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Execute.100:STAND ALONE COMPLEX./Complete Mission, ――RTB.

 カーテンの隙間から差し込む朝焼けに(いざな)われ、エマ・アジャーニが眼を覚ますと。しかし彼女の真横、まだ温もりの残っているベッドの中に、愛しい彼の姿は何処にも無かった。

「ふわぁぁ……っ」

 欠伸を掻き、ベッドから半身を起こして伸びをする。掛け布団が捲れ、一糸纏わぬ真っ白い肌の上体が露わになる。綺麗な桃色をアクセントに添えた、確かな存在感のある双丘が微かに揺れれば、エマは寒さにぶるっと身を震わせて再び掛け布団を肩に羽織った。まだ寒い二月の朝だけあって、何も身に着けていない姿ではあまりにも寒かった。

「今日も寒いね……凍えちゃいそうだ」

 ぷるぷると身を震わせながらひとりごち、とりあえずは何か着なければ始まらないと、エマは手近にあった自分の衣類を手繰り寄せた。

 上下の下着を手早く身に着け、その上から衣類を着て、更に適当な上着も重ね着する。さっさと暖房を付けてしまえば必要無くなるが、暖まるまではこれが無ければロクに動きも取れない。

 スリッパを履いて立ち上がり、エマは寝室のカーテンを開け、ベランダへと通じる大きな窓をバッと開いた。冷え込んだ朝の風が暖かな日差しとともに差し込んでくると、しかしその肌寒さにエマはまた身を震わせる。

「カイト、大丈夫かな。風邪引かないと良いんだけど……」

 そうして朝もやの掛かった外界を眺めながら、エマはひとえに彼のことだけを案じていた。何故だろう、今日に限って彼の温もりが妙に恋しくて仕方ない。

 思い返してみれば、そういえば眼が覚めて彼が隣に居なかったことなんて、今まで一度たりともありはしなかった。きっとそのせいだろう、朝から胸が切なくなってしまうのは。エマは独り内心で納得すれば、その切なさを紛らわすようにもう一度、うんと伸びをした。

 心は切ないのに、しかし同時に彼がそのうちまた、此処に帰ってくることを疑いもしない。そんな二律背反を抱えた自分が居ることに気が付くと、エマはクスッと独りで小さく微笑む。

「大丈夫だよね、カイトはすっごく強いんだから」

 そう、大丈夫だ。彼ならきっと……いや、絶対に負けない。誰が相手だって、絶対に。必ずまた此処へ帰ってきてくれる。そうしたら、またぎゅって抱き締めるんだ。この胸の切なさの穴埋めをして貰わなくっちゃ。

 言い聞かせているわけではない。そう思い込んでいるわけでもない。エマはただ、ひとえにそれだけを思っているだけなのだ。

 根拠なんて何処にもない。だが、不思議と彼のことは信じられる。彼もまた、エマのことを信じている。そこに根拠なんて必要ない。ただ、互いが互いのことを想い、焦がれ。そして信じているだけ。究極までに、互いのことを信じているだけなのだ。

 それほどまでに、エマは彼のことを信じていた。それほどまでに、エマは彼のことを愛していた。きっとどれだけ世界が入れ替わっても、どれだけの生が巡り巡っても。例えまるで別の世界で、全く別の生き方をしていたとしても。それでも自分は彼を見つけ出せる、彼と出逢うことが出来る。何処でだって、どんな時代だって、どんな世界だって。いつだって最後には、彼に逢える。…………エマは何処か、確信にも似た思いを抱いていた。

 互いが互いにとって、互いこそが真に帰るべき場所なのだ。蒼穹の果て、最期に辿り着く安息の場所。それこそが己たるエマ・アジャーニで、それこそが愛しき彼たる戦部戒斗なのだ。どちらかが欠けても成り立たず、欠けてしまえばその時点で崩れ去ってしまうほどに脆く、儚いモノ。

 だからこそ、エマは大丈夫だと確信していた。彼ならば大丈夫だと、きっとすぐに帰ってきてくれると。根拠なんて無粋なもの、必要ないのだ。僕が信じ、君を信じる。君が信じ、僕を信じる。それだけで構わないのだと、エマはそう思っていた。互いに互いこそが、真に帰るべき場所なのだと。

 それを確信しているからこそ、エマの横顔に心配の色はなかった。ただ、晴れやかな冬の朝焼けに身を焦がしているのみ。少しだけ雲は掛かってきたが、それでも朝日はきらきらと東の空で輝いていた。





 シャワーを浴びて寝汗を流し、一息ついたところでエマはキッチンに立つ。朝食の用意だ。腹が減っては何とやら、食は何事にも優先される人間の必須事項に他ならない。

 戒斗は夜明け前、この家を出るときに朝食までには戻ると言っていた。だから、それを信じエマは彼の分までこしらえる。二人分の朝食を、今日は気分的に少しだけ手の込んだものを。疲れた彼の身体を癒やせるぐらいに暖かなものを、帰ってきた彼に食べさせてあげたい。そんな思いを胸に、エマはまだ少しだけ寒さの残るキッチンに立つ。

 トントントン、とまな板の上で包丁が小気味よく音を立てる。ステンレスの包丁だが、戒斗が拘り抜いて選んだそれはタダのステンレスでなく、超硬質モリブデンを配合した関の一級品だ。だからかスパスパと切れる癖に、使い勝手は羽毛のように軽い。下手に切れないなまくらの包丁を使う方が危険なのは、あらゆる意味で刃物のプロフェッショナルたる戒斗がよく分かっていること。故に、エマの使う道具にも妥協は許さなかったのだ。

 まして、研ぎが良い具合の塩梅なお陰で、使い勝手は抜群だ。普段から仕事用のナイフなんかを研ぎ慣れた戒斗の手で研がれた包丁なら当然のことだが、エマも最近になって研ぎの方をちょくちょく教えて貰っている。自分の道具のメンテナンスも出来て、初めて料理人として一流だ。そういう意味で、エマとしても自分の道具は出来るだけ自分で面倒を見たいという気持ちがあったのだろう。

 コンロでコトコトと煮える鍋から良い具合の匂いが漂い、炊飯ジャーからは炊きたての白米の芳醇な香りが吹き出している。下ごしらえは完了、後は食べる時になって、ササッと調理してしまえば完成だ。

「……帰ってきたかな?」

 そうしたタイミングで、エマは外から聞こえる重低音を耳にする。ドッドッドッと、ボクサー・サウンドというまでではないが、しかし何処か低い唸り声にも似たエグゾースト・ノート。聞き慣れたその排気音は、間違いなく戒斗のWRX-S4が奏でる音だ。彼が帰ってきたことを、その音が告げている。

 ガレージへと車が収まり、暫くのアイドリングの後でエンジンが止まる。やがて玄関扉の鍵が外側からガチャリと開かれ、そして遂に扉の開く気配がした。

「――――カイトっ!」

 気が付けば、エマは帰ってきた彼の胸に飛び込んでいた。待ちきれなくて、切ない胸は我慢を覚えきれなくて。彼がフォーマルシューズを玄関先で脱ぐ暇も無く、エマは衝動的に彼の胸へと抱きついていた。スーツを雑に着崩した、広い彼の胸へと。

「おわっ!? ……脅かすなよ、エマ」

 戒斗は驚きながらも、飛び込んで来た彼女の身体をしっかりと受け止め。ジャケットを掛けた右腕で彼女の背中をぎゅっと抱き寄せる傍ら、空いた左手でエマの髪をそっと撫でてやる。絡みつく金糸のようなプラチナ・ブロンドの髪に触れていると、戒斗も段々と肩の荷が降りる思いだった。

「えへへっ……!」

 そんな彼の胸の中で、頬ずりなんかして。彼の匂いを嗅ぎながら、エマは朝から感じていた胸の切なさをいっぱいに埋める。彼がここにいること、戒斗の存在を、確かめるようにしながら。

「おかえり、カイトっ!」

 そして、嬉しさのあまり衝動的に唇を重ねる。やっぱり、彼の居ない朝は寂しすぎた。その寂しさを埋めるように、エマはぎゅーっと彼の身体を抱き締める。

「…………ああ、ただいま」

 戒斗もまた、そんなエマの細い身体を抱き寄せて。彼女の存在を身体の奥深くへと刻みつけるように、強く強く抱き返した。

 ――――自分はもう、独りきり(スタンド・アローン)なんかじゃない。彼女が、エマがここにいる。誰よりも近く、誰よりも傍に。彼女は確かな存在として、ここにいるのだ。誰よりも何よりも自分に近いところに、確かにエマはここにいる。

 それを肌で感じ取れば、戒斗の胸を突っ返させていた思いは、いつの間にか抜け落ちてしまう。壊れかけた、黒沢鉄男の歪な形をした仮面ですら、戒斗の顔からコトリと音を立てて剥がれ落ちた。

「朝ご飯、丁度出来たところなんだ。お風呂入ったら、一緒に食べようねっ?」

「そうなのか? ……ああ、そうか。楽しみだな。うん、凄く楽しみだ…………」

 抱き締める彼女の温もりが、彼女の存在が愛おしくて。戒斗は思わず、またエマと唇を交わす。今度は自分から、貪るようなキスを何度も、何度も。

「大丈夫だよ、カイト。僕はここにいる、君の傍に居るからね」

 そうして貪欲なまでのキスを交わせば、戒斗の不安を胸の奥底で感じ取ったエマはそう言い、再び戒斗をぎゅっと抱き寄せた。安心させるように、彼の頭をそっと優しい手つきで撫でながら。

「…………おかえり、カイト」

「……ただいま、エマ。俺は帰ってきた、帰ってきたよ…………」

 胸の切なさは、また一つ鉄火場を越えた安堵が故か。それとも、天に昇った生命(いのち)へ巡らせる想いからか。

 例え、それがどちらだとしても。そんな彼の気持ちを受け止め、解せる者は彼女を置いて他にない。彼があまりに優しすぎることを、この世界じゃああまりに生きづらいほどに優しすぎることを理解し、それでも尚、愛していくことを決めた彼女しか、彼を受け止めることは出来ないのだ。

 だからこそ、戒斗は今、この幸せを噛み締める。もう一度、彼女の元へと帰ってこられた幸せを。二人で一人の自分たちが、もう一度こうして逢えた幸せを。ただ、黙って噛み締めていた。

 そう、此処が帰るべき場所だ。二人にとって唯一無二の楽園、二人だけの世界、追い求めた末に辿り着いた、たった一つの理想郷(シャングリ・ラ)。此処だけが、彼の帰るべき場所なのだ。

「僕も君も、ここにいる。何処にも行ったりなんてしない。

 …………おかえり、カイト。そしてお疲れ様、カイト。よく頑張ったね、本当によく、頑張った――――」

 今だけは、ただ純粋にこの幸せを噛み締めていたい。ただ、諭すような彼女の声を聞きながら、彼女の細い両腕に抱き締められて。強くも儚いこの存在を、エマの手を決して放さないように。

 だって、この手を握っている限り。彼女を放さない限り、孤独だった自分と彼女はもう二度と、独りきり(スタンド・アローン)になったりしないのだから――――。





(『STAND ALONE COMPLEX』完)


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