Execute.20:Perfume of the Death./男たちの挽歌②
翌日になり、戒斗は朝も早々から香港市街へと出向いていた。
香港滞在中のアシとして用意しておいたポルシェ・991シリーズの911カレラ4に乗り込み、ヴィクトリア・ハーバーの下を抜ける海底トンネルを通って香港島から九龍地区まで抜けていく。ガンメタリックに近いような渋い銀色のボディに、トンネルの誘蛾灯にも似た灯りが反射する。
ポルシェ911といえばRR駆動でじゃじゃ馬のイメージが付きまとうが、しかし流石に最新モデルの991ともなれば存外にジェントルな走りだった。RRベースの、エンジンを後方に配した上での四輪駆動、更にミッションもオートマチックときているものだから、存外乗り回すのは楽だ。しかも香港は元英国植民地だけあって交通事情も右ハンドル/左側通行だから、違和感なく乗り回せる。
「…………♪」
カーステレオから現地の広東語の曲がラジオで流れてくる中、左側のサイドシートには何故かエマの姿もあった。革張りのシートの上にちょこんと、慎ましやかに座って窓から流れる風景を眺めている。
「カイト、どうかした?」
と、チラリと横目に一瞬だけ見た時に、彼女のアイオライトめいた蒼い瞳と丁度眼が合ってしまったものだから。エマはほんの少しの笑顔を差し出しながらそう、何処か楽しげな風に首を傾げてくる。
そんなエマに「何でもない」と、こちらもフッと微かな笑みを浮かべて返してやれば、彼女は「そっか」とまた微笑んで、そして流れる景色の方へと視線を戻して行く。
「…………」
本当なら、彼女を連れて行きたくはなかった。これから向かう先は昔馴染みの三合会・新義安系の闇武器ブローカーの所だ。つまるところ、香港の黒社会へと足を踏み入れることになる。そんな中に、本当ならばエマを連れて行きたくないのが戒斗の本音だ。
だが、これは彼女たっての望みだった。「出来る限りは一緒に居たい」という、彼女の望みだったのだ。だからこそ戒斗は折れ、こうして結局は連れて来てしまっている。出来ることならば関わらせたくはなかったのだが、しかしエマの望みは出来うる限りの範囲で叶えてやりたいのもまた事実。それにドンパチに巻き込まれる確率は限りなく低いと戒斗は判断し、エマの願いに折れてしまったというわけだ。
そして、彼女はこうも言っていた。「カイトの住んでる世界を、僕も出来る限り知っておきたいんだ」とも……。
「あ、出口見えてきたね」
「あの向こうが九龍だ」
そうしていると、行く先に光明が見えてくる。海底トンネルの出口だ。此処を抜ければヴィクトリア・ハーバーを挟んだ香港島の反対側、目的地の九龍地区が姿を見せてくる。
海底トンネルを抜けて九龍地区に乗り入れれば、そのまま戒斗はガンメタリックの911カレラで狭い九龍地区を駆け抜けていく。表通りを走り抜け、途中で折れ横道へ。そこから網の目のような横丁を抜けていくと、やがて目的地へと辿り着く。
「……此処なの?」
「そうだ」路肩に停めた911カレラの車窓から、傍の小汚いアパートめいて小ぢんまりとしたビルを見上げて首を傾げるエマに、戒斗は頷いてやり。そうして911カレラのエンジンを切って降りると、反対側に回って助手席側のドアを外側から開けてやる。
「ん、ありがと」
手を取ったりなんかしつつエマを降ろしてやると、ドアを閉じ遠隔でキーロック。そして一瞬だけ彼女と視線を合わせて「離れるなよ」と戒斗は言って、うんと頷く彼女の手を引きその小汚いビルの中へと入っていく。
やはりというべきか、この辺りまで来れば治安は最悪クラスだ。あちらこちらの路上に座り込む浮浪者たちが二人を、特に目立つエマの方に好機の視線を向けてくる。平均ぐらいの背丈と真っ白い肌に、宝石みたいな蒼い瞳と天然物の金糸めいたプラチナ・ブロンドの髪。ひとつの芸術品のように完成されていて、そしてあまりにもこの一帯には似付かわないエマの容姿ならば、彼らの注目を集めて当然だった。勿論、下卑た視線を送ってくる者も多い。
「…………」
しかし、戒斗が睨み付ければ途端に浮浪者たちは眼を逸らす。戒斗の瞳の奥にある底知れぬ深淵、本物にしか滲み出せないものを感じ取れないほど、彼らは呑気じゃなかった。
「行こう」
「う、うん……」
戸惑うエマの華奢な手を、安心させてやるように少し強く握り締め、そして戒斗はビルの奥へと歩を進めていく。ぎゅっと握り返してくる彼女の指の力を、確かに掌の中に感じながら。
そうして狭苦しい階段を昇り、昇り。そして暫く昇った後で昔懐かしい扉を見つけると、そこをコンコンと一定周期の独特なリズムでノックする。まるで扉の向こう側に、己が誰かの合図を送るようにして。
すると、ガチャリと扉が向こう側から開かれ。そして明らかに現地人と思しい男が警戒するように顔を出してくる。
「A-9、K200。ルーシィ・ツァオに用がある。連絡はしてあるはずだが」
暗号めいたことを広東語で戒斗がその男に告げると、男は値踏みするような視線で戒斗を上から下へ見て。そして後ろのエマの方へチラリと視線を移すと「……そっちは?」と、やはりネイティヴな広東語で問うてきた。
「俺の連れだ、別に構わないだろ?」
「……よし、入れ」
戒斗がわざとらしく肩を竦めると、すると男は頷いて扉を開けてくれる。「行こう」とエマを連れて入りながら、しかしその男が背中側に隠した手に拳銃を隠していたことを戒斗の眼は見逃さなかった。
その男に導かれるようにして奥へ、奥へと入って行くと、応接間のような部屋へ二人は通された。そしてそこで見たものは、一人の女だった。
「久し振りね、エージェント。伝説のご帰還ってことかしら?」
きめ細やかな長い黒髪を揺らし、スリットから太腿を惜しげも無く見せつけるチャイナ・ドレスを着た長身の女が、応接間のテーブルに座っていて。そして戒斗の方へ視線を流しながら、何処か昔を懐かしむような顔でそう言った。
「……えーと」
「あら、そちらの可愛らしいお嬢さんはどちら?」
あまりに予想外な容姿にエマが戸惑っていると、その女は好色めいた視線をエマに這わして問うてくる。それに戒斗は「ま、色々とな」と言ってはぐらかす。
「ふーん……?
まあいいわ、折角だし名乗っておくわね。私はルーシィ・ツァオ。彼にはエージェントだった頃からよく懇意にして貰ってたわ」
何処か妖艶にも見える色っぽく、そして薄く儚い笑みを浮かべながらエマに向かって改めて名乗る彼女が、例の昔馴染みな闇武器ブローカーことルーシィ・ツァオだった。戒斗とは彼がC.T.I.Uのエージェント頃、リサからA-9200を継承する前のA-9202のコードネームだった若かりし頃からの付き合いだ。
「あ、はい。……僕はエマ・アジャーニです。カイトとは、えーと」
「ふーん、エマちゃんね?」と、楽しげにルーシィ。「皆まで言わなくていいわ。大体は察したから」
戒斗の後ろに控えるエマに小さな微笑みを投げ掛けつつ、ルーシィは座っていた机から降りると。すると「座って頂戴。注文の品は用意出来てるから」と言いながら椅子を引いて、二人に座るよう促してくる。
「ま、ゆっくりしてって頂戴?」
座らせた二人とテーブルを挟んだ対面に座り、ルーシィがパチンと指を鳴らす。すると何処からか出てきた部下と思しき現地人の男たちが、二人の前に茶を出してきた。
「悪いが、人から出された飲み物には用心するようにしてる」
しかし、戒斗はそれに手を着けようとはしない。それにルーシィが「相変わらず、用心深いのね?」と言うと戒斗は肩を竦め、
「……ま、他ならぬアンタの用意したものだ。ルーシィならある程度は信用できる」
と、結局は出された茶に手を着けた。それを見てルーシィは満足げに微笑み、「そういえば」と別の話題を切り出す。
「色々と貴方のこと、噂になってるわよ? なんでもあのクリムゾン・クロウを単独で壊滅させたとか」
「否定はしないさ、殆ど事実だからな」
「相変わらずね、貴方のそういう態度。……でも、急に消えたのは何故かしら? 巷じゃあエージェント・A-9200の死亡説まで流れてるぐらいだけれど」
「死亡説が流れて当然だ」と、戒斗。「俺がそう仕向けた」
「……そうしなきゃならないほどの事情、ってことね。把握したわ、これ以上は訊かない」
戒斗の言葉で何となく彼の事情を察すれば、ルーシィはそう言い。そして戒斗が「助かる」と返した頃、ガラガラとキャスター付きの荷台を押す何人もの人間がルーシィの背後から姿を現した。
「銃に弾薬、それにナイフと爆薬、エトセトラエトセトラ。可能な限りは貴方の要望通りに揃えたつもりだわ。確認して頂戴」
男たちが持ってきたのは、戒斗の注文しておいた武器弾薬だった。それらをルーシィの前、テーブルの上にズラリと並べていく。
凄まじい量だった。中国北方工業公司製のCz-75自動拳銃のコピー品、NZ-75やトカレフTT-33改良型の213式拳銃が何挺も。AK-47系の五六式自動ライフルと、レミントンM870ショットガンをコピーしたHP9-1。全てノリンコ製のコピー製品だ。
加えて、銃床と銃身が極端に短く切られたアメリカ製のコルト・M79グレネード・ランチャー。それに米軍の携行用小型爆発物・M2"SLAM"や各種手榴弾なんかも用意されていた。それにホルスターや弾倉ポーチ、対応する数千発近い弾薬とそれぞれ対応する予備弾倉も抜かりなく、だ。
「今の香港は返還前と事情が違うからね。基本的にはノリンコ製のコピーで間に合わせるしかなかったけれど、でもこれだけはちゃんとした奴を用意しておいたわ」
そう言いながらルーシィが己の顔の前で見せつけるようにし、そして戒斗の方へテーブルの上を滑らしたのは一本のナイフだった。戒斗はそれを受け取り、鞘から抜いて検分する。
ガーバー・マークⅡ。諸刃のダガー・ナイフと呼ばれる逸品で、世界でも有数の優れたナイフだ。戒斗にとっても随分と長いこと使い慣れた一本でもある。伝説的なフェアバーン・サイクス戦闘ナイフの流れを汲むこのナイフならば、最後に頼るのに相応しい。これはコピー品でなく、ちゃんとしたガーバー社製の正規品だった。
「グッドだ、流石だなルーシィ。この短期間で良くここまで揃えてくれた」
「他でもない君の頼みだからね。エージェント時代の借りもあるし、揃えてみせないワケにはいかないわよ」
「無理を言って済まなかったな、ルーシィ。……代金だ、確認してくれ」
戒斗が懐から取り出した、雑に輪ゴムで留められた幾らかの札束を受け取ると、ルーシィはそれを戒斗たちの目の前で確認する。中身は全て香港ドルだ。
「…………大丈夫、キッチリ全額あるわ。下まで運ばせようかしら?」
「頼めるなら、そうしたい。この量を一人では流石に骨が折れる」
戒斗がそう言うと、ルーシィは小さくはにかんで「オーケィよ」と満足げに頷き、また合図を送るように指を弾いた。




