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Execute.14:ENARGY OF LOVE/寄り添う金狼と孤独な復讐者

 そのまま真っ直ぐ社用車のアウディで日々谷警備保障本社に戻った鉄男だったが、結局その日は社長の計らいで早期退社が許可され。午前二時の昼下がりといった頃合いになれば、彼は私物の車で自宅に戻ってきていた。

 隣接する広いガレージへ私物の車――真っ赤なスバル・WRX-S4を後ろ向きに突っ込み、そしてインパネの裏側に隠したスウィッチを押して前後のナンバープレートを回転。偽装品から正規のナンバープレートへと切り替えてからエンジンを切り、車を降りてガレージのシャッターを閉める。そして玄関に回り鍵を開け扉を開くと、何だか食欲を誘うようなかぐわしい匂いが奥から漂ってきていた。

「あ、おかえりっ。今日は早かったんだね?」

 靴を脱ぎ、玄関に上がり。そして脱いだ日々谷のジャケットを肩に提げ奥のダイニング兼リビングの広い一室へ歩いて行けば、キッチンに立っていた彼女――エマ・アジャーニが彼の存在に気付き、振り返って柔らかな微笑みで出迎えてくれる。

「予定外だけどね。社長が今日は仕事無いからさっさと帰って良いって言うから、お言葉に甘えたってワケさ」

「そっか。丁度お昼作ってる所だけれど、よかったら君の分も作ろうか?」

「頼めるか?」

「うんっ♪」

 ニコッ、と振り撒く、彼女の太陽のような柔らかな笑顔。そんな彼女の小さな仕草ひとつを見ただけで、張り詰めていた肩肘から力が抜け落ち。そして彼の顔からは、黒沢鉄男の仮面がコトリ、と音を立てて外れていく。凍り付いていた表情は自然と綻び、重苦しかった呼吸は安らぎ。彼女に出迎えられた今だけは、自然体になることができた。

 出逢った時に比べて少しだけ伸ばした、しかし何とかショートカットの部類に入る金糸のようなプラチナ・ブロンドの髪を揺らしながら、瑞々しい日本人離れした白人特有の白すぎる肌にほんの少しだけの汗を滲ませて。そうしてキッチンに立つ彼女の後ろ姿を横目に眺めながら、彼は肩に引っ掛けていた日々谷のジャケットをリビングのソファへ雑に引っ掛けた。

 そうして、身に着けていた装備類も外して次々とテーブルの上に並べていく。シグ・ザウエルP226-E2にスタームルガー・SP101。それに対応するホルスターと弾倉ポーチ、それにSP101用の.357マグナム弾が五発一纏めにされたスピードローダーが幾つか。ベンチメイド・9050AFOの飛び出しナイフと、日々谷から支給されている社員連絡用スマートフォン。日々谷警備保障に関わる全てを、偽りの存在である黒沢鉄男に関わる全てを身体から切り離し、そしてテーブルの上へ並べた。此処に戻ってきた時だけは、エマの傍に居るときだけは、黒沢鉄男としての己を忘れたかった。

「……♪」

 鼻歌なんか小さくハミングさせながらキッチンに立つエマの後ろ姿をチラリと横目に見て、そして彼は表情を弛緩させるとソファに漸うと腰掛けて。そして、テーブルの上に置きっ放しにされていた本を手に取って栞の挟まれたページを開いた。

 読書は、黒沢鉄男としてでない、本来の彼自身の趣味の一つだった。今手に取ったのは「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」。1968年に敢行された、SF作家フィリップ・K・ディックの代表的な作品の一つだ。「ブレードランナー」の名で映画化された物の原作だが、内容がまるで違う為に基本的には別物と捉えた方がいいだろう。

 そうして暫く読書に耽っていると、あるタイミングで「出来たよっ」とエマが声を掛けてくれる。彼は再び本に栞を挟んでパタンと閉じると、読みかけのそれをテーブルに置いてソファから立ち上がり、ダイニングテーブルの方へと赴いていく。

「はい、お待たせっ」

 と、キッチンから戻ってきたエマがダイニングテーブルの上に並べるのは、キッシュロレーヌを中心とした幾つかの軽食だ。中でもキッシュロレーヌは彼女が作っているのを見たことが無いので、少し驚きながら彼が「珍しいな」と言うと、

「かなり昔に何度か作ったっきりだから、思い出しながら試しでって感じかな。ホントは上手く出来てから君に試して貰おうと思ってたんだけれど、良い感じに出来たからね」

 と、ニコニコと笑顔を振りまきながら彼女も席に着く。キッシュロレーヌはフランスでもドイツ国境に面したアルザス=ロレーヌ地方の料理だ。あちら方面の出身でない彼女があまり作った経験が無いのも、当然といえる。

「でも、早く帰ってきてくれて、ちょっと嬉しいかも」

「喜んで貰えたなら何より。ホントなら毎度毎度、これぐらいに帰ってこれると良いんだけどさ」

「あはは、仕方ないよ。でも今日はラッキーだったね」

「全くだ」

 二人でダイニングテーブルを挟み向かい合って昼食を摂りつつ、微笑みを交わし合いながらそんな他愛のない会話をエマと彼が交わす。こんな取り留めの無い会話でも、しかし彼にとっては何よりも貴重で、そして唯一肩肘を張らずに済む時間だった。黒沢鉄男としての偽りの仮面を被らずに済むというだけで、それだけで彼にとっては心安らぐひとときだった。

「……手掛かりは、掴めた?」

 そんな風に会話を交わしていると、するとふとした時に食事の手を止めたエマが、軽く俯きながらそう、彼に問いかけてきた。

「良い感じのネタは、残念ながらゼロだ」と、彼もまた少し残念そうに答える。するとエマは「……そっか」と深く頷いて、

「焦っても仕方ないもんね、こればっかりは」

「出来ることなら、早めに決着を付けちまいたいんだけどさ……」

「仕方ないよ、相手のある話だし。焦りすぎはよくないよ? カイト、君の悪い癖だ」

 ふふっ、と柔らかく微笑みながら、小さく首を傾げる仕草なんて見せつつエマは口にした。カイト、と。何処か愛おしげに、彼の本当の名を。彼女しか知らない、彼の本当の名を口にした。

「エマに言われちゃ、俺も形無しって奴だな……」

 ――――カイト、或いは戦部戒斗(いくさべ かいと)

 冗談っぽく大袈裟に肩を竦めてみせ、そして彼女に向かってそう言う彼の本当の名だった。殆ど捨て去った、黒沢鉄男の仮面を被り踊り狂う復讐者(アヴェンジャー)の名。それこそが彼――――戦部戒斗だった。


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