Execute.01:それでも、男は進み続ける
「また、行くんだね」
何処か街外れの方にひっそりと佇む小さなガレージ付きの家。モデルハウスのような佇まいをしたそこの二階から雨の降る外界を見下ろしながら男が身支度を整えていれば、背後から小鳥の囀りにも似た透き通る彼女の声が耳を打つ。
「面倒だけどな」
男はくるりと声のした方へ振り返りながら、至極億劫そうに肩を竦めてみせる。すると彼女――ベッドの上で上体だけを起こし、白いシーツで柔肌を胸元辺りまで隠す彼女は「あはは……」と苦笑いをした。短めの、天然物の透き通ったプラチナ・ブロンドの髪を揺らす彼女の声は、何処かしとしとと打ち付ける微かな雨音にも似ていて。そして己を見るアイオライトのような蒼い瞳には案ずる色と、そして一抹の寂しさの色が入り混じって同居しているようだった。
「俺としちゃあ昼ぐらいからゆっくり重役出勤と洒落込みたいとこだけど、残念ながらそれやると禅の野郎にドヤされちまう」
「生真面目な人なんだね、その同僚さん。……君と違って」
「何か言ったか?」
「ううん、なんでも」
そっと瞼を閉じながらふるふると首を横に振る彼女の仕草を眺めていれば、男は自然と「ったく……」なんて声を漏らし。仕方ないというか、諦めたように大袈裟すぎるぐらいに肩を竦めるジェスチャーをしてみせる。
「今日は遅くなるの?」
「かもな。ちょっとしたヤマが一個控えてる」
男は彼女の方を見ないままで彼女の問いに答えながら、そして傍らのテーブルの上に並べられた仕事道具の諸々――およそ普通の人間が手にするとは思えないほどに物騒な代物たちを一つ一つ、丁寧に検分するように手に取ってから身に着けていく。
シグ・ザウエルP226-E2の自動拳銃は右腰のブレードテック製カイデックス・ホルスターに、予備のスタームルガー・SP101リヴォルヴァー拳銃は革のヒップホルスターで背中の左側に。ベンチメイド・9050AFOのスウィッチ・ブレードは雑にポケットへ突っ込んで、そしてブーツにはガーバー・マークⅠの小振りなブーツ・ナイフを隠すことも忘れない。
そんな風に男が身支度を調えていくのを少しだけ遠目に眺めながら、ベッドの上の彼女は「そっか……」と、少しだけ残念そうな顔をしていた。
「……まあ」
すると、男は彼女の方に振り返る。
「出来る限り、遅くならないようには努力するさ。どうにかして手っ取り早く片付けて、さっさと定時退社だ」
と、ニッと小さく微笑んでみせると。すると彼女もまた「……分かった」と頷き、そしてほんの少しの柔らかな微笑みを返してくれた。
「ちょっと、来てくれる?」
すると彼女は男をベッドのすぐ傍まで呼び寄せて、そして自分が首から下げてものを外すと細い腕を男の首に回し、それをそっと彼の首に下げてやる。十字架をあしらった、小さな金のロザリオを……。
「……帰って来てよね、今日も必ず。君が居てくれないと、僕もなんだか張り合いがないから」
そしてそのまま軽く男を抱き締め、そして小鳥がついばむみたいな小さなキスを彼女の方から彼と交わす。
「大丈夫さ、こんなトコで死ぬつもりはない」
男はニッと小さく微笑み返し、そして今度は自分の方から彼女に軽いキスを交わしてやる。そうすれば彼女は「えへへ……」と嬉しそうに、しかし何処か照れくさく微笑んでくれた。
「黒沢鉄男としての俺はどうか知らない。だけど、君の前に居るこの俺は。まだまだ君を置いて先に死ぬつもりはない。
…………少なくとも、奴らに対価を払わせてやるまでは」
瞳に映る宝石のような彼女に慈しむような視線を向け、それでいて表情には何処か重く暗い影を落とし。そして男は彼女から離れると、引っ掛けてあったジャケットを手元に引ったくる。
「気を付けてね。今日が君にとって、良い日でありますように……」
「君がそう言ってくれるだけで、俺にとっちゃあ十分すぎるぐらいのラッキー・デイさ」
最後に振り返ってフッと小さな笑みを返し、そして男はジャケットをバッと羽織りながら歩き出した。後ろ手に振りながら、何処か遠くの世界へと。
ガチャリ、と家の戸を開ければ、男は今までのそれから、彼女の前で見せていた素顔から、黒沢鉄男のモノへと色を変える。偽りの自分へと身体も心も入れ替え、偽りの居場所へと、偽りの人生を歩み出す。
「……必ず帰るさ。今日も必ず、君の元へ」
戸が閉じられるまで見送っていた彼女――エマ・アジャーニの前に見せていた素顔から、男は黒沢鉄男の顔に色を塗り替える。全ては己と彼女が為、そして、二人にとっての為すべきコトの為。何をしてでも為さねばならない、己が復讐が為に。
外に出れば、今日もまた雨が降っていた。血を見たあの時のように。そして、彼女と出逢ったあの日のように。今日もまた、雨は降り注いでいた。復讐の色にも似た、しとしとと降り注ぐ浄化の雨が。