Execute.105:重なる影の記憶、追憶とありふれた夜の一幕
「へー、そんなことがあったんだ」
「話し忘れてたんだけどね。そんでも、気付いたのはこの間のことだ」
とまあ、刻は暫く流れ、その日の晩のことだった。自宅のダイニング・テーブルで二人向かい合って夕食を突っつきつつ、エマと戒斗が他愛のない話に華を咲かせていたのは。
「でも、意外だな。あの彼が……アインが、まさか君の会社に居ただなんて」
「驚いたなんてモンじゃ無かったって。前々から野郎と妙に被って見えちゃいたけど、まさかまさかの本人ってオチだ。顔にゃ出さなかったけど、ひっくり返りそうになったよ」
「あはは、何だか想像できるよ」
「出来ればしないで貰えると助かる」
箸を片手に、楽しげに笑うエマ。何気なしに思い出した戒斗が彼女に話したのは、彼――――香港で出逢ったあのアインが、畑貴士として日々谷に籍を置いていたことだった。
気付いたのはあの早朝、サナトリウム襲撃を終えた後の会社屋上でのことだった。それを忘れて今の今まで彼女に話しそびれていたのを、今日の業務訓練を切っ掛けに思い出し。そして、こんな風に話しているといった具合だ。
戒斗の口からアインのことを聞いたエマは、最初は眼を見開いて意外そうにしていたが。しかし話が深くなっていく内に、何となく彼女の中で納得したのか、次第に「……そっか」といった風に、何処か安堵したみたいな、そんな優しげな顔に変わっていった。
彼女としても、アインに対して思うところはあるのだろう。直に接したのは僅か数時間と、直接拳を交わした戒斗に比べれば格段に短い。話した言葉も、二〇にすら満たないだろう。一つの拳は百の言葉にも勝るコミュニケーションではあるが、そうして言葉を介さないまま深くまで彼と交わした戒斗とは異なり、エマにとってのアインという人物は、思いのほか薄い存在なのだ。
それでも、エマは彼のことを覚えていた。彼のことを告げれば、こんな風な表情を浮かべてくれた。それが彼女の持つ深すぎるほどの慈悲深さであり、思いやりの深さであり、そして優しさなのかもしれない。
だから、戒斗はそんな彼女の表情を見て、心の底から嬉しく思っていた。嬉しく、そして愛おしく。ヒトのことを言えないぐらいに優しすぎる彼女の優しさに、何故だか戒斗は異様なまでの嬉しさを抱いていた。それこそ、意味も分からず目頭が少しだけ熱くなってきそうなぐらいに。
「……カイト、どうかした?」
とすれば、エマはそんな戒斗の様子を怪訝に思ったのか、きょとんとした顔で訊いてくる。戒斗はそれに「何でもない」と首を横に振り、否定した。
「ま、いっか。それよりカイト、明日までお仕事だっけ?」
「ん、だな」頷く戒斗。「最近は何をどんな気を遣ってるのか知らないけど、前より休みが多くなってるからな。明日が終われば、三日ぐらいは休みさ」
「お休みが多いのは、悪いことじゃないよ。
――――ん、分かった♪ じゃあ明日のお夕飯は、少しだけ豪勢にしようかなー?」
「上手い具合に言い訳付けて、夕方頃には帰るようにするよ。その後で買い出しだな」
「もうっ、僕だって一人でお買い物ぐらい出来るよー? カイトは相変わらずの心配性だなぁ」
「性分だ、こればっかりはどうしようもない。それに、まだ全部が終わったワケじゃないんだ。用心するに越したことはない、だろ?」
「えへへ、君と一緒にお出かけするのは好きだからさ、寧ろ嬉しいぐらいなんだけどね」
「納得してくれたなら、何でも構わないさ」
楽しげな笑顔を浮かべるエマと、それに少しだけ苦笑いっぽく、しかし同じように気楽そうに笑う戒斗。そんなこんなで食事の時間はゆったりと過ぎ、夜はどんどん更けていった。




