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幕間 小麦の香り

小麦の香りを風が運んでくる。

また、嫌な季節がやってきた。


思えば、生まれた時から兄と比べられていた。

強い兄、弱い私。賢い兄、不出来な私。


私にとっては都合が良かった。兄より頭の悪い私を操ろうと、私より頭の悪い貴族どもが集まってくる。


馬鹿どもを操るのは簡単だ。金と言葉があれば事足りる。


兄は私が宮廷の保証人になるのを惜しがっていたが、私にとっては都合が良かった。

戦場などという野蛮な物は強い兄に任せていればいい。

宮廷の仕事は簡単だ。実体のない書類を右から左に送りつけ、借金を左から右に動かすだけだ。


この国は根腐れを起こした大木だ、いずれ倒れる。

兄は、南の高原を抑えれば百年安泰と言っていたが、私の見立てでは50年もあればこの国は滅びる。

兄は国を愛していた。


「ゲバルトよ、俺とお前がいれば、この国は百年……いや!千年安泰だ!」


愚かな兄だった。ただ、どうしても嫉妬を抑えられなかった。


華やかな戦場で名を上げる兄。

ジメジメした宮廷で馬鹿どもを相手にする私。


誰も彼もを愛し、受け入れる。

誰も信じず、何も受け入れない私。


次第に嫉妬は憎悪に変わる。


しかし、問題ない。兄が戦場にで続ける限り、先に死ぬのは兄だ。


兄が死ねば、次は私がアイゼンボルグを握る。

そうすれば、この根腐れをおこした国を掌握するのなど、容易い。


私の国になる、私の。


小麦の香りを風が運んでくる。

10月最初の週の話だ。


女神に会った。


道端で、歌を披露し、金をせびるケチな見せ物。

こんな低俗な物、興味はない、なかった。


彼女の歌を聴くまでは。


シンクレア、私の女神。私の至宝。


懐の財布を叩きつけ、彼女を買う。

聞けば、何処かのケチな貴族の娘だったが、借金に首が回らなくなったらしい。


ならば簡単だ、私のいつもやっていることと同じ。

婚約が決まっていたが、知るものか。


書類を右から左に、左から右に。


借金返済に財産の半分で事足りたのは残念だ。全てを投げ打つことができれば、神に私の誠意が伝わったことだろう。


こうしてシンクレアは私の物となった。あの歌、あの声、あの顔、あの姿。全てが私の物となった。


最初に祝いに来てくれたのは、兄だった。

山のような祝いの品を持ってきて、己の妻に怒られていた。

バカな兄だ。

しかし、初めて兄と通じ合えた気がした。

そんな日が続くと思っていた。


小麦の香りを風が運んでくる。

10月最初の週の話だ。


シンクレアが死んだ。


流行り病だ。


よくある話だ。


しかし、許せなかった。

シンクレア、私の至宝。私の全て。


それが、よくある話で死んだことが許せなかった。

全てを呪った。


最初に来てくれたのは、兄だった。

息子ギュスターヴが生まれたばかりだと言うのに、私のもとに来て、シンクレアのために泣いてくれた。


男としての差を知った。

人としての差を知った。

勝てないと思った。

その瞬間、今までにあった憎悪が噴き出してきた。


アルベルト・フォン・アイゼンボルグ。

我が兄、我が憎しみ。


兄が愛するものを全て壊すと誓った。

兄が愛するこの国を滅ぼそう。

兄が愛する高原を燃やしてくそう。

兄が愛する友を残らず滅ぼそう。


シンクレア、君のために。


もはや君の声は聞こえない。

君の歌も聞こえない。

君の顔すら思い出せない。


それでいい。憎しみでこの愛を隠すのだ。

全てを滅ぼした暁には、シンクレア。君の元へゆこう。


天国などあるはずが無い。

地獄などあるはずが無い。

あるのは無だ。無に帰るのだ、私と、君で。


「シンクレア……」

声は届かない。誰にも聞かれない


「……シンクレア……」

君の歌を思い出せない。


「……シン……クレア……」

もう、君の顔も思い出せない。


せめて君のために目の前の高原を燃やしつくそう。

兄が愛したこの国を滅ぼそう。


それこそが、君への鎮魂、私の献身。

誰も知ることのない物語


小麦の香りを風が運んでくる

10月最初の週の話

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