待人
「まじかよ...」
今まで暑くてかいていた汗が全て冷や汗に変わる。思わずマスクをクイッと持ち上げた。
背筋が凍り動けなくなっていた。
これが本当の幽霊。髪は腰までの長さがあり綺麗なパーマをかけたような髪型をしていた。髪で少し顔が隠れていたが、年齢は20歳前半に見える。半透明なのは日傘と同じだが、足があった筈の部位は煙みたいになっていて、肌は綺麗な白で統一されている。
もともと白地に花柄だったであろうワンピースは血で真っ赤に染まっていた。
そして、右腕がなくなっていた。
もともとなかったのではなく、無くされたのであろう右腕は、まるでさっき切断されたかのように骨肉がハッキリと見え、数秒ずつに血が滴り落ちていた。
日傘はというと僕の袖を掴んだまま石になったかのように固まった後、今から殺される人のような怯え方をしている。
それも仕方のないことなのだろうか。この女の人は日傘とは全く異形な雰囲気を醸し出している。だが同じ幽霊なのだ。同じ「死んだ」とはいえ、死に方によっては日傘もこのようになっていたのかもしれない。
同じ幽霊だからこそ感じる恐怖なのだろう。
千里さんは何事もないように、慣れたように普通の顔で女の人の近くに寄る。
「この子が例の女の子よ。」
突然話し出す。女の人は千里さんが話し出してもピクリとも反応しなかった。
「もしかしてこの人...」
「そうよ。意思疎通ができないわ。」
髪で隠れてて気づかなかったが目と耳からも血が流れていた。恐らくは右腕をやられた時と同様に潰されて聞こえも見えなくもなったのだろう。まるで拷問されたみたいだ。幽霊とはいえ、ここまで惨い状態を目の当たりにしたのは僕もさすがに初めてだ。
胃のあたりがキュッ締まった感じがして、胃の中にあるもの空っぽにしようとする身体の反応を必死に抑える。
「この店は30年くらい前に仲が良い親子が経営していたらしいわ。常連客も多くて賑わってたみたい。だから利益もまあまあ出ていたはずなのに急に店を閉めたみたいよ。」
ここの常連客から聞いたわ、と千里さんは話す。
「急にって言ってもこの人がこの状態だってことは警察も何か調べてるんじゃないですか?」
「この子は幽霊でしょ。つまり...」
分かるでしょ。と言わんばかりに僕の目を見る。
つまりこの人がこの状態なのは「見える」僕たちにしか分からないということだ。ここにこの状態の幽霊がいます!って言っても霊が見えない警察はほぼ確実に信じないだろう。
恐らくここでなにかしらの事件があったことも警察は見つけてないのだ。
「あのっ、でもなんでこの件を僕に?」
「わたしもわからないわ。ジンが何を考えてるのかもね...」
千里さんもジンさんからなにも聞いていないのか...ジンさんは何を考えてるのだろう。
「でもね、ジンは『話を聞く』ことが大前提で成仏を専門としているのよ。だから意思疎通が不可能な彼女に対しては手も足もでないわけ。」
千里さんは少しため息をついた。
「そしてわたしも退治専門。彼女も退治はできるけど悪霊でもないのに退治するわけにはいかないってことよ。」
千里さん曰く、退治と成仏は現世から霊が消えるのは一緒だがそれ以外は全く違うらしい。成仏は生きている頃の後悔が解決し、本当にあるかは分からないが天国、地獄に行くことをいい、退治は霊、つまり魂の存在自体を消す行為だという。
千里さんは陰陽師の弟子だったらしく、霊退治のための札をスーツの裏ビッシリと詰めてあるのを僕と日傘に見せた。
日傘に向かってあんただっていつでも消せるだよっというような顔で千里さんはニヤリとした。
だがまだ日傘はその冗談に応えられないほど震えている。
ふうっと千里さんはまたため息をつく。
「とりあえず今日は帰りましょう。まだ初めてだから、この空気は辛いでしょう。」
「はい、そうさせていただきます。僕も日傘もちょっとキツすぎですね。」
そして今日のところは僕らは帰らせてもらうことにした。
ジンさんはなぜ成仏も退治もしたことがなくて最近幽霊が見えだした僕にこの件を頼んだのだろうか。この問題を解決すれば本当に答えというものを知ることができるのか。
少し疑問に思いながら外に出る。
それにあの女の人は見えない。聞こえない。触れない。手の施しようがない。最終的には千里さんが退治するしかないんじゃないかと思うが何も悪いことをしてないかもしれないあの人にそれは可哀想と思う。
あの人は結局僕らがバーに入ってから出るまでずっと動かなかった。
まるで何かを待ちつづけているかのように。