Execute.23:Perfume of the Death./男たちの挽歌⑤
「おっ、来た来た」
そうしていれば、店主が注文の品を持って二人のテーブルへと近づいてきた。待望の昼食にありつけるとあって、エマはもとより戒斗までもが子供みたいな緩い笑顔でそっちに眼を移らせてしまう。
店主が持ってきたのは大きめのどんぶりと、後は数品の皿。エマの方も全く同一のメニューだ。どんぶりの中身は麺類で、雲呑麺という奴だ。
雲呑麺、分かりやすい日本語で読むならワンタン麺。広東語では「ワンタンミン」と読む。香港は雲呑麺でも有名な場所の一つだ。細めの麺に熱めのスープとちょっとした葉類、そして何よりも欠かせないのが雲呑だ。威霊頓街は海老雲呑麺で知られていて、その例に漏れずこの店のワンタンも海老ワンタンらしい。
「……これは?」
目の前にドンッと出されたどんぶりの中身を不思議そうに見つめながら、エマが首を傾げる。戒斗は「雲呑麺」と短く、何処かぶっきらぼうなようにも聞こえる答えを彼女に返せば箸を取り、迷わずに自分のどんぶりに口を付けた。
「うん、旨い旨い。前に来た時と変わらず良い味してるぜ」
そんな戒斗の満足げな反応を見て、ゴクリと生唾を呑み込んだエマは自分もまた箸を取り、そして恐る恐るどんぶりに箸を付けてみる。とりあえずはスープの中に浮かぶ細麺を箸で絡め取り、口に運んでみた。
「……あ、美味しい」
「だろ?」
軽いカルチャー・ショックを受けたみたいに驚くエマの反応や表情をチラリと見て、戒斗は満足げに微笑んだ。
実際、旨かったのだ。麺は細めながらしっかりとしたコシがあり、スープが染み込んでいて旨い。スープの方も日本のラーメンに慣れていると薄味に思えるが、しかしグッと確かなコクがあって味わい深い。
そして何より、特筆すべきはワンタンの方だ。雲呑麺の主役とも言えるワンタンには原則として海老、鶏肉、或いは豚肉とネギを混ぜるのがセオリー。そして先に述べた通り、この威霊頓街は海老ワンタンが有名だ。この店のワンタンも例に漏れず海老ワンタンで、プリッとした海老の入ったワンタンはただただ旨いの一言。店構えに違わず何処か庶民的な味ではあるが、しかし癖になる味わいだ。何度も来たくなってしまう。
脇に置かれたサイドメニューの皿にもエマは手を伸ばす。茹でた青菜にオイスターソースなんかを掛けて頂く油菜というもので、香港では添え物としてポピュラーな逸品だ。こうして麺類と併せる以外にも、普段の粥のおかずとしてや、飲茶に際した点心(軽食)に添えるといった場合もある。簡単な調理法だけにバリエーションも幅広い油菜だが、この店で出しているのはベーシックな物のようだった。
こちらも、旨い。少し油っぽいが何処かまろやかで、旨味の深みが強いようにも感じられる。比較的薄めな味わいの雲呑麺と併せ、組み合わせとしては確かにベストだ。
「美味しいね、うん。すっごい美味しいよ、これっ」
「だろ、だろ? 連れて来て正解だったぜ」
満足げに箸を急ぎ足で進めるエマに「急がなくて良いから、ゆっくりでいいよ」と言いつつ、戒斗は何処か無邪気に見える彼女の様子を眺め、何度も何度も満足げに頷いた。
――――エマには、世界を見せてやりたい。
戒斗の抱く淡い願い、そして彼自身の夢でもあった。いつか全ての終わりを迎え、浅倉と暁斗、最後に残った因縁の二人とケリを付けた後、辿り着いた次の居場所で。そこで戒斗は、出来ることならば世界を巡ってみたかった。勿論、彼女を連れて。
戦部戒斗はC.T.I.Uトップ・エージェント、コードA-9として歴史の影で暗躍していた頃から、いやそれよりずっと前から世界のありとあらゆる所を飛び回ってきた。アメリカ、ヨーロッパ、アジアに南米。紛争真っ只中の中東の砂漠地帯にだって足を運んだ。勿論、全て仕事の一環としてだ。
でも、今度は違う。自分の意志で、平和な中を旅してみたいと思う。彼女に、エマ・アジャーニに世界の色んな場所を見せてやりたいと思っていた。自分の培ってきた技術と知識、経験をエマの為に使えるのならば、そうしてやりたいと思っていた。それこそが、散っていった皆に、己に託して散っていった皆に対して出来ることでもあるから。
「……♪」
今の、見知らぬ料理を無邪気な顔で味わう彼女を見ていれば、自然と戒斗の中ではそんな想いが強くなっていた。エマの見せるこんな笑顔を、いつまででも見ていたいと……。
昼食の時間はあっという間に過ぎ、出された料理を一通り平らげて。そして店主に代金を支払って店を出ようかなんてしている時のことだった。
「おい、ちょっと兄さんたちや」
来た時から延々と隅のテーブルでたむろしていた客の一人が立ち上がり、何故か戒斗たちのテーブルの方に近づき、そう敵意剥き出しの荒げた声で呼びかけてきたのは。
「……俺のコトか?」
と、戒斗は億劫そうに振り向く。男は明らかに地元の人間だった。よれた半袖のシャツに少しボロい白のズボンを履いているといった格好で、背丈はそこそこ小柄だった。
「そうそう、兄さんだよ兄さん。アンタさ、観光客かい?」
「そう見えるか?」と、飄々とした様子で戒斗。
「外の人間にしちゃあ、随分と上手い喋り方だけどな。でも顔を見りゃあ分かるぜ」
「お褒めに預かり光栄、ってね」
小柄な男の絡みを飄々と避けつつ、何処か不安げな様子のエマと一瞬だけ視線を合わせ、戒斗は彼女にアイ・コンタクトを送ってやる。
――――心配するな、どうにでもなる。
「……うん」
すると、エマはアイ・コンタクトの意図を察してくれたようで、小さくこっちに頷き返してくれた。
「でもいけねえなあ、こんな可愛い娘ちゃん連れて、こんな裏の方まで来ちゃあ。悪い奴に目、付けられちまうぜ?」
「アンタみたいな人間のことだろ? 忠告するなら、もっと早くにして欲しかったな」
「そういうこと」
戒斗の飄々とした言葉にニヤニヤとしながら男は頷いて、懐から取り出した飛び出しナイフのバチンと起こしたブレードを戒斗の方に突き付けてきた。雑な研ぎの切っ先が、戒斗の眼前で静止する。
「有り金置いてくか、痛い目見てこのお嬢ちゃんを貰われるか。二つに一つだぜ?」
すると、男が口にしたのはベタにも程がある脅し文句で。近頃のB級アクション映画でも中々見ないようなチープすぎる脅しを実際に目の当たりにしてしまえば、戒斗は笑えてくる所か溜息すら出てしまう勢いだった。
本来なら、言う通りはした金を差し出して穏便に済ますのがベストなのだろう。しかし今は傍にエマがいる手前、下手に従って状況が悪化することは避けたかった。それ程までに彼女の容姿は、誰の眼から見ても魅力的に映ることを戒斗は知りすぎていた。
「俺、香港ならカンフーよりノワール映画の方が好きなんだけどな」
独り、男たちには分からないだろう日本語で小さく口走りつつ――――戒斗は、余りに唐突にアクションを起こした。
眼前に突き付けられていた、男の持っていた安物の飛び出しナイフを一瞬の内に手で払って彼方へと吹き飛ばせば、さりげなく男の方へと向けていた右脚をそのまま大きく振り上げる。
強烈な金的だ。睾丸の片方を潰された男は声にならない声を上げて蹲ろうとするが、しかし戒斗が一瞬引っ込めた右脚に腹を蹴られ、男はテーブルを倒しながら彼方へと吹っ飛んでいく。
「やりやがったな!」
そして戒斗が椅子から立ち上がれば、取り巻きらしき他のたむろしていた男たちが敵意剥き出しで一斉に立ち上がった。
「エマ!」
間髪入れずに彼女を呼び寄せる。エマはほんの少しだけ怯えながらも、しかし立ち上がって戒斗の背中の方に隠れた。
「カイト……?」
「大丈夫だ、何とでもしてみせる」
心配そうに呼びかけてくるエマに振り返り、小さな笑顔とともにそう言って安心させてやると。すると戒斗は相対する脅威に視線を向け直し、そして冷静に、しかし一瞬の内に思考を駆け巡らせた。既にこの時点で戒斗の頭の中では、戦闘用の、最強のエージェント・A-9200としてのスウィッチがバチンと入ってしまっている。
――――敵の数は合計六人、素手が四人にナイフ持ちが二人といった具合。全員が喧嘩慣れしているといった感じだが、プロではない。脅威度としては限りなく低い相手だ。
であるのならば、拳銃は使わない方が良いだろうと戒斗は判断した。チンピラ同士の喧嘩程度の規模に留めておくのが無難だろう。使ってナイフぐらいだが、自前のガーバー・マークⅡも出来る限りは使わないに越したことはない。
「……いいぜ、遊んでやるよ」
そこまで思考を駆け巡らせると、戒斗はワイシャツの襟とネクタイをシュッと緩める。
「折角の香港だ、こういうイベントも愉しまなきゃな」
そして不敵な笑みを浮かべると、掌を上にした手を差し出し。指をクイックイッと曲げて手招きなんかをしてやった。
「フクロにしちまえ!」
そうすれば、戒斗の行動が癇に障った男たちが一斉に飛びかかってくる。




