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メインキャラクター  作者: 桃源郷


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1/3

過去形になる話

 俺は、戦場の端っこで震えていた。

 剣を握る手が冷たい。鎧なんて立派なものじゃない。支給された革の胸当ては、汗と泥で貼りつき、呼吸のたびに軋む。


 前線は、すでに崩れかけていた。

 魔法の光が走るたび、誰かが燃えて、凍って、砕けていく。怒号と悲鳴が混ざり合って、どれが味方の声か分からなくなる。


 「……もう、だめだ」


 誰かがそう言った。

 俺も同じ言葉を飲み込んだ、そのときだった。


 人垣を割るように、一人の男が前へ出てきた。


 黒髪で、背が高い。

 不思議と汚れが少ない。戦場の空気に馴染んでいない――まるで、ここにいるはずのない人間みたいに。


 彼は笑った。状況と釣り合わない、軽い笑いだった。

 それなのに、俺の胸は勝手に熱くなった。


 男は振り返り、こちらを見た。

 誰に言うでもなく、舞台の中央に立つみたいに、堂々と胸を張る。


 「俺が――」


 言いかけて、男は一瞬だけ眉をひそめた。

 足元の地面が、かすかに光ったからだ。


 泥に隠れていた古い魔法陣。

 踏み抜いた瞬間、眠っていた術式が“起動”する。


 パチン、と乾いた音がして、空気が裏返る。

 次の瞬間――


 ――ドンッ!!


 爆風が男の身体を持ち上げた。

 叫び声は、途中でひしゃげた。人間の形が宙で乱れ、鎧の留め具が弾け、派手に地面へ叩きつけられる。


 「……え?」


 俺の口から、間抜けな声が漏れた。

 さっきまで“希望”に見えた男は、ただ動かない肉塊みたいに転がっていた。勝ち確の登場演出みたいだったのに。勇者の台詞みたいだったのに。


 誰も助けに行けなかった。

 助けに行く余裕なんて、最初からこの戦場にはない。


 そのとき、俺の背後で、ぬるい息がした。


 振り向く暇もなかった。

 肩が、ぐい、と引っ張られる。骨の奥まで響く力。喉が勝手に鳴って、声が出ない。


 視界の端に、牙が見えた。

 獣の口。血と唾液の匂い。胃がひっくり返る。


 (あ、俺……語り部だったのか)


 変なことを考えた。

 この世界は、主人公に見えたやつを平気で潰す。なら、俺なんて――


 歯が食い込む痛みが来る前に、世界が暗くなった。

 音が遠ざかり、熱と臭気だけが残る。


 そして戦場は、何事もなかったみたいに進んでいく。絶望が戦場の底に澱み、誰もが膝を折りかけていた、そのときだった。


 ひとりの男が、瓦礫と灰の間から立ち上がる。

 勇者――後藤隆。


 ついこの前まで、彼は別の世界にいた。スマホの画面越しに退屈を眺め、明日の予定にため息をついていたはずの男が、今は血と焦げの匂いに塗れた戦場にいる。


 召喚の儀式で呼ばれ、王宮では「救世主だ」「選ばれし者だ」と持ち上げられた。チートだなんだと煽てられ、酒と料理と絹の寝台。豪遊していた――そう、していたはずだ。

 気づけば、こんな危険な場所に駆り出されていた。逃げ道も、言い訳も、用意されていない。


 彼が授かった能力は、業火。

 すべてを焼き尽くす魔界の焔。


 一度顕現したその炎は、目標を焼き尽くすまで決して消えない――そう教えられた。つまり、迷いさえなければ最強。迷いさえ、なければ。


 後藤隆は、肺の奥に残った恐怖ごと息を吸い込んだ。

 そして、たった一言。


 「ファイアーブレス」


 言葉が形になるより早く、地面が赤く染まった。空気がひしゃげ、熱が膨張し、視界がゆらめく。焔は咆哮のように噴き上がり、魔物の群れを舐めるように走った。


 毛皮は瞬く間に燃え広がり、鱗は黒く割れ、角は白く脆く崩れる。悲鳴は途中で途切れ、匂いだけが残った。

 次の瞬間、そこにいたはずの魔物たちは、炭になっていた。


 いける。

 そう思った刹那、どこからか静かな声がした。


 ――「リフレクト」


 囁きは小さい。だが確かに、彼の耳の奥へ入り込んだ。鼓膜ではなく、心臓の裏側を撫でるみたいに。


 理解が追いつくより早く、熱が背中を殴った。


 自分の焔が、戻ってきたのだ。


 「……え?」


 声にならない声。逃げようとしても遅い。業火は「目標」を焼き尽くすまで消えない。

 そして今、その目標は――後藤隆自身に、書き換わっていた。


 炎が皮膚を剥ぎ、空気を奪い、骨の内側まで赤く染める。痛みすら一瞬で、叫びは音にならず喉の奥で焼け落ちた。


 ――バカな。これで終わり?!


 そんな思考ごと、焔は吞み込んだ。


 次の瞬間、そこに立っていた勇者は、消し炭となって崩れ落ちた。前線が折れたのは、ほんの数分の出来事だった。


 逃げる背中を追って、魔物の群れが雪崩れ込む。

 戦場は戦場のまま、場所だけを変えていった。


 山を越え、谷を下り、川沿いの道を踏み荒らし――人の暮らしがある場所へ。


 ***


 その日、山あいの小さな村では、遠くの雷鳴を「嵐だ」と勘違いした。

 空が赤く光るのを「夕焼けだ」と言い訳した。


 けれど、風に混じって届いたのは雨の匂いじゃない。焦げと鉄と、生臭い熱の匂いだった。


 最初に聞こえた悲鳴は、村はずれからだった。

 次に、牛小屋が倒れる音。

 その次に、子どもの泣き声。


 「麗奈、こっち!」


 腕を掴まれて走り出したとき、山中麗奈はまだ“それ”を現実として受け取れていなかった。いつもの道。いつもの家。いつもの夜。――それが、同じ形で続くと思っていた。


 村の入口で、緑色の巨体が見えた。月明かりを背負い、棍棒を引きずる影。ひとつではない。ふたつ、みっつ。数えた瞬間、数えることが無意味だと分かった。


 「走れ!」


 父の声が割れた。母の手が、背中を押した。


 振り返る暇はなかった。

 けれど、背後で何かが折れる音がした。次に、声が途切れた。


 泣く暇なんてない。

 息をする暇もない。


 山道へ逃げる。木の根につまずく。膝が裂ける。痛みより先に、足が勝手に動いた。追ってくる足音が近い。笑い声みたいな呼気が、背中に触れる距離まで来ている。


 そして――崖。


 行き止まり。

 背後は、魔物。前には、空。


 ここまで、か……。


 目の前には三メートルはあろうかという緑色の巨体が、棍棒をしたためてにやけ顔で佇んでいる。

ああ、可哀想な私。私であるがばっかりに、たった十六歳で命を落とすのか。

 生まれ変わりなんて信じられない。あの世があるとも思えない。――つまり、これで終わりだ。


 ……こんなことなら、もう少しあとに生まれられたらよかったのに。

 いや、でも。あの人たち以外が親だなんて、想像できない。親不孝者だ。最低だ、私は。こんなに早く再会することになるなんて。


 村が魔物に襲撃され、逃げる途中でパパとママは私を庇って殺された。

 泣く暇もなく、ただ必死で走って、ここまで来た。


 ――でも、もう無理だよ……。


 あれ。なんで今さら。

 涙が溢れ出して、止まらない。


 やめろ。思い出すな。悲しくなるだけだ。

 幸せな記憶に包まれるたび、その奥に両親を奪った憎むべき顔が混ざる。人生で見る最後の景色が、あの醜いオークの顔だなんて。


 オークはゆっくりと棍棒を振りかざし、じりじりと距離を詰めてくる。


 ――だけど。

 もし、あの人たちを思い出せるのが私だけなら。もし、私が死んだら、あの人たちが生きた証まで消えてしまうなら――


 「やっぱり私は、死にたくない!!」


 ――ドガァンッ!!


 涙で滲む視界を擦りながら、私はかろうじて振り下ろされた一撃を避けた。

 いや、避けたというより、転んだと言ったほうが正しい。地面を抉るその一撃は、私の命なんて容易く刈り取るだろう。


 そう考えているうちに、オークはすでに次の一撃を振り上げていた。


 「おいっ! いるんだろ、このシナリオを描いたやつ! 神でも仏でも何でもいい!

 この人生の主人公は私だろ? 私が死んだら終わるんだろ!?

 だったら奇跡でも、魔法でも、チートでも――何でもいいから起こしてみせろよ、バカヤロ――!!」


 叫んだ、その瞬間。

 指先に、何か固いものが触れた。


 剣だ。


 一目見ただけで分かった。これはただの剣じゃない。地面からマナを吸い上げるみたいに、刀身が淡く光り輝いている。藁にも縋る思いで、気づけば私はその柄を握っていた。


 握った途端、全身に力が漲った。

 震えは止まり、頭が冴えわたる。


 さっきまでは認識すらできなかった一撃が、今は不思議と遅く見える。たぶん一秒にも満たない時間の中で、私は――こんなことを考えていた。


 ――はは。やっぱり、この物語の主人公は、わた――


 ――「君じゃなかったか……」


 その声が、どこから来たのか分からない。

 次の瞬間、緑の怪物の一撃が、無情に世界を塗りつぶした。


 山中麗奈の生涯は、そこで絶たれた。

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