ネクタイは結ばない
妹が結婚した。
「お前なぁ。だからって、仕事休むほどの自棄酒は無いだろう」
「うるさい! お前なんかに俺の気持ちが分かってたまるか!」
「分かりたくもねーし。ったく、俺だって怒られたんだからな」
あろうことか、顔見知りで兄でもある俺を見間違い、妹を散々待たせた挙句、子供じみた行動をするような男とだ。
しかもだよ。いの一番でうちの両親に挨拶へ行くのは当然だ。でも、なんでそこに俺を呼ばず、向こうの両親の所へ行ってから最後に会いに来るんだよ。事後報告だっていうのもあり得ない。
ヘラヘラ、ヘラヘラ。何が「いやぁ、にーさんのせいで大変でした」だ。俺が妹に、電話越しで泣かされたのを知らないとは言わせない。これから先、満足してくれるまで財布も凍え続けることになるんだからな。
「なんで、二度と迎えになんて行かないなんて言うんだよぉー」
「うわっ! 急に泣くなよ、気持ち悪い!」
おかげで昨日は近くのスーパーで大量の酒を買い込み、見事に二日酔いで会社を休まざるを得なかった。
でないと、出社した頃には脱水症状で三途の川を拝めていたかもしれない。
「お兄ちゃんのお嫁さんになるって、言ってたじゃんかよぉー!」
「いやいやいや。無理だから。残念ながら無理だから」
とめどなく溢れ出る涙を、同僚は拭ってくれないし。勝手に残っていたビールを開けてるしさ。俺の味方は、そして誰も居なくなったよ。
「俺さー、お前と結構付き合い長いけど。今ほど友達辞めたいと思ったことないわぁ」
「お前帰れ! 慰めに来たんじゃねぇのかよ!」
一日中吐き気に襲われ、やっと復活してきている俺の前で、仕事上がりの一杯はやめてくれ。訴えても、同僚は美味そうに一缶目を軽々空けていた。
「そもそもお前が俺の迎えなんて頼まなければ、結婚しなかったかもしれないんだぞ!」
グビグビと上下する喉を、ベッドを背もたれにして眺めていれば喉が乾いてきた。目の前に置かれた二缶目をジーっと凝視する。
チラリと同僚を盗み見て、何が理由かは知らないが深い溜息を吐いているのを確認してからロックオン。二日酔いはウコンが最後の力を振り絞って頑張ってくれたから大丈夫。飲んだの昨日だけど。
「いった――!」
「お前、今日一口でも飲んだら、明日部長に体調不良は二日酔いでしたって言うぞ」
「待って、まじごめん! 飲まない、死んでも飲まない!」
だから部長に言うのだけは勘弁して。怒鳴りながら禿げ散らかした頭を振り回す理由が、俺たちに向かってハゲ菌を持った頭皮油を飛ばしているんだって、お前知らないのか。なんと哀れな。
「俺だって散々、二度とお前関連で連絡してくるなってあの毒舌にやられてんだから。そもそも、人の結婚式で感動したーって周りが引くほど号泣しまくる残念なお前が悪い」
「だって、人生の晴れ舞台だぞ? こっちまで嬉しくなるの当たり前だろうが」
「そんで飲みすぎて歩けなくなるのは、それがお前の晴れ舞台だからか? 路上に捨てておけって、あわよくばホストに勘違いされて、お持ち帰りしてもらえるだろうって言われてたぞ」
え、まじか。勿論冗談だよな、我が妹よ。
そりゃあ、兄ちゃんは男だから女よりは身の危険は減るかもしれないけど、だからって狼さんってのが居ないわけでもないんだよ。そもそも男だって、誰でも良いってわけじゃないんだし。
そこんとこもう少し、妹として兄を大切に想って欲しい。
「式、いつの予定だって?」
「……来年の3月」
「人生の晴れ舞台だってんなら、身内を一番祝ってやれよ。どこの馬の骨とも知れないわけじゃないんだし。ただし、号泣は無しな。お前のお守役で呼ばれる俺が一番可哀想だ」
人ん家で遠慮なく酒を飲む同僚は、発言だって容赦なかった。
別に祝ってないわけじゃないんだよ。ただ、なんてんだろう。両親は元気で、好き勝手子供が巣立った後の人生を謳歌してるって言ってて。ついで、二人共が未だに現役で。あ、いや、これはどうでもいいか。妹も仕事が楽しいって、あの野郎が目障りではあったが大丈夫そうで。デブ猫もまだまだ長生きしてくれそうだし。
なにより俺が、そんな家族が居て、目の前のムカつきつつも一緒に馬鹿やれる同僚が居て、仕事だって部長のハゲ菌には怯えてるが順調で――
だから結婚なんて。別の家族を持って自分がその中心に立つなんて、考えもしていなかった。
相手だっていないし、別段彼女が欲しいと飢えなくても満喫できている。
「……なんでお前が、人の妹の結婚式呼ばれてんだよ」
「でなきゃ、誰がお前の面倒見るんだ。後、お前の親御さんとは一度、腹を割って話しておきたい」
禁煙中の俺の前で煙草を取り出し、わざと煙を吹きかけてきながらそんなことを真剣な顔で言う。
深く聞いたら俺たちの関係にヒビが入りそうだから、気になる欲求をなんとか耐えた。
ただ、大人になった今、度々大人って疲れるなと思ったりするが、所帯を持った上司の愚痴とか、結婚はしない方が良いなんて切実なアドバイスをもらいながら――憧れてしまうのも確かだ。
やっぱり男としては自分だけで充実するよりも、その中にたった1人の女を加えてみたいもんだよなぁ。そんでもって、お互いがお互いを考えて、男の俺が背負って――
これから妹は、そうやって生きていくんだろうか。なんてことを目の前の酔っ払いに言えば「乙女か」一蹴りされた。
「そう思うならまず、妹から卒業しろ。いい加減、構いすぎるのが嫌われてる原因って気付けよ」
「え、嫌われてんの!? 誰が!」
「お前が!」
いやいや。お前は俺ら兄妹の絆を知らないから、そんな適当なことを言っているんだ。なんだかんだいって、口は確かに悪いが面倒見は良いんだから。じゃないと、わざわざ迎え来てくれたりしないし。
しかし、そう言ったら同僚はきっぱりと情け容赦ない言葉を浴びせる。
「それって逆に、兄妹じゃなきゃとっくに見放してるとも取れるよな」
「やっぱお前、すぐさま帰れ!」
結局この後、同僚は昨日の余りを飲み散らかして酔っ払い、俺の家にそのまま泊まって――次の日体調不良で会社を休んだ。
勿論二日酔いで、出社直後ボーっとしていた俺は部長に「今日はアイツが体調不良って聞いたが、どうした?」と聞かれ、何も考えず「二日酔いですね」と言ってしまう。
そうするとさらに次の日、めちゃくちゃ怒鳴られハゲ菌を浴びせられる同僚の恨みがましい視線が飛んできたのだが、素知らぬ顔で無視しました。
だって、酔っ払ってから唐突に「手、出してくんね」と頼まれ従った際、手のひらに煙草の灰を落としてきたんだぞ。どう考えてもアイツが悪い。
「何すんだよ!」
「だって、灰皿一杯だったし」
この時ほど、友達辞めたいと思ったことはなかった。
――そんな日々を繰り返し、年を越え。やってきた春。
その日の俺は、新婦の兄としてはだらしが無いと言われるであろう格好で、式場へと向かっていた。
この日の為に新調したスーツは、例の同僚から即効で「今までで一番ホストっぽい」と大笑いされ、その腹いせにとネクタイはポケットの中に突っ込んである。怒られるまで絶対に結んでたまるか。
どこか気乗りしないまま、ズルズルと義務感だけで調べた道順を進む。
そして、後十五分ほどで到着するって時だった。
「しつこい! これから友達の結婚式あるって、言ってるだろ!」
「いいじゃん。金払わなきゃなんないんだし、だったら奢るから俺と付き合ってよ」
行く先から気の強い苛立った声と、空気の読めなさそうな、だらけつつもねちっこい男の声が聞こえた。
尋ねずともどんな場面か察しがつく。気持ちのまま下げっぱなしだった視線を上げれば、案の定前方でなんだか大変なことになっていた。
「あんたみたいなの相手する暇があったら、金払って知らないおっさんと結婚式見てる方が何倍も良いんだって!」
ばっちりセットされた髪がフワリと揺れる様は可愛いが、絡まれている女の子の発言はなんだか誰かにそっくりだ。
もし本当に思い浮かぶアイツと同じようなタイプの人間ならば、ここから展開されるであろう状況だって、何度か愚痴として聞かされた話と被ってくるかもしれない。
そう。お兄ちゃんとしては、かなりハラハラさせられまっくった、女が一人で対応するには危ない状況――
「いい加減にしてよ! じゃないと、言葉で簡単に男泣かせられる花嫁呼ぶわよ!」
「何それ、面白いねー。呼べるもんなら呼んでみてよ」
周囲に助けられるのは俺しかいないっぽいが、かといってこの女の子は他人の介入をあまり喜ばなさそうにも思える。
とりあえずタイミングを見計らい、そろそろヤバイかななんて声を掛けようと思った瞬間、なんだか捨て置けないセリフが聞こえた。
格好からして結婚式に出席するんだろうなってのは分かっていたが、この日式を挙げるのが一組とは限らない。
けれど、今確かに絶賛絡まれ中の女の子は、結ばれるカップルの中でも限定的なタイプを言ったよね。
俺はそんな花嫁めったに居ないと思うし、心当たりが一人居る。
「――もしもし」
「あ、ねぇ、ちょっと。まだ用意中?」
「いや、ドレスアップ終わってる。どうしたの?」
「悪いけど、少しだけ出て来れない? 今、変な男に絡まれて、このままじゃ遅刻するかもしんない」
そうやって嫌な予感で汗を流している間にも、女の子は素早く携帯を取り出してその花嫁と通話しだしていた。
車が通っておらず、絡み男も面白そうに黙っている為、ちょうど曲がり角で視界には入らない俺の所にも会話は筒抜けだった。
――嫌な予感は的中した。
もう少し詳しく説明を求めた花嫁は、電話の奥で一度別の誰かと会話を始めたらしく、暫く言葉が途切れる。
あぁ、駄目だ。2人が話をすればするほど、さっきのお願いの答えが想像出来て仕方が無い。
「よし、アイツ黙らせたから、今から行くわ」
「助かるー、じゃあ待って――」
「すとーっぷ! ちょっと待って。さすがにそれは不味いでしょう!」
ほら、ほらね。マイシスターならそう言うと思ったよ。思ったけども、花婿は何をやっているんだ。
これはもうとやかく言ってはいられないと、慌てて角から飛び出し制止をかける。必要以上に大声を出したのは、電話の向こうへも聞こえるようにだ。
「あ、にーさん。良い所に来た」
どうにか届いていたらしく、妹は暢気にそんなことを言っていたが、その友人らしき女の子と絡み男は突然現れた俺に対して、遠慮の無い誰だこいつ視線を向けてくれていた。
「……知り合い?」
「うん、うちの兄貴。丁度良いから、全部ソレに押し付けて良いよ。馬鹿だけど弱くはないから」
「まあ、ならそうするかな」
「私が出なくて済むなら、こっちに居る馬鹿が止めてくれって泣きかけてるから、その方が良いし」
とりあえず、妹の友人と男の間に割って入る。背後ではそんな会話が聞こえてきて、ソレ呼ばわりされたのがショックだ。
泣きかけてるって、俺の方が泣きそうだから。今からでも結婚反対するの、遅くはない気がしてくる。
でもまあ、諸々後回しにし、レディが通話中に絡み男を穏便に対処しておこう。
そうやって、仕事で鍛えた話術を駆使し、少しばかり男らしい面も出して立ち去らせるミッションに成功した。
「ありがとうございます。助かりました」
「いいえー。にしても、焦ったぁ」
花嫁を呼ぼうとする妹の友人も、普通に来ようとしていた妹に対しても。似てるなと様子見してて、本当に良かったよ。
礼儀正しく頭を下げた姿を見つつ、ホッと安堵した。
しかし、顔を上げた瞬間、何故だか不機嫌そうな顔をされてしまった。妹そっくりの強い視線にたじろぎつつ、不思議に思い視線の先を辿れば、そこはネクタイのない首元だ。
「お兄さん、ネクタイは?」
「あー、会場着いてから結ぼうと思って……。ほら、ここにあるよ」
忘れたと思われたのだろうか。でも、ポケットから取り出せば、尚更不機嫌度が増した気がする。
なんでだろう、またしても嫌な予感が――
「……なんで先輩と結婚したのか、ちょっと分かった気がする」
「へ?」
ボソリと呟かれた意味は分からなかったけれど、少なくとも俺のせいで不機嫌なのは分かった。
そしてこの空気はデジャブなんかじゃなくて、今までの経験によるものだ。
しかし、気付いた時にはもう遅い。それもまた知っている。
「貸して」
逃げる隙は無く、あっという間にネクタイを引っ手繰られて至近距離まで迫られた。驚いてひるんでいれば、襟を立てボタンも素早く止めてしまう。
そこそこ背が高い俺へ、高めのヒールだとしてもそれが出来るんだから、この子もそこそこな長身だ。スタイルだってかなり良い。
「ネクタイは結ぶんじゃなく、締めるものです」
「似たもんじゃない? どっちにしろ、面倒なのには変わらないよー」
派手すぎない香水に混じる化粧の匂い。妹の晴れ舞台だから、こうやって着飾ってくれたんだと思えば、なんだか不思議な感覚だ。
そう思いつつされるがまま答えていれば、唐突に首を締められ変な声を漏らしてしまう。
確かに締めたけど、これは何か違う気がする。
咳込む俺を見て、犯人は普通に笑っていた。小悪魔だって。いいえ、これは悪魔だ。
「女が気合入れて化粧する時は、気持ちも飾ってるんです。だったら男は、普段と違う場面でネクタイを締める時ぐらい、気持ちだって引き締めろ。みんな、今日はあんたの妹を祝ってくれるんだ」
そしてそのまま、会場へ一人颯爽と向かってしまった――
ヒールを鳴らし、髪を揺らし、香りを漂わせる姿は確かに飾ってる。呆然としながら無意識に確かめてしまった首元では、ネクタイが綺麗に締められていた。
この日、やっぱり号泣してしまって。呆れまくる同僚やゲラゲラと笑うだけの両親とは違い、びしょ濡れのハンカチの代わりを差し出してくれたのが、妹の親友と名乗る女性だった。
妹に似たきつい性格は、すぐに俺の周囲にも溶け込んでいく。だけど、俺からしてみれば妹とは全然違う。
ただ、一人で何でも出来そうで、その実寂しがり屋なところだけは同じなんじゃないかなって、兄だからこそ知っている似てそうな部分を誰にも教えず心の中で思っていた。
「二度目の告白はリビングで」のその後を兄視点でといった感じでしたが、お楽しみ頂けたでしょうか。
よければご意見ご感想、お待ちしております。