リズレイン
今回も遅い更新になります。
活動報告で更新日の変更をお知らせしておりますので、宜しければご覧下さい。
「ねぇ」
湯気の立ち込める白い空間に声が響く。
「……ねぇってば」
「……え、あ、はい私でした?」
「私とアンタ以外居ないんだからそれ以外ありえないでしょう……」
お湯に体を肩付近まで沈めながら、トウカは呆れた溜息を吐く。
「す、すみません、ぼーっとしてたみたいで」
リズはトウカ隣で、困ったような表情で手を振る。
確かにリズはこの浴場に来てから――いやそれ以前から、心ここに有らずという雰囲気だった。
「……魔王の事?」
「……!」
その肩がぴくりと震える。
「わかります……?」
「むしろそれ以外ないでしょ、わかり易いのもそうだけど」
「あははは……」
トウカ言葉にリズは苦笑する。
実際トウカから見て表情のよく変わるリズはとてもわかりやすく感じる。
特に魔王に関しての事では、その反応は一目瞭然とも言える。
「ちょっと疑問だったんだけど」
「何でしょう?」
「なんでアンタは、そんなに魔王に献身的になれるの? あのメイドさんは昔からだろうからわかるけど」
「……そんなに私献身的でしょうか?」
……自覚無し?
「じゃなきゃあんな状況で突っ込んでいったりしないでしょ、手も血みどろになるまで怪我したみたいだし」
言われて、湯の中から持ち上げたリズの右手を二人で凝視する。
そこには僅かに残った、本当に僅かにだが、爪の突き刺さった位置に五つの細い痕がある。
「痛そう……」
「もう痛くありませんよ?」
「そういう問題じゃないんだと思うんだけど……」
「?」
ため息と共に、トウカの頭の上で纏められていた髪が解けて、湯槽に落ちて広がる。
「あー、解けた……まぁいいか私達しかいないし……」
小奇麗な設備、所々壊れた箇所を残す浴室内は廃墟のような雰囲気を醸し出している。
「リズは、こんな事してないで帰りたいとか、思わないの?」
「? 何処にですか?」
「どこって、家……とか家族のところ、とか」
あぁ、と小さく頷いてリズが困ったような笑顔を浮かべる。
「私、家族いませんから」
「あ……」
しまった、とトウカは顔をしかめる。
そうだ、こちらの世界は魔法や多少近代的な部分はあるが、それでも魔物などがいる、トウカがいた世界からすればとんでもなく危険な世界なのだ。
「なんか、その、ごめん……」
「いいんですよ、気にしないで下さい」
リズは湯船の中で膝を抱える。
「言ってなかったですもんね、仕方ないですよ」
「ごめん」
「気にしてませんって」
トウカの神妙な顔にリズは困った顔をする。
「……両親は、七年くらい前に、盗賊団に襲われて、私と弟を逃がして死にました。両親はエルフとダークエルフの異種婚だったので、周囲に助けなんてのもありませんでしたから」
「…………」
「二歳年下の弟と、私は二人で暫く生活してたんですけれど、やっぱりそれも長くはもたなくって……」
「……弟は……?」
リズは困ったような顔で笑う。
「魔物に、襲われて死にました、私を逃がそうとして」
重い。
トウカにはまだ想像出来ない世界だ。
そんなに簡単に家族の死を受け入れて、彼女のように笑えるだろうか。
目を瞑り、脳裏に家族の、友人の顔を思い浮かべる。
この世界に召喚されて約半年程度だろうか、まだ彼らの顔はハッキリと思い出せる。
まだ、大丈夫だ、そう自分に言い聞かせながらトウカは目を開く。
その顔をリズが覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
「え?」
何がだろうか。
「苦しそうな顔してましたよ」
「――――」
息を呑む。
強い、強すぎる。
彼女は自分の不幸な身の上を語った上で、笑い、こちらの心配までしてみせたのだ。
「あんた、強いね」
「え? 私なんかよりトウカさんの方がずっと――」
「そういうのじゃなくて、心がさ」
言われたリズは、目を揺らし、抱えた膝の方へ視線を逃がす。
「そんな事、ないですよ、流石に弟に死なれて、その後は魔王様に会うまで、殆ど死んでるみたいなものでしたから」
「……?」
「奴隷堕ちしてたんです私、魔王様に会うまで」
「……!」
奴隷、知っている。この世界で一番下の身分を指す言葉。
廃止された制度だとは聞いたが、裏では当然のように使われていたのをトウカは聖王都にいた時実際に目にしている。
およそ人とは思えない扱いをされ、消耗品の様に扱われる人、そして扱う人の姿に心の底から恐怖したのを覚えている。
目の前のこの娘が、そこまで堕ちた事があるというのか。
「命令された事をやって、残飯みたいな食事をして、寝て。色んな汚い事をしましたし、手を貸したんだと思います、多分。な
んの希望も夢も無く、ホントにアレが生きる屍っていう事なんだろうな、って今なら我が事ながら思えたりして」
自らの両手を見るリズ、その目には自分の手がどのように見えているのだろうか。
「そんな時、魔王様と出会いました。魔王様のカバンを盗むっていう最悪の出会い方でしたけど」
リズは苦笑する。
「それは、確かにね」
釣られてトウカも笑う。
「それで、魔王様にはバレてたんですよね、盗んでたの。それで、見つかっちゃって。あぁ、もうダメかなって、ここで死ぬん
だなぁ、って思ってたら」
僅かに声に震えが混じったように感じられた。
「そしたら私の傷も全部治してくれて、奴隷の証も消してくれて、私は自由だって言ってくれたんです」
「そっか……」
トウカも同じように膝を抱える。
きっとあの魔王はずっとそうなのだろう、目の前の不条理を見逃せない、困っている者を見逃せない。
自分の時もそうだったように。
「甘いよね、あいつ、魔王なのに」
「ホントに、トウカさんにそんな口調許しちゃうくらいですから」
言われて顔を見合わせ、同時に笑う。
「だから私はあの人についていこう、って決めたんです。そしたら別に召使になんかならなくてもいいって」
「へぇ?」
「友人でいいのではなか? って、思わず呆けてしまったの覚えてます」
「あぁ、想像できるわぁ……」
再び二人で笑う。
「そしたら魔王様、メイドさんに怒られて。私から言い出した話でしたから、結局メイドとしてっていう形になって」
「そうだったのね……」
リズが魔王にあれほど固執していた理由が何となくわかった気がした。
「でも私それでも満足なんです、今だって、メイドって立場ですけど、魔王様はまるで家族みたいに接してくれますし、魔王様とメイドさんは、気をつけてるみたいですけど、ホントに家族みたいで」
その口調には熱が篭っている。
「あぁ、でも我儘ですね私、やっぱりホントは少し羨ましいって思ってるみたいです、私もそういう風になりたいって」
おかしな事だろうか?
人はどうしても次を望むモノだと思う、だからリズの気持ちは、何もおかしくないとトウカは思う。
「何も、おかしくないと思うよ」
「そうですか?」
「うん」
「……だから、献身的とはちょっと違うと思うんです。神様でも勇者でも、聖者でも何でもなく、私は魔王様に救われて、魔王様に生かされたから、だから魔王様の為に何かをしたいんです、それが恩返しなんです」
……それが献身的なんだと思うけどな。
「じゃないと、私に意味が無いんです」
「そんな事、無いと思うけどな」
その言葉に、リズは黙って首を振る。
「……トウカさんだって優しいじゃないですか、そういう言葉を私にかけてくれて」
「私は……私の方は、全然普通よ」
「そうですか? だって今もこうして、危ない所まで魔王様と一緒に来て」
「それは……」
……それは、自分のためだから。
「?」
「私は――」
風呂場で水に囲まれているのに、舌の根が乾くような嫌な感じに襲われる。
「私がアンタ達と一緒にいるのは、自分の為だから。打算的な気持ちだから、そんな綺麗なものじゃないよ」
一息に言葉にする。
本当の事だ、自分はリズのように魔王に心酔しているわけでもないし、忠誠を誓った訳ではない。
元の世界に戻してもらう約束を果たすための、契約のようなものだ。
「だから……」
だからきっと、自分の命に危機が迫れば、逃げ出してしまうだろう。
けれど――、
……何処に?
「どうしたんですか?」
黙り込んだトウカの顔を、再びリズが覗き込む。
「……ううん、何でもない」
トウカは努めて平静を装い、首を振る。
「のぼせそうだから、もう私出るわ」
そう言って湯船から立ち上がる。
「あ、ごめんなさい、長話しちゃって……」
「気にしないで、それじゃ」
リズの返事を聞かず、トウカは足早に浴場から逃げ出した。
●
少し悪い事をしただろうか。
そんな小さな罪悪感を感じながら、リズは足早に去るトウカを見送っていた。
トウカに話した事は全て事実だ、自分の思っていることも。
ただほんの少し悪意があるとすれば、トウカの善意、良心を突こうとした事だろうか。
リズは膝を抱え肩まで湯に浸かる。
きっと彼女はまだ現状に納得なんてしていないし、魔王の為に戦う、なんて意識は無いだろう。
だからリズはソコをついた。
溜息を吐く。
本当はこんな事をしたいなんて思っていない。トウカ置かれている状況は理解しているし、感情も多少は理解しているつもりだった。自分だって、魔王以外の為に戦って死ぬかもしれないと言われて戦えるだろうか、例えばメイドやカルの為に。
答えは簡単に出る、ノーだ。
トウカだって恐らくはそうだろう。
だからこそ確認しておかなければならない、五人の中で、最も非力である自分が、魔王の役に少しでもたつために。
誰が最後の瞬間まで信じる事ができ、誰ができないのか。
……嫌な事考えてる……。
我ながら自己嫌悪に陥る。
それでもリズは考える、力の無い自分が考える事をやめてしまえば、それこそ役立たずだからだ。
「……早く争いなんて無くなればいいのに……」
頬を赤く染めながらリズは一人呟いた。
誤字脱字、矛盾点等ありましたらご指摘下さい。
感想等も随時お待ちしております。




