Execute.02:黒沢鉄男/偽りの名
――――黒沢鉄男。国内でも有数の鉄鋼業・黒沢鋼業の次男で、若くして重役のポストへ兄とともに就いていた男。その手腕は兄よりも優れ、黒沢鋼業の次期トップとして期待されていた男だ。
とはいえ本人にその気は無く、次代黒沢鋼業トップの座は兄・黒沢将史へと譲る予定だった。しかし社内での派閥争いは当時の社長にして二人の父・和也の体調悪化に伴い活発化の一途を辿り、本人たちの意図しないところで将史派・鉄男派の二派閥に分かれ熾烈な後継者争いが勝手に始まる。その派閥争いは凄惨を極め、内部での殺しにすら手を出すほどだったという。
当然、本人たちはそれを止めようとした。止めようとしたが、無駄だった。黒沢鋼業という巨大な怪物は、既に二人だけで抑えきれるほどではなくなってしまっていた。
ある時、鉄男の腹心に等しい部下だった男が兄を殺そうとした。そして、鉄男はその現場に出くわした。
鉄男は彼の行為を止めようとして、誤ってその部下を自らの手で殺してしまった。殺されかけていた、兄の目の前で。
錯乱し、どうしようも無くなった鉄男はその場を飛び出し、そのまま蒸発するように行方を眩ましてしまう。結局としてこの事件は黒沢鋼業の圧力で揉み消され表沙汰になることこそ無かったものの、鉄男の出奔後内部抗争は更に泥沼化。結果として、黒沢鋼業そのものの内部崩壊すらをも招いてしまう最悪の結末を迎えることとなった。弟・鉄男を欠いたまま、父の病死とともに黒沢鋼業そのものも歴史の表舞台から消え去ってしまった……。
だが、鉄男は死んではいなかった。そのまま破れかぶれに裏稼業に身を落とし、ストリップ・バーのドアボーイなんかの細かい副業もこなし生計を立てる日々が続いた。幼少期から父に半ば無理矢理覚えさせられた格闘術や銃器の扱いなどの護身術が、奇しくも最後に彼の身を守る武器となったのだ。
その後、鉄男は畑貴士という男と偶然知り合い、そして表向きは警備会社、裏の顔は政府黙認の超法規的武装組織『日々谷警備保障』への就職を果たす。
――――それが、黒沢鉄男の表向きの経歴だ。
本来なら、既にこの黒沢鉄男という男はもうこの世に存在していない。存在してはならない。何故かって、既にこの男は死んでいるからだ。路地裏でボロ雑巾のようになって、死んでいるはずだからだ。
では、今この男の名を、黒沢鉄男の名を名乗る彼は一体誰なのか。それは誰も分からないし、誰も知らない。彼女を除いて、黒沢鉄男を名乗る彼の真の名を知る者は殆ど居ないと言ってもいい。ごく一部の人間を除き、今の彼は名実ともに黒沢鉄男でしかないのだ。あの日々谷警備保障ですらも、この事実は把握していない……。
「俺は此処に居て、そして何処にだっていない」
俺には――――色が無い。何者でもなく、何者でもある。俺は何色でもあるのと同時に、何色にも染まらない。
「……What your color。お前の色は、一体何色なんだ――――?」
その問いの答えは、彼ですら持ち合わせてなどいなかった。




