Execute.119:STRIKE ENFORCER./やくそく
「カイト、眠れない?」
その日の夜、二人に宛がわれた一階の一室。広いベッドに横になった戒斗が一人小さく息をついていると、隣に寝転んでいたエマがそう、小さく囁きかけてきた。
「……まあな」
眠れない原因の大半は、時差ボケだ。世界中を股に掛けてきただけに、すっかり時差ボケ対策にも慣れたものだと思っていたのだが。それでもここ暫くは外に出ることがなかったせいか、久し振りの長時間に及ぶフライトで、時差ボケが酷いことになってしまっていたらしい。
でも、原因はそれだけじゃなかった。もう一つの原因は、この場所が合衆国で。そして……ロス・アンジェルス市の一角であるということ。そして――――此処が、あまりに因縁深い場所であることだった。
「そっか」
そんな戒斗の呟きに、エマは小さく頷くと。掛け布団の下に埋めた身体を小さく動かす。
微かな衣擦れの音がして、素肌と素肌が触れ合う。抱き寄せてくるようなエマの仕草に、戒斗は敢えてされるがままにして。仰向けになっていた身体をくるりと横倒しにすれば、枕に横たえた彼女の顔がそこにあって。フッとアイオライトの双眸と眼が合えば、二人は自然と小さく笑い合う。
「そういえば、この場所はカイトにとって、色々と忘れられない場所だったもんね」
エマの言葉に、戒斗は「……かもしれない」と小さく頷いた。
――――忘れられない、場所。
その通りだ、と戒斗は思った。ロス・アンジェルス、全てが始まった場所。この場所は、戒斗にとってあまりに思い出深すぎる、そして辛い記憶を想起させる場所だった。
師だったリサは当然として、優衣や遥たちとこの場所を訪れたこともある。親友だったウェズや、色んな奴とこの街で過ごした。ハリーやクララ、ミリィ・レイスと出逢ったのも、このL.Aの街でのことだった。
それに、幽霊の異名を持っていたあの男。恐らくは華僑系の血を引く、あのアジア人の殺し屋と出逢ったのも、この街でだった。あの男の名は……確かジョン・リーと言っただろうか。今頃、何処で何をしているのだろうか。そもそも、今も生きているのだろうか……。
そんなことがあってか、このロス・アンジェルスという街は、戒斗にとってあまりに因縁の深い街と言えた。だからか、色々な思い出が想起されてきてしまう。時差ボケ以外に眠れない理由は、きっとそういうことがあってのことだろう。
「……不安?」
囁きかけるような細い声音で、エマに訊かれて。戒斗はそれに、すぐ首を横に振ることは出来なかった。
不安でないと言えば、嘘になってしまうから。些細なことでも、出来る限り彼女に嘘はつきたくなかったから。だから、戒斗は否定できなかった。
「もう少しだから」
そんな風に戒斗が無言のままでいると、エマは彼の身体に手を伸ばし、頭から胸に抱き抱えるようにする。微かに感じる仄かな甘い匂いが、小さく鼻腔をくすぐった。
「もう少しで、あと少しで、全部終わる。
……だからって、頑張ってとは言わないよ。「頑張れ」って言葉は、何となく呪いとよく似てるから」
「…………」
「だから、頑張らなくてもいい。君は君に出来ることを、君のペースでやれば良いんだ」
でもね、とエマは言って、
「それでも、無理はして欲しくない。無理をして、君が壊れてしまうぐらいなら。僕はそんなもの、要らない」
ぎゅっ、と抱き締めてくる腕の力が、少しだけ強まっていく。
「……本当はね、僕も不安なんだ。君を送り出すのが、怖くて怖くて仕方ない。いつもだって、これで最後なんじゃないかって思うことがあって、それで不安になる。特に今は、そうなんだ」
「……すまない」
「謝るようなことじゃないよ、だって仕方ないことなんだから。
――――でもね、僕は行くなとは言わない。君がするべきコト、君が為すべきコトで、君がやり残したコトだって、僕は知ってるからね」
でも、それでも。これだけは約束して。
「必ず、僕たち二人で帰るって。離ればなれにならないって、僕たち二人で終わらせるって。僕を置いていったりしないって……約束、して欲しい」
「…………ああ、約束だ」
「うん、約束」
抱き締める腕が、手のひらが、そっと髪を撫でた。白すぎるほどに白く、長く華奢な指が黒い髪を撫で、掻き分ける。
そんなエマの首に、戒斗は自分が今まで首から提げていたモノを外し、掛けてやった。
前に彼女から託されたっきり、返し損ねていた金のロザリオだった。エマが亡き母から貰ったという、形見のロザリオを。戒斗はもう一度、彼女の首に掛け直してやった。
「……君に、持っていて欲しかったんだけどな」
「今は返す。たまには、元通りの場所に収まらないと」
「分かったよ、そうする」
エマは小さく肩を竦めると、一度離れていた彼の身体を再びギュッと抱き寄せた。戒斗はされるがまま、彼女の胸元に額を預けて。
「君は、もう独りじゃない。それを、忘れないで。それさえ忘れなければ、きっと君は大丈夫だから」
――――もう、独りじゃない。
傍に在る強すぎる想いが、感じる温もりが。そっと撫でる彼女の指先が、それを確かな形として感じさせてくれる。愛おしくて儚くて、掛け替えのない、そんな確かな感触として。
全てを忘れて、今だけは。今だけは、この柔らかな安らぎの中に沈んでいたかった。




