込めば、また九龍地区の方へと向かってみることにした。

 ヴィクトリア・ハーバーの海底を通る地下鉄で香港島から九龍の方へと抜け、尖東(チムトン)駅で降車。地上に上がって九龍の空気を再び吸いながらゆっくり歩き出せば、十五分掛からないぐらいで目的地へと到着する。

「此処が?」

「そそ、さっき言ってた例のシーンのロケ地」

 エマと一緒に立ち止まって見上げていたのは、少し大きなデパートだった。永安百貨・尖東店。昼前にもエマと話していた「ポリス・ストーリー/香港国際警察」のラストシーン近くで使われたロケ地のデパートだ。2004年に一度改装されているが、しかし比較的撮影当時の雰囲気を残したままで今も営業している。ジャッキー・ファンの聖地の一つだ。

「うわ、思ったより高い……」

 と、その永安百貨に入って、とりあえずは上まで昇ってみてから下を覗き見ると、一階部分までのあまりの高さにエマが軽く顔を引き攣らせる。ちなみに実際に劇中でジャッキーが電飾から派手に火花を散らしながら滑り降りたポールは撮影用にセットされたもので、実際の永安百貨にポールは無い。

「こっからマジで滑り降りたってんだ、ホントにどうかしてるよ」

 下を覗き降ろすエマが誤って落ちないように少しだけ留意しつつ、そんな彼女の隣に陣取る戒斗が苦笑いで返す。戒斗にしてみれば何度も訪れた場所だが、今日に限っては何だか新鮮な気持ちだった。

「…………」

 確か、最後に来た時はリサの奴も一緒だった気がする。遥も、そして優衣も一緒だった。"クリムゾン・クロウ"の行方を追う中、彼女たちも共に此処を訪れた覚えがある。

「ジャッキーに出来たんだ、お前なら出来るだろカイト。ホラ飛び降りてみろ、ほれほれ」

 ふざけ半分でリサが言っていたことを思い出し、戒斗は思わず頬を緩めてしまった。確かあの時も、丁度此処から下を見下ろしていたはずだ。ガハハと大笑いするリサにバンバンと背中を激しく叩かれる感触に、丁度今のエマと同じ位置に居た遥と、そして反対側に陣取っていた優衣が苦笑いしていた光景が、何故か今の視界と重なるようにフラッシュバックする。

 ――――忘れるな。彼女らを奪ったのは、誰なのかを。

 まるで記憶の向こう側に立つ自分自身がそう訴えかけているように、そんな風に戒斗は感じてしまった。

「……カイト?」

 そうしていると、いつの間にかボーッとしていたのか。そんな戒斗に首を傾げるエマの呼び掛けが耳に届けば、戒斗はハッとして我に返り「何でもない」と返した。

「少し……ボーッとしてただけだ」





 永安百貨でちょっとした買い物なんかもして、折角九龍に来たのだからと、ここらの観光名所である尖沙咀(チムサーチョイ)エリアの九龍公園にも休憩がてらに行ってみることにした。

「ふぅ……」

 緑に囲まれた庭園の中、広い池の真ん中に立つ東屋(あずまや)のような所の端にある柵のような所に腰を落ち着かせると、エマが小さく吐息を漏らした。

「疲れたか?」

 そんな彼女の前に立ち尽くした戒斗が見下ろして訊けば、エマは「ちょっとね」と軽い苦笑いを交えて頷く。その両手には、さっき永安百貨で買ってやった服の入った小振りな紙袋があって。それを彼女はぎゅーっと、大事そうに両腕で掻き抱くみたいに胸に抱いていた。

「でも落ち着くなぁ、こういうとこって」

「だな」

 小さく笑いながら、戒斗は頷いてやる。珍しく……と言ったら変だが、九龍公園に人の数は疎らで。戒斗たちの休む東屋のような池の周りにも人の気配は殆どなく、ただただ静かだった。

 時折聞こえてくるのは、鳥のさえずりや木の葉の掠れる微かな音のみ。公園に生息しているらしい孔雀やフラミンゴの声も、遠くから微かに聞こえてくる。

「…………」

 此処が大都会・香港のド真ん中だということを忘れてしまいそうなほどに、静かで穏やかで、そして安らかな空気が流れていた。生い茂る緑の合間から微かに高層ビルの姿が垣間見えてしまうのが少しだけ玉に瑕だが、こればかりは仕方ない。

 サーッと風に吹かれた木の葉が揺れて、透き通るような音色を響かせる。ズボンのポケットに両手を突っ込む戒斗は、風に吹かれるがままにスーツジャケットの裾を揺らし。そしてエマは揺れる金糸のような前髪を小さく指先で押さえながら、ただ二人は無言のままでそこにいた。

「……静かだね」

「そうだな……」

「このまま、時間が止まればいいのに」

 戒斗の方を見上げ、ほんの少しの柔らかな笑みをエマが投げ掛けてくる。フッとクールな表情で返してくれる彼の姿を見上げていれば、エマの中でその思いはますます強まっていった。

 きっと、彼はちょっとした冗談だと思っているのだろう。しかし違う。この言葉は、エマ自身の嘘偽りのない本心だった。心の底から、今ここから時間が止まってしまえばいいと思う。それ程までに穏やかで、そして優しい空間だった。

 彼が香港にやって来た理由は知っている。エマはそれに少し無理を言って連れて来て貰った。彼に悪いとも思うが、しかしそれ以上に彼の傍に居てやりたいという思いの方が強かった。戒斗を独りきりのまま、戦いの中に送り出したくはなかった。

 戦部戒斗の人生を例えるならば、それは全てが戦いによって築かれた人生だ。今までも、恐らくはこれからもう暫くも。

 その中で、彼はあまりに多くのモノを背負い、そして喪い続けてきた。そんな彼を、エマは放っておきたくなかった。たった一人で彼を異郷へと送り出し、自分だけが一人あの家で帰りを待つことだなんて、そんなことには耐えられる自信が無かった。

 共依存に近いものだと思う。彼がエマを必要とするように、エマにとってもまた、彼は必要不可欠な存在なのだ。あの時、絶望の淵にあって自暴自棄になっていた自分を、雨に濡れて路地裏に佇んでいた自分を拾い上げ、救い出してくれたのは、紛れもなく彼なのだから……。

 だからこそ、エマは出来うる限りの時間を彼とともに過ごしたかった。縛り付ける気はない。それでも彼が必要としてくれる限りは、いつまででも寄り添っていたいと、心の底から思える。エマにとって戦部戒斗という存在は、何もかもを受け入れてやれる存在で。そして、彼女に残された最後の生きる意味でもあった。

「……僕は、いつだってここにいる」

 いつだって、僕は君の傍にいる。それを忘れさえしなければ、君はまた戻ってこられるよ……。

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