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Execute.109:Deux personnes ensemble./男二人、交差線と並行線と

 そんな服飾店の店舗を、外から一望できる位置にある広い通路には、休憩用のソファが置いてあって。そこでは何故か、横並びに座る二人の男がだんまりを決め込んだまま、何故か同じように新聞を広げていた。

「……何なんだよ、この状況」

 と、そのソファに横並びに座る男二人の、比較的若い方。その男の口から、恐ろしいほどに低い声が漏れた。男の表情は、掛けたサングラスのせいで大して分からないが。しかし左眼にうっすらと走る、一条の刀傷めいた傷跡がサングラスの端から零れていた。

 その男は、他でもない戒斗だった。そして、隣に座るもう一人の男……四十代ぐらいと見受けられる壮年の方は、葉月の執事である松代忠仁だ。この二人が、男二人で平日の真っ昼間から楽しく……というワケでもないが、こうして行動を共にしている理由(わけ)は、敢えて述べる必要もないぐらいに分かりきっているだろう。

「先刻、お電話で申し上げた通りです。葉月様が、アジャーニ様をお誘いになられ、ご一緒にこちらへお買い物においでになった次第で」

「ふざけるなよ、大体なんでエマなんだよ」

「わたくしには、葉月様のお考えは図りかねます。……というよりもだ、そんなことは俺の方が聞きたい!」

「貴様に推し量れぬこと、俺に分かるはずもない!」

 低く、小鳥の囁きが如き小声で。新聞を広げた二人は店の中のエマと葉月どころか、周囲を行き交う通行人にすら気取られないほど静かに言い争っていた。

 松代が小さな溜息とともに襟元のネクタイを緩め、解き、それをスーツジャケットのポケットへ雑に押し込む。戒斗のようにサングラスでささやかな変装をしているわけでもない松代の、気持ち程度の変装のつもりだった。

「ったく、ワケ分かんねえな……」

 そんな松代を横目に、独りぼやく戒斗。会社を飛び出したあの後、私物の方のスマートフォンで松代と更に話しつつ、何だかんだでこうして現地集合になってしまっていたのだ。

 そして、松代と落ち合い。なけなしの変装をして近寄っていけば、見える光景はこんな意味不明なもので。人生で一番かってぐらいに急いで車を飛ばしてきた戒斗が、今の光景を見た途端に拍子抜けして、それこそ派手にズッ転けそうになったぐらいだ。

 だから、さっきから延々と溜息が漏れ続けている。ガラでもないのに、それこそ煙草の一本でも吹かしたいぐらいの気持ちだ。……尤も、紫煙はどうにも身体に合わないから、吸いたくても吸えないのだが。

「大体、何でまたあの女の脱走を許したりなんか。アンタの家、セキュリティ穴だらけじゃねえのか? 何なら良い専門家を紹介出来るぜ」

「……それに関しては、わたくしどもの方に落ち度が多すぎて。戦部様には、もうただただ頭を下げるしかないのです」

 八つ当たりするみたく全力で皮肉る戒斗に、いつもの執事モードの体裁を整えた松代が「こほん」と小さな咳払いの後で、そう頭を低く低く、それこそ地面にめり込むんじゃないかってぐらいの勢いな低姿勢で詫びて。しかしその後で「……ですが、一つ言い訳をさせて頂きたい」と続けるものだから、戒斗はそれに「聞くだけ、聞いておいてやるさ」と応じた。

「葉月様、ああ見えて……と申すのも失礼なのですが。その、車の運転がですね、お好きなのです」

「おい、まさかとは思うがよアンタ」

「……ええ、チギられましたよ。それも、真っ昼間に」

「おいおい、洒落になってねえよ……?」

 思わず新聞を畳み、戒斗は頭を抱えてしまった。執事がそれで良いのか。お姫様にブッチぎられるようで、本当に良いのか。執事としてマジでどうなんだ。

 と、そこまで考えたところで戒斗はハッとする。

「一応訊いとくけどよ、あの女の車って……」

「……ルノーの、メガーヌRS。275で、しかもフルチューンだ」

「ああ……うん、その、悪かった」

 前輪駆動車でも、世界最強クラスのメガーヌRSだ。まして"そういう趣味"の葉月が相手ならば、たかが執事の端くれでしかない松代がチギられるのも、さもありなんというか。何だか責めてしまったのが申し訳なくなってくるぐらいに、今の戒斗の眼には、松代がやたらと気の毒に映っていた。

「……にしても、だ。それ以前に止められただろうに。なんでまた、阻止できなかったんだ?」

「逆にお尋ねしますがね、戦部様……あのお二方の顔を見て、貴方は止めることが出来ると?」

 松代に問われ、戒斗は新聞の端からチラリと店の方を、中に居る二人の方を覗き見た。

 すると、眼に飛び込んできたのは。ちょうど試着室のカーテンを開けた葉月に、エマが「わーっ! かーわいぃーっ!!」なんて叫びながら思いっきり抱きついているシーンだった。葉月は「ふぇぇぇっ!?!?」と戸惑いながら顔を真っ赤にしてはいるものの、二人とも眩しいぐらいの笑顔だ。それこそ、自分たち二人が浄化されて、灰になってしまいそうなぐらいに。

「……悪い、前言撤回だ。さっきの言葉は忘れてくれよ」

「承知致しました。ええ、戦部様のお気持ち、察するに余りありますとも」

 二人は互いの顔を見ないまま、深い言葉を交わし合わないまま。ただ、一つの共通意志のもとに頷き合っていた。

((尊い…………))

 こんな具合の、共通意志だ。嬉しさオーラ全開で抱きつくエマに、抱きつかれて照れくさそうにする葉月。こんな風な女の子二人の、これ以上に尊い光景があるだろうか。

 いや、ないだろう。あるはずもないのだ。

「……最初は、ゼロヨンで俺が勝てば、大人しく引き返すって約束だったんだ。なのに、なのに……エスで加速負けするって何なんだよ……」

 ブツブツと独りでぼやき始めた松代に、戒斗は掛ける言葉も見つからないまま。ただ、その肩をポンッと叩くだけだった。

 ちなみに、松代の言う「エス」というのは、ホンダのオープンスポーツ、S2000のことを指していると思って間違いない。前期型なら二リッターのF20C、後期型なら二・二リッターのF22C。どちらもホンダ脅威の可変バルタイ・システム、VTEC(ブイテック)を備えた直列四気筒のツインカム・エンジンを備えた名機だ。

 ホンダにしては久方振りの後輪駆動車ということもあり、癖や欠点が多いマシーンではあるが。しかし、決してメガーヌRSに劣るような相手ではないのは事実だ。松代の口振りから察するに、ある程度のチューンアップも施していたのだろうが。それでも葉月のメガーヌRSにゼロヨンバトルで負けてしまう辺り、もう乗り手の技量の差と言わざるを得ないだろう。故に戒斗は言葉を掛けぬまま、ただこうして肩に手を置いてやるだけにしていたのだ。

「「はぁ…………」」

 なんて風な察し合いを経て、二人は遠く二人の方に視線をやっていた。まるで、遠い遠い、手の届かない光を求めているかのような、手を伸ばそうとしているかのような。そんな眼差しで、二人はエマと葉月の二人をぼうっと眺めていた。どちらからでもなく漏れ出てしまう溜息も、当然のように重くなっていて。

「なあ、松代さんよ」

「はい」

「笑ってるな、二人とも」

「……ええ、とても」

 変な話だ。変な話だが、その気になってしまえばこの店ごと、いやショッピングモールごと買い取れてしまうだろう。葉月の資金力は、まるで漫画の世界みたいに凄まじいのだから。

 なのに、葉月は悩んでいた。「どれが良いでしょうか」なんて、エマと相談しながら迷い、笑って。そして、一つ一つを大切そうに選んでいる。

 そんな葉月の様子が、戒斗の眼からはいやに奇妙に。そして松代の眼には、あまりに尊く、そして儚く見えていた。

「あれが、本来のあの女。あれが、本来の安藤葉月なのか?」

「……本来、というのは、ちょっとした解釈違いだ」

 執事モードで取り繕うのをやめ、完全に口調を素に戻した松代の方を一瞥して、戒斗は店の方へとまた視線を戻す。

「お前の知っている葉月も、そして今の葉月も。その全部を含めて、その全部が葉月なんだ。今みたいな顔が出る機会がない、機会に恵まれてないだけで、別に隠してるワケでも、抑えようとしてるワケじゃないんだ。

 …………お前さんだって、知らないじゃないだろうに。普段はあんなだが、平気な顔してコンビニ寄ったりするからな」

「みどりさんにそそのかされて、飴玉なんぞ買ってたりな。話には聞いたことあるぜ、それ」

 戒斗が言うと、松代は「そうか」と頷き、フッと小さく口角を釣り上げた。何が嬉しかったのか、その理由(わけ)は、何となく戒斗にも察せていた。

「ま、出す機会は滅多にありゃあしないんだ。哀しい話だが、そういう生き方を選んだんだ。他でもない、葉月自身が選んだんだよ。

 ……だから、線は交わらないんだ。決して、永遠に。何処までも真っ直ぐで、近づくことも離れることもない、哀しいまでの平行線」

 その言葉の意図を、言葉の裏に隠された、松代の本音を。戒斗は隣り合う彼の方を見ないまま、言葉も介さないまま。ただ、そのままの形で受け止め、そして感じ取った。自らの背負う重圧に耐えきれずに、ポロリと零れてしまった、ひとしずくの欠片を。

「アンタは」

 本当なら、何も言わない方が良かったのかも知れない。

 本当なら、何一つとして言葉を返してやらない方が、彼の為になったのかもしれない。

 それでも、戒斗は口を開かずにはいられなかった。嘗ての自分の影と、昔の記憶の中に居る自分と、松代の影とが不思議と重なってしまっていたから。言わない方が良いと、分かっていたのに。なのに戒斗は、松代に向かって返す言葉を口にしてしまっていた。

「アンタは、本当にそれで良いのか?」

 当然だ、と松代は即答する。

「でなきゃ、そもそも俺は此処になんぞ居やしないさ。でなけりゃ、最初からお前と知り合ってなんぞいない」

 そんな松代の言葉に、後悔だとか哀しみだとか、そういう後ろ向きの感情は籠められていなかった。不思議なまでに、彼の言葉は……変な話、爽やかすぎるぐらいだった。

「……松代さん、アンタって奴は」

 少しの驚きと、彼の抱く並々ならぬ覚悟への、敬意と勝算を抱きつつ。戒斗はチラリと横目を向け、サングラスの隙間から隣り合う彼へと視線を向けた。ほぼ同じタイミングで同じように横目を向けて来た松代と、真っ直ぐに互いの視線が交錯し合う。

「でも」

 と、視線を交わし合ったままで松代は言って。

「……もしも、もしもその時が来たのなら。来てしまったのなら。その時は…………」

 その時は、もう何も関係ない。知ったことではない。だって、そうなってしまった時は、そうなってしまった後なのだから。

「――――迷わずに攫ってやるさ。他でもない、この俺が」

 いつか、そんな時が来て欲しい。でも、出来ればそんな機会、訪れない方が良い…………。

 松代は浮かべる儚げな表情の裏で、相反する想いを抱いていた。ただ独り、理解者など居ないままに。

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