五話幕間 娘の知らない夜
質素な執政室に、二人の男が向かい合っていた。
アイゼンボルグ家当主、
ギュスターヴ・フォン・アイゼンボルグ。
そして、ホーホエーベネ辺境伯――ダンカン・ホーホエーベネ。
「……楽にしてくれ、ダンカン。ここにいるのは私とお前だけだ」
促され、ダンカンはようやく息を吐いた。
「いやはや……このような場は、何度経験しても慣れませんな」
「私とて同じだ。立場が違うだけでな」
苦笑が交わされる。その脇で、ダンカンの妻アマリアが静かに二人を見守っていた。
「本日の婚約、誠にめでたいことだ」
形式的な言葉に、ダンカンはわずかに表情を曇らせる。
「……正直に申せば、不安がないと言えば嘘になります」
「娘か」
「はい。あの娘は……気性が荒く、癇癪も多かった。今は落ち着いておりますが……」
「……ダンカン様」
アマリアがそっと声をかける。
「グロリアは、私たちの娘です」
だが、ダンカンの顔は晴れない。
「分かっている。だが――」
彼の脳裏に、かつての娘の姿がよぎる。
『なぜ私が、三十手前の男と結婚しなければならないの!?』
あの叫び。あの怒り。
「……もし、またあの癇癪が戻れば……」
「宴席には顔を出しておけ」
ギュスターヴが静かに言った。
「今は祝う時だ。親としてな」
「……はい」
夜。
長い宴席が終わり、ようやく二人きりになった部屋で、ダンカンは深く椅子に沈み込んだ。
「……庶民は、貴族は楽だと言うがな」
「お疲れ様でした、あなた」
アマリアが静かに寄り添う。
「……私ならいい。だが、グロリアがこの世界に足を踏み入れると思うと……」
ダンカンの声が震える。
「私は死ぬのが怖くない。だが……娘が壊れるのは、耐えられん」
戦場で眉一つ動かさなかった男の目に、涙が滲んだ。
アマリアは何も言わず、ただ抱きしめる。
「大丈夫よ。あなたと私の娘でしょう?」
「……アマリア……」
月は雲に隠れ、夜は静かに更けていく。
その涙を知る者は、彼女ただ一人だった。
運命の婚約の日は、もうすぐそこまで来ていた




