Execute.114:Deux personnes ensemble./蒼のアネモネ
「――――でね、葉月さんに似合うスカートをね、見つけてあげたんだよっ♪」
その日の、夕餉の頃。帰宅した戒斗と一緒になってダイニング・テーブルで夕飯を突きながら、エマは笑顔いっぱいで楽しそうに、今日のことを戒斗に話していた。
「そうか、そんなことがあったのか……」
そんな彼女の思い出を壊すまいと、戒斗は知らぬふりを装って、淡い笑顔で彼女の言葉に相槌を打ってやっている。
本当は全部見ていたし、彼女に対して嘘はつきたくないけれど。でも、戒斗は敢えて今だけは。今だけは自分の掟を破り、エマに対して嘘をついていた。彼女の楽しい思い出を壊さない為の、優しい嘘をついていた。
「うんっ! すっごく、すっごく楽しかったんだぁー♪」
エマも、このことを戒斗に隠しておくか、実は彼が帰ってくるまで悩んでいた。
だって、戒斗は根本的に安藤葉月のことを、心の底から信用しきっているワケじゃあない。あくまで利用し、利用され。戒斗にとって安藤葉月とは、とどのつまりそういった関係でしかない相手だ。
だからこそ、エマは今日のことを彼に言うべきか言うまいか、悩んでいた。悩んでいたが……しかし、帰ってきた彼の顔を一目見るなり、すぐに決断は出来てしまった。今まで悩んでいたのが嘘みたいに、あっさりと。今日のことを話そうと、そう決意出来ていた。
「それから、二人でたい焼きなんか食べたりして♪ 美味しかったなぁ、また食べたいなぁ」
「なら、今度行くか?」
「うんっ! カイトとなら、きっともっと楽しいよっ!!」
「そんなもん、なのか……?」
「そうだよ、当たり前だよっ!」
それから、エマは夕飯を平らげ終わるまで。今日あった出来事を、一つ一つ思い出しながら。目の前の彼に、誰よりも愛しい彼に話し続けていた。楽しい思い出を、彼と共有したかった。結局、その気持ちの方が強かったんだ。
「あ、そうそう! カイトってば、寒いって言う割に裸足で歩くでしょ?」
夕飯が終わり、後片付けも済んだ後。二人で食後のティータイムと洒落込んでいた時、ふと思い出したエマはそう言うと席を立ち。リビングの隅にあった袋を手繰り寄せれば、取り出したその中身の一つを「はいっ♪」と、戒斗へと差し出してきた。
「だから、今日ついでに買ってきたんだ。冷えは末端から来ちゃうからね。だから、ちゃんとこれ履いて過ごしてね?」
それは、葉月と一緒に買ったルームソックスだった。もっこもこの、いかにも暖かそうな奴を、彼女は戒斗に差し出してくれた。
「……ああ、そうか。ありがとう、早速今日から使うよ」
自分を案じてくれた、彼女の気持ちが。その心遣いが、ただただ嬉しくて。戒斗は意味も分からず緩んでくる涙腺を必死に締め上げながら、心の底からの笑みでそれに応じる。
「まあ、一回はお洗濯しなきゃなんだけれどね。今日から使うって言ってくれたのは嬉しいけれど、残念ながら明日からだよー?」
「おいおい……」
そんなこんななやり取りを交わし、エマはまた戒斗の対面にちょこんと座って。二人で他愛の無い話を交わし合いながら、ゆったりとした食後のティータイムを過ごす。
「ん?」
と、そんな折だった。マグカップを掴むエマの左手、その細い中指に、小さな指環が嵌められていることに戒斗が気付いたのは。
「エマ、その指環」
何となく、それが何かは分かっていた。だが戒斗が敢えて直接聞いてみると、エマは「ん、これ?」と言って、ニコッと微笑む。
「これね、葉月さんとお揃いの、買っちゃったんだー♪」
ニコニコと、柔らかく微笑みながら。エマは右手の指で、左の中指に嵌めたその指環を――蒼いアネモネの花があしらわれた、その指環をそっと撫でる。
「……そうか、お揃いの」
戒斗はフッと小さく笑うと、彼女の方に手を伸ばし。エマの左手をそっと取って、反対側の手で挟み込むようにして。そして、彼女が中指に嵌めたその指環を、蒼いアネモネの指環を、彼女の指ごと、そっと自分の指で小さく撫でてみた。
「良いじゃないか、よく似合ってる」
本当に、よく似合っていた。瞳の色とは少し違うけれど、でもエマらしい色だ。
「……ねえ、カイト」
そうして、されるがままに左手を撫でられながら。エマはポツリ、と戒斗に話しかける。
「どうした?」
「花言葉」
「……?」
「アネモネの。蒼いアネモネの花言葉、知ってる?」
訊かれた戒斗は、「いや」と首を横に振った。生憎と、花言葉の類には詳しくない。
「……君を、信じて待つ。或いは、硬い誓いってのも、あったかな?」
そう言うと、エマは自分の左手を撫でていた戒斗の手に、右の手のひらを重ね。そして、軽く握り締めた。
「エマ……」
「僕は、君を信じてるから。だから、待つ」
でもね――――?
言い掛けたところで、エマは身を乗り出し。一瞬、その唇を彼の唇と重ねた。瑞々しい、小振りな唇がきゅっと触れれば、しかし戒斗はどうすることも出来ず、ただされるがままにそれを受け入れる。
「――――置いてったら、嫌だよ。独りぼっちにしたら、嫌だからね」
「分かってる、分かってるよ、そんなこと。エマ、俺を誰だと思ってる?」
「君は君さ。カイトは、カイトだよ。僕にとって一番大事な、掛け替えのない……たった一人の、君だから」
二度、三度と、唇が重なる。まるで、自分のことを深くまで刻みつけるかのように。そんな彼女の口付けを、戒斗はただ、彼女の赴くままに受け止めていた。
「君は、独りぼっちなんかじゃない。僕も、君がいるから独りきりじゃない。
…………ずっと、ずっと一緒だよ。ずっと一緒じゃないと、嫌だよ……?」
「俺の台詞、全部とってくれたな。……分かってる。俺だって、嫌だよ」
「なら、離さないで……?」
「君の方こそ。手綱をしっかり握っておいてくれないと、俺は何をしでかすか分からない」
「ふふっ……。そっか、そうなんだよね……」
最後に、エマが小さく微笑んで。そこから先は、もう言葉なんて必要無い。言葉なんて野暮なモノ、必要無かった。
ただ、触れているだけで。ただ、そこにいることを感じているだけで。愛おしい彼が、愛おしい彼女が。そこにいてくれるだけで、何処か救われたような気分に満たされる。
――――独りじゃ、ない。
それが、どれほど尊いことか。それが、どれほど幸せなことか。人並み以上に知りすぎていた二人だからこそ、互いを強く求めすぎる。それこそ、依存するほどに。
でも、それでも。それでも構わなかった。戒斗も、そしてエマも。そんな関係が、寧ろ居心地良かった。互いが互いを求め、必要とする。どちらが欠けても、もう片方が成り立たない。ヒトから見れば、もしかしたら歪かもしれないけれど。でも、それが良いのだ。
だからこそ、二人が互いを必要としているからこそ、二人は唇を交わし合う。ヒトより多くのモノを見すぎて、多くのモノを喪いすぎた二人だから。故に、二人は互いを必要とした。
口付けを交わし合いながら、夢見るのは全てが終わった先のこと。遠い未来なのか、すぐ近くなのか、それは分からないけれど。でも、その先で確かに二人は生きていけると、戒斗もエマも、確信していた。
確たる根拠は、ない。そんなもの、何処にだってアリはしない。でも、何故だか不思議と信じられるのだ。独りきりでは生きられなくても、そこにいてくれるのなら。
なら、きっと生きられると。戒斗も、エマも。そう確信していた。
「カイト、君は僕が護るから。君の心は、僕が受け止めるから……」
――――華奢な左手の、中指で。小さな蒼いアネモネの花が、微かに揺れていた。




