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風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
暁風
9/12

暁風 1


 まだ暗い雲海の上を滑るように飛空船(ふね)が行く。遠くに見える灯台の灯火を見て〝風読み〟が針路を定めているのとは別に、物見の兵は雲海から覗く峰の頂に注意を払っている。

 ルージュー外輪の南側の山々は険しい。瘴の空の下に広がる大海に温かな潮が流れ込む春先のこの時期、風の少ないよく冷えた明け方には大量の霧…──雲を発生させる。飽和した雲の層から覗く山の頂は島に例えられ美しい情景を作り出すが、その合間を進むことになる飛空船にとっては危険極まりない。物見の兵たちには緊張が続いていた。

 アンダイエの北岸を離れればコリピサの砦まで停泊する場所がない。凪いだ空とはいえ、入り組んで重なる尾根の間に船を停めることは考えられなかった。前進するしかないのだ。


 寒さは大分和らいできていたし、この船脚であれば午前中のうちにコリピサ砦の(つかさど)る航路に入れる。そこまで行けば、雲海に顔を覗かせる山の頂に船の腹を破られる心配はなかった。

 物見の背後を、上甲板を歩く幾人かの気配いが過ぎていった。

「噂に違わぬ僻地だな」

 と、東の空の雲の上に昇った朝陽が、声の主を照らし始めた。

 西方長官アンダイエ伯ポンペオ・アンセルモ・タルデリであった。この年61歳。高齢は白髪ばかりでなく足腰の衰えにもはっきりと表れていた。後ろに控える戦装束の2人の屈強さとは比べるべくもない。

「山肌と雲ばかりしか見えぬ。面白くも何ともない……」

 アンダイエ伯ポンペオ・タルデリは何の感慨もないとばかりに、眼下に広がる雲海には飽き飽きしたふうな口調で言った。明仄(あけぼの)に燃える雲の輝きの荘厳な美しさには何の興味もない様子だった。

「──…やはり東の低い峰を越えた方が楽だったのではないか?」

 ポンペオ・タルデリの後に控える若者2人は、この言葉に、共に内心でだけ渋面を作った。

(まだそれを言うのか……)



 ルージュー(西のカルデラ)の地の外輪山のうち東側の峰々は確かに標高も低く、その先に浮かぶ〝島嶼諸邦〟の島々を中継して聖王朝の中枢部に結ばれていることから航路も広く整備されている。言わばルージューの〝表玄関〟である。そこを使えば、確かに160人を乗せる大船であっても楽に旅をすることができるわけだが、それではプレシナ大公アルミロ・ダニエトロ殿下の意を汲んだことにはならないのだ。

 表玄関の状況であれば、聖王朝の官吏の目の届く範囲については判明しているし、目の届かぬ部分については何ともならない現実があった。ルージュー一族はあらゆる手段を講じて欺瞞したし、それを咎め立てする力を現在(いま)の西方長官府は持たない。

 だから聖王朝は、カルデラ東側の様子をこれ以上探る必要を感じていない。


 いま聖王朝の関心はカルデラの南側にあった──。

 カルデラ外輪の南側は、聖王朝領となったアンダイエからの最短路となる。そのルート(経路)は険峻な山の頂が入り組んだ隘路(あいろ)であり、さらには外輪を構成する南五峰の南壁が絶壁の如く聳え立つ。

 仮に(いくさ)となったならば南側からの攻め手を期せるか否かは重要であり、この地の地勢は是非とも知っておきたいのが聖王朝の軍と元老院である。

 今回のルージュー訪問に際しては、コリピサ砦周辺の実情を探ることが最重要の任務であることが暗に求められた。

 であればこそ、東側への針路を見失ったと偽ってまで、早朝の時間帯の南側のこの地に大船を進めて来たのである。

 ルージュー辺境伯マルティ家の次男の婚礼に臨席する、というのは表向きの理由でしかない。



 そういった事情を知りながら緊張感に乏しい物言いをするポンペオ・タルデリに、若者のうち年少の方が水を向けた。

「ですがこの険峻な山々に囲まれていればこそ、ルージューの地は瘴に呑まれずに残りました」

 言って朝陽に輝く南五峰を見上げ、その神々しさに目を輝かせる。穏やかといってよい顔の巻き毛の若者は、17歳となったアロイジウスだった。エリベルト・マリアニの下で研鑽を積み、先年の秋に晴れて竜騎の叙任を受けていた。現在(いま)は西方長官附きの武官の一人としてポンペオ・タルデリに随行している。


 その言葉を引き継いで口を開いたのは、同じく西方長官附きの竜騎でアロイジウスの上役である首席武官のボニファーツィオ・ペナーティである。

「さよう。()てて加えて数少ない進入路も難所であることが判明しました。これだけ狭い航路では迂闊に大船を繰り出して隊列を組めませぬ。守るに堅い地勢…──(まさ)に天然の要害です」

 当年31歳という年齢でいまだにこの地位というのは、竜騎として〝遅咲き〟である。実直で有能な男だが、出自の低さと融通の利かない性格が災いして出世できずにいた。

 そんな首席武官を無視するように、ポンペオ・タルデリはアロイジウスに訊いた。

「ロルバッハ殿の病気はどうなのだ?」

 途端にアロイジウスの表情が曇った。

「すっかり弱っております。……養父(ちち)はもう、飛べません」

 3年の月日のうちに養父ファリエロは病を罹っていた。と言って、姉ユリアのための狂言が現実となったというわけではなく、鍛えられた身体は至って頑健である。病んだのは目だった。医師の見立てでは、後1~2年で視力は完全に失われるとのことである。


「そうであったか……。もう少し賢く振舞われれば、フォルーノクイラ(王家の館)で爵位を授けられていてもおかしくはない御仁であられたがな…──」

 ポンペオ・タルデリは一応は神妙な表情を浮かべてみせて、言った。

「──解放奴隷の養女などマンドリーニ様のご子息にくれてやればよかったものを……」


 アロイジウスは押し黙った。

 昨年の夏、マンドリーニ公爵家の三男ルーベン・ミケリーノが姉ユリアに執心し側女(そばめ)にと望んだのだが、それを養父(ファリエロ)拒んだ(けった)ことを言っているのだ。ルーベン・ミケリーノは幾何(いくばく)かの軍事の才はあったが、それを除けば名家の出自くらいしか残らないつまらない男であった。周囲に良い噂が立った(ためし)がない。だから養父はこの話を断わった。アロイジウスは思う……当然だ! と。(──この話は別途に記すことにする。)


 とまれユリアがルーベン・ミケリーノを拒み、ファリエロが正式に話を断わったことでロルバッハ家は家勢を失ったと見えるのだろう。

 ファリエロのこれまでの軍功に男爵位を以って応えるという話は立ち消えとなり、程なくして視力の衰えた老竜騎には隠退(いんたい)の勧告がなされた。衰えた目では軍役の提供の義務を満足に果たせない、というのが理由である。

 盟約により軍役を果たせなくなくなれば、ロルバッハの砦は聖王朝に返上される。それが決め事であったが、実際にはマンドリーニ家の荘園に組み込まれるだろうことが誰の目にも明らかであった。そういう横暴がフォルーノクイラ宮では横行していた。

 だが世の営みとは災厄ばかりでもない。そんな進退窮まったロルバッハ家に手を差し伸べる者もあった。宮廷竜騎リスピオ・マリアニである。

 リスピオは竜騎見習いであったアロイジウスの竜騎叙任を引き受けたのである。竜騎による竜騎の叙任は行われなくなって久しいが、法的にはいまだ可能であった。もっともマンドリーニ家の権勢を憚って()()()()()()()()()()()()()叙したという体裁を取ってはいる。大公殿下も承知のことだった。


 まあ、このようにしてアロイジウスは竜騎となり、ロルバッハ砦の跡を継いだのである。砦の主となった以上は盟約を引き継ぐ身。求められた最初の軍役は〝西方長官の随員〟であり、なればこそ、いまこの場にあった。



「──…閣下、その言い様は少々言葉が過ぎましょう」

 微妙な雰囲気となった中で、敢えて表情を消した声音でペナーティが口を開いた。多くを口にはしなかったが、話題を変えるべきと、暗にそう〝具申〟するふうであった。

 それにポンペオ・タルデリはバツが悪そうに笑うと、軽薄そうな表情(かお)のままで言う。

「あ、いや、卿のことではないのだ。卿は()がり(なり)にも竜騎、期待しているのだからな。勘違いいたすなよ」

「はい……」

 アロイジウスはそう応えると、後はもう押し黙った。場は居心地の悪い間となった。

「うむ。 ……では、わしは朝食にするとしよう。卿らはどうする?」

 するとポンペオ・タルデリは話を切上げにかかった。気付けば朝陽はもう大分高い位置にまで昇っている。

「私とアロイジウスは、いま少し周辺の地勢を見ましてから参ります」

 アロイジウスが何事かを口にする前に、地図を手にしてペナーティがそう応えていた。鷹揚な表情(かお)のポンペオ・タルデリが口を開く前に言を継いだ。

「報告書を纏めるのに必要なことですので……」

「なるほど……」

 そういう首席武官の諷刺(ふうし)を、

「うむ、頼んだぞ。良きに計らうがよい」

 ……そう〝いけしゃあしゃあ〟と受け流したポンペオ・タルデリは、一人船尾楼へと歩いて行った。



 ポンペオ・タルデリの姿が消えると、アロイジウスはペナーティに向いて頭を下げた。

「ありがとうございました」

「何のことだ?」

「〝先の話題へのお気遣い〟に対する礼です」

 若い竜騎にそう言われ、ペナーティは少し間を置いてから軽く溜息を吐いて口を開いた。

「礼に及ぶことではない。あのような失礼な物言い……赦される方がおかしいのだ」

 ペナーティはそう言うと、後は視線を舷縁(ふなべり)の先の宙へと遣った。その表情が引き締まったので、アロイジウスも視線をその先へと遣った。


(ルージューの〝戦大鷲(武装グリフォン)〟……)

 視線の先の雲──もう既に雲海は消えようとしている…──の間に2頭のグリフォン(大鷲獣)が飛んでいた。遠巻きにこちらの様子を監視するよう追尾している。

(さすがに早いな……)

 夜が明けぬうちから追尾されていたのだろうか? 

 恐らくそうだろう。昨夜は狭隘な山岳地に飛空船の船体をぶつけぬよう篝火(かがりび)を灯して飛んでいた。かなりの遠方からでもその灯りは確認できた筈だ。


「外輪南部の隘路には、それぞれの航路に沿ってかなりの数の見附(みつけ)(見張り番所)が築かれているな」

 ペナーティがわざわざそう口に出して確認をした。アロイジウスは肯いた。

「でしょうね……。地図に示された灯台の他にも(秘密の見附は)〝在る〟とお考えですか?」

「そう考えない理由はないな。私であっても航路の外側に〝点〟(秘密の見附は)を築き、龕灯(がんどう)(──シェード(覆い)を付け正面しか照らさない投光器)で結ぶくらいのことはする」

 アロイジウスはペナーティが披瀝して見せた〝備え〟に感嘆した。同じようなことを島嶼諸邦の島々もしていたのだ。

「それほどの〝備え〟を南側に……」

(いくさ)となれば主隊は東側を行くしかない。故にルージュー側とて東の備えは万全だろう。膠着するな。戦局を動かし得るとすればやはりアンダイエから近い南側となろう」

 そう言うペナーティの視線の先で2頭のグリフォンが隊列を解いた。1頭は離れていき、1頭が近付いて来る。


 グリフォンは飛空船後部の船橋の横に並行した。

(大きい……)

 それが竜騎としてワイバーン(飛竜)に乗り慣れているアロイジウスの率直な感想である。

 ──人を2人 (武装していれば1人)乗せるのが精々の草食のワイバーンと比べ、肉食のグリフォン(大鷲獣)は優に3人を載せ得る巨体である。いま横を飛ぶグリフォンの背にも、武装した(聖王朝の竜騎よりも重武装である……)兵が2人乗っている。


 グリフォンの上の兵と船橋の何人かとの間で二言三言のやり取りが有って、それが終わるとグリフォンは再び速度を上げ船首の先へと位置を変えた。

「ここから先はルージュー一族の地、というわけだな」

 ルージューのグリフォン(戦大鷲)の先導で、アロイジウスを乗せた飛空船〈ハウルセク〉はカルデラ外輪南岸の航路に入った。

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