Execute.17:It's DESTINY/孤狼と金狼
それから暫くをエマと共にパリで過ごし、そして浅倉と暁斗の二人が再び日本に戻ったという情報をキャッチした戒斗は、エマを連れ再び故郷の大地を踏み締めることとなった。そして戒斗は嘗ての己が師、今は亡きリサ・レインフィールドが遺した家を根城とし、日本での活動を再開させたのだ。
数年振りに敷居を跨いだ家は、あの当時のままで時間が止まっているようだった。血生臭くはあっても、しかし何処か幸せだったあの日々。クリムゾン・クロウの襲撃の末に今は廃校となった私立・美代学園へと通い、優衣や彩佳、レヴィたちと気怠い毎日を過ごしていたあの時。自分を「兄弟」と呼んで親しんでくれたウェズや、そしてリサとともにC.T.I.Uのエージェントとして戦っていた日々のまま、その家の時間は静止していた。
「……カイト?」
家に一歩踏み入った途端、涙を流しながら立ち止まっていた戒斗を案ずるようにエマが声を掛けてくれたのを、今でも覚えている。戒斗の服の裾を小さく摘まんで引っ張りながら、本気で心配するように顔を見上げた彼女が引き戻してくれなければ、また戒斗は立ち止まるところだった。
ガレージに収められていた嘗ての相棒たちも、地下に隠した武器弾薬も。そして今は通じないC.T.I.Uの無線機もそのまま遺されていたその家を、戒斗は新たな相棒とともに有り難く使わせて貰うことにした。内心で今は亡き師に礼を言いながら、全てに決着を付ける為に。
だが、それ以降の進展は芳しくなかった。浅倉と暁斗の二人が国内に根城を張っていること自体に間違いはないのだが、しかしそれ以上の情報が一向に掴めない。C.T.I.U時代に培った、今でも残る僅かなツテを使って戒斗は死力を尽くし奴らの尻尾を掴もうとしたが、その全てが空振りに終わってしまった。
その頃からだろうか。戒斗がエマに対して、確かな恋愛感情のようなものを抱いていたのは。
いや、それは既に恋愛感情なんて淡いものはとうに越えていた。例えるならば運命共同体。二人のどちらかが欠けても今度こそ終わってしまうような、それ程までの共依存の関係に陥ってしまっていた。
戒斗かエマか、どちらから先に言い出したのかなんて、もう覚えてはいない。いや、そもそもどちらが先とか、そういう概念自体が無かったのかもしれない。気付けば二人は互いの深みにどっぷりと嵌まり、互いが互いの傷を埋め合う強烈すぎる共依存の関係へと陥っていた。当然、当たり前のように男女の関係にも収まっていた。
「カイトの罪は、僕の罪でもある。君の犯した罪は、僕も一緒に背負わせて」
いつだったか、彼女はそんなことを言っていた。孤独に震える彼を、独りのうのうと生き延びた罪の意識に苛まれ震える彼を、そっと抱き締めてやりながらで。
「どんな結末が待ってたって、僕は最後まで君の傍に居るよ。もうこれ以上、君も僕も独りになっちゃ駄目なんだ……」
それから、どれぐらいの月日が流れただろうか。ある時戒斗は、僅かに残った昔馴染みの情報屋から妙な噂を耳にした。国内有数の鉄鋼業である黒沢鋼業が、内紛に揺れていると……。
その頃になると既にフリーランスの殺し屋として生計を立て始めていた戒斗は、ツテのツテで新たに知り合った警視庁公安部の女刑事・鷹橋冴子の依頼により、件の黒沢鋼業の内側へと潜入を試みることになった。
そこで知ったのは、黒沢鋼業のドロドロとした内情だった。病死寸前の現トップ・和也と、その跡目を兄・将史か弟・鉄男のどちらかに継がせるかという、それこそ文字通り血で血を洗うような激しい二派閥対立の後継者争い。フリーランスの殺し屋すらもが駆り出され、黒沢鋼業内の重役や下っ端が何人も命を落とした。
戒斗はというと、中でも弟・鉄男派の方へと潜り込んでいた。これでも戒斗は嘗てC.T.I.Uでもトップクラスと言われた最精鋭エージェント・コードA-9でも伝説と謳われた元・凄腕エージェントだ。たかが民間企業の内側へ潜り込むことぐらい、彼にとっては造作もないことだった。
彼の眼から見ても、手腕も実力も、そして才能ですらも弟の鉄男の方が兄よりも勝っていた。しかし肝心の本人にまるでやる気が無く、トップの座は兄に譲ろうとまでしている。そのことがこの強烈な派閥争いの根本的な原因であることは明らかだった。彼の引っ込み思案な性格と、そして兄を立てる兄弟愛が生んだ悲劇、としか言いようがないだろう。
兄も弟も、下で勝手に繰り広げられる派閥争いを止めようと必死だった。しかし黒沢鋼業という巨大な怪物を抑えつけるにはまだ二人とも実力不足で、そして若すぎた。
結果として生まれた悲劇が、鉄男の殺しだ。兄を殺そうとした自らの部下を、兄を守ろうとした彼が誤って殺してしまったという、最大級の悲劇。その一部始終を、戒斗もまたこっそりと覗き見てしまっていた。現場に居合わせたのは、全くの偶然だった。
錯乱した鉄男がその場から飛び出していけば、戒斗はたまらず彼の後を追った。暫く追いかけた後、人目に付かない裏路地に迷い込んだところで、遂に鉄男は戒斗へと接触してきた。
「貴方、多分公安の人ですよね」
否定はしなかった。すると鉄男は「答えなくても良いです」と言い、そして次にこうも言ってみせた。
「鷹橋さんからある程度のことは訊いています。ご迷惑をお掛けしました、エージェント・A-9200」
嘗ての師から受け継いだ、そしてS.I.A時代の父が使っていたコードネームが鉄男の口から飛び出してきたものだから、戒斗は思わず心臓が裏返りそうになるほど驚いた。
「……今の俺はA-9202でも、まして伝説のA-9200でもない。ただのしがないフリーランスだ」
「それでも、構いません。それよりA-9200、貴方に聞いて欲しいことがあります」
そこで、鉄男は手短に語った。己が既に兄・将史派の人間に暗殺を企てられていること。それは逃れようもなく、既に遅効性の毒も盛られ余命幾ばくもないことを。
「このままのうのうと生きるぐらいなら、死んだ方がマシです。でも、あんな目先の利権しか考えていないような彼らの掌で踊らされて死ぬのは、まっぴら御免だ」
「……それで、アンタは俺に何をしろと?」
「殺してください、僕を」
真っ直ぐな眼差しで、しかし何処か呼吸を荒く、血走った眼で言った鉄男の言葉に「冗談だろ?」と戒斗は困惑気味に返す。しかしキッと見据えた鉄男の真っ直ぐすぎる双眸は、とても冗談を言っている風には見えなかった。
「そして、僕の名前も戸籍も、全て貴方に譲ります。エージェント・A-9200、今日から貴方が黒沢鉄男だ」
「……冗談だろ?」と、戒斗。「なんで俺が、アンタの名前を引き受けなきゃならない?」
「ふふっ、僕だって裏事情には結構詳しいんです。……数年前に起こったC.T.I.Uの壊滅と、A-9200の失踪。それから少し前、クリムゾン・クロウが壊滅したことも聞きました。恐らくはA-9200、貴方の手で。
……ですが、貴方にはまだ成し遂げていない目的があるはず。僕の名前を使えば、その手助けが出来るかもしれない」
「しかし……」
「どうせ、僕は遅かれ早かれ死に往く身です。でもどうせ死ぬのなら、貴方のような人に僕の名前を使って欲しい。まるで意味の無い人生だったけれど、でも貴方に使って貰えることで、初めて僕の人生は有意義だったモノに思えてくる」
「アンタ、一体……」
「一体も何も、僕はただの若造ですよ。どうしようもない、最後まで馬鹿だった、ただのボンボンです」
ニッと最後に自虐めいた笑みを浮かべると、すると鉄男は急に身体から力が抜けてがっくりと膝を折り。そしてそのまま、地面に倒れ込んでしまった。
「お、おい!」
焦った戒斗が揺すり起こそうとするが、鉄男は反応を示さない。脈も既に途絶えていた。
……毒殺だった。将史派の人間が盛った遅効性の毒が、予定より早く効いてしまったのだろう。
こうして、本来の黒沢鉄男は天に召された。彼が託した生前の意志に従い、戒斗は彼の遺体を極秘裏に処理し。そして黒沢鉄男は生きているとして、裏稼業に身を落とした旨のカヴァー・ストーリーも巷に流させた。
――――目的の為に、自分の名前を使って欲しい。
最期まで空虚だった男が今際の際に託した願いを、戒斗は無碍にすることが出来ず。そのまま彼は表向きの顔を黒沢鉄男の仮面で塗り替え、そして戦部戒斗という男は表舞台から完全に消え去った。嘗てC.T.I.Uの伝説だったコード・A-9のエージェント、A-9200の名と共に……。




