Execute.10:STEEL/契りは血の色よりも深く紅く
「……それで、その後は?」
「特に何も無し、さっさと引き上げたさ。……とはいえ、待機が長すぎて死ぬほど疲れたけど」
と、自宅の風呂場。彼が疲れきった顔でそう言えば、エマも「あはは……」と苦く笑う。ちなみに格好としては二人揃って湯船に浸かっていて、彼を椅子にするみたいにエマが上に乗っかっている格好だ。二人で入るには流石に狭い湯船だから、こうするしかない。
「二時間も伏せっぱなしは、流石に堪えるよね……」
「そんでもマシな方なんだぜ? 前にうさぎのおっさんから聞いた話だと、アイツ一週間近く伏せっ放しだったとか」
「うさぎ?」
「んあ、そうか知らなかったか。――兎塚二郎って奴だ。何でもどこぞの特殊部隊でスナイパーやってたらしいけど、俺も深くは知らないんだ」
「……特殊部隊、か」
小さく俯くエマの内心を何となく汲み取って、彼は「多分、君が思っているようなのとは違う」と言って、後ろから彼女の頬に小さく指先を這わせてやる。
「アメリカ帰りだっつーから、多分デルタとかシールズとかその辺だと思うぜ。うさぎのおっさんは、多分エマが思ってる奴とは関係ない」
「……そっか、なら良いんだ」
「良いって、何がだ?」
「君が、折角出来た友達を殺す羽目にならなくて済みそうだったから」
エマは囁くように言って、すると自分の頬に寄り添っていた彼の指をそっと掴んだ。掌の中で大事そうに転がし、そしてそっと包み込む。
「……友達?」彼女にされるがままにされながら、彼がよく分からないといった顔で首を傾げる。すると彼女は「うん」と頷いて、
「今の……日々谷警備保障、っていったっけ? そこの人たちのことを話してる君、なんだかとっても楽しそうだから」
「楽しそう? ……俺が?」
「うん。特に、前々から話に出てる貴士って人と、後は禅ちゃんとかいう人。あの二人のことを話してる君の顔、気付いてないかも知れないけれどホントに楽しそうなんだ」
エマに言われるまで、まるで自覚はなかった。自分がまさか、奴らの話をしている時にそんな顔になっていただなんて。
――――もしかして、気が緩んできているのか。
あの気の抜けた空気の漂う空間に身を置きすぎて、緊張感が緩んでしまっているのかもしれない。黒沢鉄男という偽りの仮面を被り続けている間に、自分自身もまた彼の方へと引っ張られているのかもしれない……。
「良いことだと思うよ、別に」
そうして彼が思い悩むような顔をしていると、小さく振り返ったエマがそう、諭すようなことを言ってくれる。
「今まで君は、一人きりで戦ってきた。……だから、この辺りで友達を作ったって、バチは当たらないよ」
「……でも、俺は」
――――いずれ、アイツらを裏切らなきゃならない。
「それでも、だよ」
すると彼女は、まるで彼の内心を見透かしたかのようにそんなことを言ってきた。
「例え最後にはそうなってしまうとしても、でも今、君が過ごしている時間は嘘じゃない。……例え裏切ることになるとしても、友達として過ごした時間に嘘はないから」
「っ……」
たまらず、彼は背中越しに彼女を抱き締めた。すると彼女は自分の白すぎる肌に絡みつく彼の腕にそっと手を触れ「大丈夫だよ」と赤子をあやすように囁きかける。
「君が何処へ行こうと、誰を裏切ることになっても、誰に裏切られても。僕だけは君のそばから離れない、裏切らない。
…………最後まで、僕は君の傍にいる。それだけを、忘れないで」
誰にも明かせない、己の素顔。誰にも打ち明けられない、己の本心。その全てを打ち明けられ、嘘をつかなくて済む唯ひとつの存在が、今自分の腕の中にある。そんな事実だけで、たったそれだけのことで、彼にとっては十分すぎた。
「だから、僕を連れてって。君の行きたい、君の行き着く先にある場所へ」
そんな言葉だけで、十分だった。彼が明日もまた再び黒沢鉄男の名を纏い、黒沢鉄男という名の偽りの仮面を被る為の覚悟を固めるには、それだけで十分すぎた。
「……必ず連れて行く。君だけは、必ず。俺たちの辿り着く場所へ…………」
「約束、だよ?」
「ああ、約束だ。必ず君を連れて行く、君だけを連れて行くよ。この先にある、俺たちの本当の居場所へさ…………」
その決意は、鉄よりも固く。その約束は、紅き血の色よりも深く。交わした約束だけを胸に、そして己の支えとし。男は歩み出す。彼女とともに往く、本当の居場所へと辿り着く為に…………。




