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前編

 はじめて彼女を見たのは一年前の春だ。

 俺は高校最後の桜を電車通学の窓から眺めていた。学校に着く一駅前に、ふと桜の花びらがゆらゆらと社内に入ってきた。それを目で追うと、高校1年生であろう真新しい制服を着た女の子が入ってきた。漆黒の長い髪に切れ長の目、紺のブレザー服。朝の光に包まれて現れた彼女に目を奪われたのを覚えている。

 それから毎朝同じ車両で同じ時間を過ごした。高校に着くまでの一駅の区間が俺には本当にあっという間だった。扉にもたれ掛かりながら、彼女は空虚な目でいつも窓の外を見つめていた。俺の視線と彼女の視線が交わることはなく、俺は高校を卒業した。

 そして約一年後の二月、俺達はまた巡り会った。

 たまたま買い物に来たショッピングモールで、エレベーターに乗り込むと、彼女があの時と同じように壁にもたれて立っていた。一年ぶりに見る彼女は少し大人びた顔になっていたが、すぐに分かった。

 ただ彼女は俺を一瞥してすぐに目線を外した。……見知らぬ他人の対応。当たり前の反応なのに少し胸がチクリと痛んだ。

 俺は動揺を隠すように彼女に背を向けてフロアボタンの階数ボタンを押した。扉がゆっくりと閉まり、4階から3階へとエレベーターが動き出した。

 しかし、すぐエレベーターが大きく揺れた。

「うわっ」

「きゃっ」

 俺と彼女はバランスを崩し、慌てて壁に手をつく。揺れはすぐ収まったが、室内の電気が消えて漆黒の闇が訪れる。

「えっ」

 彼女が驚いたように声を上げる。

 俺は急いで携帯を取り出し、携帯の明かりでエレベーターのフロアボタンの上部にある電話のボタンを押した。

 程なくして、スピーカーから中年の男性の声が聞こえた。

「すみません、お客さん。エレベーターの電気系統が故障して、しばらくお待ちください」

「故障ですか?」

「はい、至急エレベーターの点検に向かいます」

「あの!」

 彼女が声を上げた。はじめて聞く彼女の声に、不謹慎ながら心が跳ねるのを感じた。

「どうされました?」

「どれくらいで復旧するんですか?」

「申し訳ありません、原因が不明なため、いつ復旧するかのお答えができません。ただ至急点検し、修理をします」

「くっ」

 彼女は納得いかないのか、何か抗議をしようとして息を吸う音が聞こえたが、言葉になることはなく、そのまま飲み込まれた。

「……至急、修理をお願いします」

 感情を押し殺した声に緊張が混じっているのが分かる。

 誰だってエレベーターの故障で閉じこめられれば不安になるし、見知らぬ男と一緒であればなおさらだ。まあ、全く知らない仲ではないのだが。

 はてさて、どうしたものか。重苦しい沈黙が訪れて、俺は一瞬思案してすぐ明るい声を上げた。

「お互い災難だな」

 このまま黙っていたら更に彼女を不安にさせるだろう、まずは自己紹介をして少しでも不安を取り除こう。

「俺は三上祐二、大学1年生だ」

「はっ、急に自己紹介して、ナンパ?」

 あらかさまに不機嫌な声でこちらを警戒にしている。

「な、ナンパじゃねーよ。いつ復旧するか分からないエレベーターの中に閉じこめられて、名前も知らない男と一緒だと嫌だろう?」

「名前を知っても見知らぬ男と閉じこめられる事実は変わらないんですけど」

「そんなに突っかかってくるなよ。お互い被害者なんだから仲良くやろうぜ」

「嫌よ」

 きっぱり言い放つ言葉にさすがの俺もイラッとくる。

「その言い方はないだろう。緊迫した状況なんだお互い協力していこうぜ」

「協力って、待つこと以外に今の私達にできることがあるとでも?」

「自力で脱出するわけじゃない。待っている間に相手の不信感や不愉快に思うこと避けて、お互いこれ以上のストレスを作るのをやめようぜと提案している」

「無理ね」

 またきっぱりと言い放つ彼女に俺は更にイラッとくる。

「アンタが何を考えているのか知らないけど、私にとってはアンタと一緒にいるこの環境こそが相当のストレスなの。私のストレスを軽減させたいなら、今すぐこのエレベーターから消えてくれると助かるわ」

「そんなの無理だ」

「そうね、だから言ったでしょう。『無理ね』と」

 人を小馬鹿にしたような発言に更に頭が来る。ここまで可愛くない奴だとは思わなかった。失望を通り越して、怒りが生まれてくる。

「お前、いい加減にしろよ」

「あらあら、実力行使。短絡的ね。もし、私に指一本でも触れてみなさい。ポケットにあるスタンガンで一発昇天させてあげるから」

「ハッタリだろ」

「試してみる?」

 張りつめた空気が辺りを包んだ。一触即発という奴か。

 俺は両手を上げて、ため息をついた。

「やめだ、やめだ。こんな腹のさぐり合いなんて何の意味もない」

「そうじゃあ、黙って待ちましょう」

「それでお前がいいなら、そうする」

「誰がお前よ」

「お前だよ『名無しの権子』よ」

「誰が『権子』よ、『名無しの権兵衛』さん」

「俺は祐二だ!」

 ため息をついて、頭を抱えた。

「じゃあ祐二、ちょっと黙っていて」

「はいはい、お嬢様の仰せのままに」

 俺は壁にもたれて座り込んだ。勝手にしろ。

 

 その後、30分が経過した。

 あれから復旧の修理を依頼した男性から連絡がない。

 暗闇にも目が慣れて、彼女のシルエットぐらいはようやく分かるようになってきた。彼女はさっきから壁にもたれて、同じ姿勢のまま少し小刻みだが震えている。

「なあ」

「……」

 無視。

「おい」

「……」

 更に無視。

「おーい」

「……」

 完全にシカトを決め込んでいる。おそらく話しかけてくるなっていうメッセージだろうが、なんとか話ができるようにしてみるか。

「おい、アバズレ」

「誰が、アバズレよ」

 やっと反応が返ってきてホッと安心する。

「人を無視するからだ」

「さっきも言ったでしょう。話さないでって」

「ああ、でもさすがに密室で話さないでいるのも、正直しんどい」

「知らないわよ」

「お前は不安じゃないのか?」

「不安じゃないと言えば嘘になるわね」

「だったら俺のおしゃべりに付き合ってみるのもいいと思うが」

「不安な話をしても、より一層不安が増強されるだけでしょう」

 先ほどとは違って、少しコミニケーションを取れているところを見ると、彼女も沈黙に耐えていたようだ。もう少し押してみるか。

「分かった、じゃあ不安になるようなことは言わない」

「……」

 暗闇でも分かる。彼女はおそらく今俺のことを訝しげに見ているんだろう。俺は思いついた事を提案する。

「よし、じゃあしりとりしようぜ」

「はっ?」

「会話できないなら、しりとりゲームだ」

「バカじゃないの」

「俺からいくぞ、りんご」

「……」

「10秒以上答えないと、お前の負けな」

 その言葉に彼女の自尊心が刺激されたのか、言葉が紡がれる。

「ゴミムシ」

「……『し』、しだな。えーと、鹿」

「カメムシ」

「また『し』かよ、えーとシマウマ」

「マムシ」

「うっ……シーラカンス」

「スズムシ」

「お前、どんだけムシにこだわるんだよ!」

「ちなみにムシと無視を掛けてみたんだけど、いかが?」

「やかましいわ」

 彼女が皮肉たっぷりに笑っているのを想像すると、イライラがおさまりそうにないが、俺は大きな息を吐く。

「俺の負けだ」

「じゃあこれ以上喋らない――きゃっ」

 彼女の言葉を無視して、持っていた紙袋から新しく買ったコートを取り出し彼女に投げつけた。

「暖房も切れちまって、おまけに短いスカートで寒いに決まっているだろう」

「いらないわよ」

「貸してやるだけだ。さっきから震えているの丸分かりだっつーの」

「……」

 彼女は座り込みコートを上から羽織った。

「……お金払うから」

「いらない」

「じゃあ、これ受け取りなさいよ……」

 彼女がおそるおそる手渡してくる。それは暖かい使い捨てのホッカイロだった。

「これこそいらねーよ。自分で持ってろよ」

 乱暴に突き返そうとすると、強い力でホッカイロを握らされる。

「格好つけないでよ。アンタだって寒いの変わらないでしょう。それに私もう一個あるから」

 そう言われると何も言い返せずに、俺は彼女の温もりが伝わるカイロをポケットに大切にしまった。

「ありがとうな」

「こちらこそ……」

 小さく呟いた彼女の声を聞き、俺はまた黙った。

 沈黙が訪れたが、先ほどのの圧迫感はもうなかった。


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