Execute.22:Perfume of the Death./男たちの挽歌④
ホテルを出た二人は、折角なのでということで駐車場のポルシェは使わず。此処から適当に観光がてら歩いてそこいらを巡ることにした。
まずはホテルのあるセントラル地区から一番近くの観光名所として思い立った、ヒルサイド・エスカレーターへと向かってみる。広東語で表すなら「中環至半山自動扶梯」。全長にして八〇〇メートル、高低差一三五メートルという距離を二三基のエスカレーターで以て昇るという凄まじい長さのエスカレーターだ。戒斗たちの滞在するホテルがあるビジネス街のセントラル地区と、高級住宅地であるミッドレベルズ地区を結ぶこの凄まじいエスカレーターは、ミッドレベルズの住人が商業街でもあるセントラルへ買い物、或いは通勤をする際の利便性を高めるために作られたとされている。
とはいえ、その辺りの経緯は戒斗にとっては割とどうでも良いことだった。それよりも、名作映画「ポリス・ストーリー/香港国際警察」と「恋する惑星」のロケ地になったことの方が、彼にとっては重要なことだ。今は亡き師ことリサ・レインフィールドの影響でやたらと映画ばかり観るようになった戒斗は、香港映画も守備範囲なのだ。特に前者の方はジャッキー・チェン主演の名作で、後にシリーズ化されるほどの名作。戒斗にとっても比較的お気に入りの一本だ。
「あ、その映画ならこの間観たよ」
と、件のヒルサイド・エスカレーターを二人並んで昇りながらそんなようなことを戒斗が話してやると。するとエマは思い出したようにそんな言葉を返してきた。
「そうなのか?」
「うん」と、きょとんとする戒斗にエマが頷く。「カイトが仕事行ってる間にね、衛星放送観てたらたまたま流れてて。観てみたら結構面白かったから覚えてるんだ」
「ジャッキーのびっくりアクション、常軌を逸してるからな……」
「あはは、確かにね……。ショッピングモールみたいな所の吹き抜けから滑り降りるシーン、あそこはちょっと眼を疑ったかな」
「マジで撮ってるってんだから笑えねえ話だよ、ホント。
……っと、そのロケ地なら今でも残ってるはずだぜ」
「ほんとに?」
こっちを見上げて訊いてくる彼女に「ホントにホント」と戒斗は少しの苦笑いを織り交ぜながら頷いてやり。そして「後で行ってみるか?」と提案してやれば、エマは「うんっ!」と眼をきらきらさせて頷いた。
そうしている内に、エスカレーターに乗って二つ目の中継地点に到着する。エマを連れて戒斗は此処でエスカレーターを降り、そのまま直結するストリート、威霊頓街を歩き始めた。
威霊頓街はセントラルに近いものの、どちらかといえば庶民的な趣で。狭い道とそこかしこを行き交う人々、そしてビルとビルの間を渡って所狭しと吊される看板と、正に香港らしいような景観の通りだ。
そこに、戒斗が知っているという店はあった。通りの少しだけ奥まった所にある老舗。どう見ても観光客向けというような雰囲気の店構えでなく、エマは一瞬戸惑うような顔をして立ち止まってしまう。
「大丈夫さ、気張らなくて」
しかし戒斗はそんなエマの手を半ば強引に引いて、物凄く堂々とその店の中へと入っていく。
中は少しだけ脂っぽいような感じで、客の数も疎ら。そして客も全員が地元の人間といった具合で、入ってきた二人――特に明らかな異邦人であるエマの方に奇異の目線を向けていた。
しかし、戒斗はそれに臆さず席に着く。そしてやって来た店主に流暢な広東語で注文を告げた辺りで、注がれる奇異の視線はかなりが減っていた。戒斗の話す広東語は現地人がネイティヴと聞き間違うぐらいに流暢だった。
「……昨日から思ってたけど、カイトってどれだけ言葉話せるの?」
と、注文を取った店主が去って行った辺りで、エマが驚いたような困惑したような、そんな複雑な顔で戒斗に訊いてくる。
「ん? うーん、日本語は別として考えると、英語にロシア語、広東語とフランス語、それに後は何だっけか……」
「うん、もういいや。訊くだけ無意味っぽいね……」
戒斗の口から次々と異言語の名が出てくるものだから、エマは「あはは……」と苦笑いをしてそれ以上を訊くのをやめる。よく考えなくても、テーブルを挟んで目の前に座る彼は元・秘密諜報機関のトップ・エージェントだ。トライリンガルどころじゃないぐらいに多数の言語を自在に使いこなしたって、何ら不思議じゃない。
「……不思議だね、君は」
と、そんな彼を眺めていれば、エマは自然とそんな言葉を漏らしてしまっていた。
「不思議?」首を傾げる戒斗。「俺がか?」
それにエマは「うん」と頷き、それから胸に吊す金の小さなロザリオを片手で握り締めながら、こう言葉を続ける。
「君のことは全部、君から聞いて知ってる。でもやっぱり不思議なんだ、僕にとって君って男は。
不思議で、でも嫌な感じじゃなくて……。何て言ったら良いのかな? 少しミステリアスなんだけど、でもそのミステリアスな理由も、そして中身も僕は知ってる。だから余計に不思議……って言うのかな? とにかく、そんな感じなんだ」
「ううむ……」
首から胸元に吊す金のロザリオを大事そうに握り締めながらのエマが言う言葉に、戒斗は困ったように唸り。しかしそれが彼女の思うことならばと、それをありのままに受け入れることにした。
「そういえば、そのロザリオ」
「ん?」胸のロザリオから手を放しながら、エマが反応する。
「……うん、僕のママが遺してくれたもの。あの日、たまたま僕の首に掛けてくれたから。だからこうして、今でも残ってるんだ」
あの時のママが、何を思って僕の首にこれを掛けてくれたのか。今となっては、もう分からないことだけれど――――。
「でも、僕にとってはお守りみたいなものなのかな。ママが僕に遺してくれた、たった一つの思い出だから……」
至極大事そうに、そのロザリオを再びぎゅっと両手で握り締めるエマを見て。彼女の紡ぐ言葉を聞いて、戒斗はただ一言「……そうか」とだけ頷いた。




