第一話(仮)
割れた窓、朽ちた柵、ひび割れた地面、そして圧し折れた電柱。それがそこにある全てだった。理由は定かでは無いが、何らかの要因で人の存在しない死んだ街。今は昼なので明かりに困る事は無いが、一度夜になると人工の光に慣れきっている者にはさぞかし薄気味悪く映るだろう。
そこにたった一つ動く物。それは概ね人の形をしていた。しかし、それが人であると断定する事は出来ない。何故なら全身を人工物で覆われているから。表面はくすんだ灰色。関節部以外を装甲で固めており、戦車主砲の直撃にすら耐えうる様に見える。部分的には100センチメートルは有ろうか。
ヘルメットのバイザー部は外から内側を確認する事が出来ない。小腿部には大振りのナイフ。大腿部にはソードオフ・ショットガン。腰部にはマグポーチ。後ろ側には二丁のハンドガン。背部にはキスリング。腕部には何らかのデバイス。手にはアサルトライフル。
それは今、無人の街を警戒しながら漸進している。動体探知機にも熱探知機にも反応は無い。無いが、何かがそこに有る事が分かっている様だ。或いは有って然るべき、と思っているのかも知れない。何であるかは知る由も無い。
周囲を確認すると、腕のデバイスを操作して地図を呼び出した。一箇所に赤く丸。恐らく、求めているものはそこだろう。標的か、補給物資か本拠地か、護衛対象か合流地点か。もしかするとデートの待ち合わせ場所かも知れない。少なくとも周囲10キロメートル以内に見るべき物は何も無いが。
地図を閉じると再び進み始めた。目的地はどうやらこの辺り唯一の洋館らしい。廃墟と化した住宅街をひたすら踏みしめる。それにしても家が多い。ベッドタウンだったのだろうか。時折売店が有る位で、店は殆ど無い。
今もまた一つ現れた売店に入っていく。無論、店員の姿は見えない。住人達が居なくなったのと同時だったのか後だったのか、店内が荒らされた様子は無い。しかし入る時にガラスのドアを躊躇い無しで割ってしまった。電気が通っていない様なので、入ろうと思えばそうするしか無いのだが。
店内を一通り物色した後、缶詰を手当たり次第にキスリングに入れていく。その後保存の利く物を入れ、次に目を留めたのは雑誌類だった。少しだけ考える素振りを見せると、分厚い物から入れていく。そうして戦利品を詰めたキスリングを満足そうに背負うと、ガラスを踏み砕きながら洋館へ向かう。
引き続き警戒している。少し気が滅入ってきている様に見える。このまま何も無いのなら気を張る必要は無いが、何も無いと言う保証も無くて困っているのだろう。と、金属探知機がビープ音を発する。視線を下げればそこには空き缶。腹立ち紛れに蹴り飛ばす。カーン、コロコロ。ドサッ。
思わず音源へ視線を向ける。どうやらゴミ箱に空き缶がぶつかった拍子に倒れた様だ。溜息を一つ吐く素振りを見せると、ゴミ箱を立て直して空き缶を入れる。どこからか一枚のチラシが風に運ばれてきた。それは地域楽団のコンサートのお知らせだった。開催予定日は今日。何事も無ければ今頃人通りが多くなっているだろうが、人が住んでいる気配さえ無い。"何事か"は起こった。だがそれが何か、分からない。
首を振ると、洋館までの残りを歩き出した。今までの行動を見るに、どうやら中に人が居るようだ。良く出来た自律人形である事も有り得るが。
洋館の前。例に漏れず、見るからにボロボロになっていた。しかし、朽ちて尚内部を守る気迫がこもっている様に見える。主以外は通さない、と言う厳しく寂しい空気。一瞬気圧された様だが、成すべき事を思い出した様に扉を開ける。
予想に反して中は光が満ちている。予備電源か自家発電設備でも備え付けておいたのだろうか。入って正面に二階へ続く階段が有り、その両脇にドアが並んでいる。サブマシンガンに持ち替え、一階の端から探索していく。入る前に向こう側をスキャンするが、何も引っ掛からない。街の様子を見ればここに人が居ない公算が高い。なのに、ここに何か居る。もしくは有る。そう思わせる、先程までとは異質の気配。
案の定、一階には人どころかめぼしい物すら無かった。生活感の残る部屋。持ち主が使っていたであろう万年筆。マガジンラックに置いてある雑誌、新聞。やたらめったらに分厚い本。そんな、消えた人の残滓ばかりだった。どうやら一階は来賓や住人の居住空間だった様だ。
物置にも洗剤やガソリン等の日用雑貨しか無かった。ガソリンをジェリ缶に詰めるとその場を後にした。ボイラー室は言うに及ばず。
再びロビーに戻り、階段を上がる。踊り場に何かの絵が飾られている。惹き付けられたのか、しばらくその場を動かなかった。描かれているのは今居るのと同一に見える洋館。月明かりに照らされて、輝いている。題名にはこうある。『洋館鳴動して鼠一匹』
二階に上がると気配が濃くなった、気がした。どこからかモーター音の様なものが聞こえてくる。二階は所謂"仕事場"だったのだろう。ドアに部屋名が書かれている。"書斎"と書かれたドアに近づく。中の様子を探ってみるも、先程と同じく人が居る様子は無い。開けた先に有ったのは、本や書類が山積みになっている机。両端の本棚。
机上の納品書や請求書の中に、手記が置いてある。字がかすれていてほとんど読む事が出来ない。
『――人型――人造――副作用――』と辛うじて読み取れる。しかしそれには興味が無い様で、すぐに部屋を出ていった。
次に入ったのは"実験室"だった。見た事の有る実験器具や用途の予想も付かない機器で溢れていた。台の上に赤い染みが有る、と言う様な事も無く。壁には科学に関するポスターが貼られている。時折近所の子供達を集めて科学実験ショーでも催していたのだろうか。窓側の本棚には『簡単!科学実験』『基礎からの理論化学』『物理学の歴史』等といった本が並んでいる。一通り見回すと、本棚から何冊か抜き出して鞄に。
結局二階にも大した物は無く、踊り場に戻って来た。またもや絵の前に立ち止まる。題名通り大した結果は無かった様だ。と思っていたら、おもむろに絵を取り外した。
果たして、そこには隠し戸棚が有った。恐らく初めに立ち止まった時に空洞が有るのに気付いていたのだろう。しかし、中に何も無いと判断してそのままにしたに違いない。実際、中には何も無かった。いや、何も無い様に見えた。底に当たる部分に何かのカバーが有る。開けてみるとボタン。押してみると足元、一階の階段の裏辺りで何かが動く音がする。
行ってみると、地下への口が開いている。苦笑する様に肩をすくめると、躊躇う素振りすら無く降りていった。そこに有るものこそが求めている、あるいは、わざわざ地図に印を付けるに値するものであると思っているのかいないのか。そもそもここに来たのも単なる暇潰しや肝試しなのかも知れない。ただ、降りていく。
地下に降りると、また違った空気に満ちている。モーター音を筆頭に、様々な駆動音が渦巻いている。階段を降りると一本道になっていた。少し暗くなった道を進んでいく。コツコツと足音が駆動音に混ざる。
しばらく進むと上と同じタイプのドアが見えてきた。但し、鍵は掛かっている。勿論鍵を持っている筈もなく、必然的に壊すしか方法は無い。ショットガンを抜くと錠に向けて一発、二発。哀れ金屑と成り果てる。ついでにドアを蹴り飛ばすと、向かいの壁にぶち当たって倒れた。
中に有ったのは壁では無く、ドアだった。今度はあまりにも大きく、分厚く、重い、耐爆ドアだった。一応やってみる、と言った感じで先程と同様にすると、部屋中に跳弾が飛び回った。すぐ脇をかすめる散弾に注意を払う事無く、ドアの前に重心を低くして立ったかと思うと、上半身を大きく捻る。そのまま拳を叩き込んだ。ドアの表面は少し凹んだものの、ぶち破るにはまだまだ足りない。
ふと横を向くと、跳弾の一つが壁のパネルを剥ぎ取ったらしく、ドアを開閉する為のコンソールらしき物が現れていた。近寄って触れると勝手に画面が切り替わり、ドアのロックが解除される旨を表示している。何だか良く分からないが流れに任せる、と決めた様だ。
片手で銃を構えたまま、ゆっくりと開く。最早警戒する必要など無いだろうが、これが何らかの罠でないと決まった訳ではない。内部は冷却されているらしく、水蒸気が水滴となって白く漂っている。そんな事も有ってか、中のそれは一見冷蔵庫である様に見えた。白い直方体。いや、直方体と言うのは誤りだ。こちらを向いた面は、下半分が縦に引き伸ばされたような、歪な六角形をしている。立てられた棺桶。そう形容するのがしっくり来る。
棺桶が開く事も後ろのドアが閉まる事も無かったので、部屋内をチェックしていく。棺桶内部をモニターしていると思われる機器が壁面をびっしりと覆っている。心電図の様な物や、温度計、『異常無し』と各項目に記されているカルテらしき物が表示されているディスプレイ。それらから推測すると中には人間、少なくとも何らかの生命体。印を付ける程のものなのだろうか、本丸は既に持ち去られたのだろうか。今は判断が出来ない。
もう得る物は無いと言う様に、棺桶の前に戻る。やはりロックがされている様で、コンソールの有る面に触れると、電子音と共に『起動シークエンス開始』のアナウンス。中を覗こうと試みたが上手くいかなかった様で、少し離れて棺桶とドアの両方を見張れる位置に着いた。棺桶の駆動音が大きくなる。
ややあって『起動シークエンス完了。オールクリア。ロック解除』
油断無く構え、見つめる中出てきたのは。
「うぅ……寒い……」
少女であった。見たところは至って普通の。呆気にとられたと言う風に立っていたが、彼女が不意にバランスを崩したのに対して反射的に動く。
「あ、ありがとう……?」
突然視界の端から、しかも人間かどうかすら定かではないものが出てきたと言う割りには驚いていない様だ。その様なものは見飽きている、とでも言うのだろうか。もしかしたら面識が有るのかも知れない。
「自己紹介をしたいところだけど……」
普通なら他に聞くべき事が有るだろうに、それが最も重要な事だと心から思っている様に見える。それはともかく、初対面だった様だ。
「寒くない所へ行かない?風邪を引きそう」
そう続けると勝手に外へと出ていってしまう。再度しばらく呆然として見送ると、慌てた様に後を追う。風邪を引く事は無いだろうが凍ってしまう事は有るかも知れない、と考えたのだろうか。
一階に戻ると、
「風邪を引かずに済んだね。今度こそ自己紹介といきましょうか」
開口一番そう言った。ここまで来ると憑かれているかの様だ。確かに初対面同士なら初めの自己紹介は重要なのだろうが……。
「でも、困った事に記憶が無いのよ。名前も経歴もさっぱり。言葉は覚えてるんだけどね」
構わず話す彼女に対し、反応に困った様に黙っていると、
「……あ、一つだけ記憶に引っ掛かってる単語が有るよ。クルード、だったかな。意味は知らないけど、名前を思い出すまではそう呼んで」
彼女、クルードはそう言って、自己紹介を促す。記憶が無い事、ここに何かが有るらしいと言う情報を得てやって来た事を掻い摘んで伝えると、
「あなたも記憶が無いなんて奇遇ね。名前が無いのは不便だから、取り敢えず何かしら付けましょう」
クルードはしばらく考え――それは文庫本なら十ページは読めてしまう位だった――やがて名案が浮かんだ様に手を叩き、
「バフィット、あなたは今からバフィットよ」
ようやく名前が決まった。名前を与えられ、バフィットは心無しか嬉しそうに見えた。意味を聞くと、分かる訳無いでしょ、と返ってきた。
そしてバフィットはクルードにさっきから気になっている事、つまり彼女が非常に簡素な服――ただの布切れと大差無い――しか身に着けていない事を遠回しに指摘すると、
「それがどうかした?」
一切気にする様子が無い。記憶と共に知識や常識も無くしてしまったのだろうか。風邪を引くと大変だから、と何とか説得して服を探しに行く事になった。