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風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
風の子ら
6/14

風の子ら 5


 アンダイエで捕まり戦利奴隷となった巻き毛の姉弟──ユリアとアーロイはファリエロ・ロルバッハの養子となっていた。弟のアーロイは現在(いま)、アロイジウス・ロルバッハと名乗る〝竜騎見習い〟である。


 アーロイもユリアも、この6年間、老竜騎夫妻の恩を1日たりとて忘れたことはない。

 ──6年前、ムランの奴隷市場で2人を身請けした老ファリエロが()の足で姉弟をロルバッハ砦に連れて行くと、妻ノルマは少し驚いた後に満面の笑みとなり、息子と娘を一時に得たと神に感謝して2人を迎えてくれた。

 1年を待たずに姉弟は正式に養子として迎えられる。養父となったファリエロはアロイジウスを竜騎の子として厳しく仕込み、同時に実の息子のように彼を愛しみ育ててくれた。


 そうして3年が経ってアロイジウスが11歳で竜騎見習いに志願すると、ファリエロは伝手(つて)を頼ってヴェルガウソ子爵家にアロイジウスを預けることにした。竜騎見習いの地をシラクイラに求めたのはファリエロ自身の経験に基づいてのことだった。

 弓や竜の扱いについてはロルバッハ砦で存分に鍛練を積ませていた。アロイジウスに天稟もあり、戦士としての薫陶を今さら他所に求めるまでもなかった。それよりもシラクイラで学問を修めさせたかったのだった。

 ファリエロは自身を武辺の者と(へりくだ)って見せるが、若き日は神殿付きの〝知識の間〟で学び文武を兼ね備えている。養子となったアロイジウスにもそうした道を拓いてやりたいと考えたのだ。

 そのファリエロの頼みに、当時の子爵家当主アルバン・ハシントは、同じく竜騎見習いとなっていた息子アニョロの友人になってくれようと快く受け入れてくれたのだったが、果たして妹のアニタを含めた3人は兄妹のように育つこととなった。


 そういう訳で、現在(いま)は竜騎見習いとなったアロイジウスがシラクイラ北崖に在るヴェルガウソ館の客人となって早3年が過ぎている。

 その間、アロイジウスは弓や竜を扱う技だけでなく文学や歴史、地勢、さらには〝風読み〟といった魔法の技にも興味を示し、そちらの方面でアニョロと同窓の友となっている。反対に妹のアニタは、剛の者としてのアロイジウスの一面に惹かれているようで、年齢が近いこともあって女だてらに弓を取っては盛んに腕比べを所望する仲である。

 先代のアルバン・ハシントは昨年に流行り病でこの世を去ったが、跡を継いだアニョロとの友誼はそのまま変わらず、共に〝知識の間〟で学びながら竜騎エリベルト・マリアニに付いて弓や竜の扱いの研鑽も続けている。

 アロイジウスは、ファリエロの自慢の息子となっていた。


 いま一人のユリアは弟に同道してのシラクイラ行きを断り、ロルバッハ砦で養母ノルマの許に留まることを選んでいた。養母に似て華やいだ暮らしに憬れるということのない娘に育ったのだが、自慢の娘に育ったことには変わりはなかった。

 整った面差しのままに成人したユリアは(つま)しく控えていても自然と目を惹いたし、養母の薫陶のままに優しさと聡明さを備えている。当然、近隣の殿方の目という目が集まるのだが、当人はそれには一切応えることなく、砦の中庭で養母と女学問をして過ごしていた。

 そんな娘の将来を案じた養母は一計を案じ、病勝ちとなったファリエロのための薬の技を学ぶため、ということでヴェルガウソ館に送り出したのだった。勿論、ファリエロが病勝ちとなったというのは夫婦示し合わせての狂言である。都の在るシラクイラで学べば聡明な娘の器量に見合う出会いも期待できようと、年老いた養母は考えた。かつて夫と出会ったのもシラクイラの社交の場でのことであった。



 そのようにして送り出されたユリアは、目の前の長身痩躯の宮廷竜騎が緊張の面差しでいるのを訝しく思いながら、彼の隣に座る館の主と思しき青年貴族による紹介を待った。


 そんな2人に館の主であるアニョロ・ウィレンテ・ヴェルガウソは、あらためて席を立って言葉を継いだ。

「ようこそ参られました。私がアニョロ・ウィレンテ…──」

 自身についてはさらりと自己紹介を終え、妹姫を指しても同様の口調で続ける。

「──妹のアニタ……はもうご存じか」

 アニタは兄のぞんざいな紹介に形だけ不満そうな表情(かお)をしてみせて、それから華やいだ向日葵の笑顔になって、典雅にカーテシー(あいさつ)をしてみせた。

 その愛らしい振舞いにユリアも笑顔で応じた。


 そうしてアニョロは、最後に傍らの友人をことさらに恭しく紹介した。


「エリベルト・マリアニ卿です。この若さで竜騎の資格を持ち、私と弟君の〝師父〟を努めてくれております。弓を取ってはブレシナ軍にあって五指に入る技前の持ち主…──」

「──言い過ぎだ……」

 紹介されているそばから、当のエリベルトがアニョロを遮った。

「…──十指というところが妥当だ」


 一応、謙遜しているのだろうエリベルトに、アニョロはめんどくさげに顔を顰めて応じた。

「大公家の軍団にあって十指に数えられる剛の者だそうです」

 そう言い放つと面白がるふうにエリベルトを見遣る。エリベルトの方はいよいよバツの悪い表情になってユリアに向いた。


 年若き竜騎の前に佇む女性は美しかった。何を話題に切り出そうかと惑ううちに女性の方が口を開いた。

「──マリアニと言いますと、やはりリスピオ・マリアニさまの……」

 それがわずかに探るような声音であったのに気付かなかったのは、エリベルトだけであった。

「リスピオは父です」

 エリベルトは、ユリアの方から話題を振られたとばかりに軽く笑顔になって応えた。「お父上(ファリエロ)殿とはブレシナ大公の下で共に働いた間柄。幼き日には弓の手(ほど)きを受けたこともあります」

 それは姉弟が養子となる以前のことである。


 ユリアはそういうエリベルトに笑顔で小さく頷いたのだが、その頬が強張ってしまうことを止めることができないでいた。

 リスピオ・マリアニのことは憶えている。奴隷市場で養父(ちち)が救ってくれたあのデュエル(決闘)に立ち会ってくれた宮廷竜騎…──。その後もその名は養父からよく聞いた。当然ながら〝自分たち〟の過去を知っている貴族、ということである……。


 そんな姉の強張った頬に、弟アロイジウスは気付いていた。

 姉は、自らの出自──戦利奴隷となった過去…──を知る者を怖れており、またその事実が他者に知られることに過敏だった。

 アロイジウスの見るところ、これが姉一人に係ることなのであれば彼女はこうまで卑屈とはならないと思える。恐らく姉は養父養母の体面を慮っているのだ。養子となった自分たちの出自が口さがない者が口の端に乗ってロルバッハの家名が嗤われることが嫌なのだろう。

 それはアロイジウスも同じであったが、女性である姉は竜騎を目指す自分の様に自身の力量を示して黙らせることができない。だから貴族階級の者を警戒し、嘲りを受けぬよう彼らを避ける生き方を選んでいる。社交の場を嫌う本当の理由はそれだろう。


(──どうにも〝心に壁を〟作ってしまわれているな……)


 そんなユリアとアロイジウスの姉弟の心の内を、アニョロは看破していた。


 というよりも、そういった暗黙の空気は(どうやらエリベルトを除いて)、この場に居合わせた全員が共有している。ヴェルガウソ子爵家とて聖王朝門閥の序列の中では〝中の下〟程度の家格でしかなく、家勢はさらに(ふる)わない……。聖王朝にあって嘲られる悲哀に怯えて生きてなどいない、などとは到底言えない中流貴族である。

 だが若輩ながら館の主であるアニョロ・ウィレンテは、そういったユリアやアロイジウスの機微を正確に読み取った上で、敢えて〝空気を読まない〟男を演じてみせたのだった。


「ユリア殿……、私も彼も、貴女の過去は勿論存じています。

 ファリエロ殿が弟君のことで父を頼ってくれたときに全てを包み隠さず打明けられたのを直接聞いていますゆえ。

 その上で敢えて言わせてもらいましょう…──。

 そのように心に壁を築かれては、話をするのも儘なりませんよ」


 ユリアは、今度は全身が強張ってしまったかのようにのろのろと館の主の方を向いた。

 ようやく状況を理解したエリベルトがことの行方を案じて二人を見遣る。この場合、自分が何か気の利いたことを言って場を和ませるべきなのであろうが、何も思いつくことが無かった。

 そんな友の心中には敢えて構わずにアニョロは続けた。


「失礼ながら貴女は〝過去の身の上に重ねられた現在(いま)の自分〟を恥じておられますか? それとも〝現在(いま)の自分から見る過去の自分〟が恥ずかしいのですか?」


「兄さまっ‼ そんな言い方──」

 余りに明け透けな物言いに、妹のアニタが思わず声を上げる。それをアニョロは静かな声音で退けた。

「──控えよ、アニタ」


 その声音がむしろ優しかったことにアニタは気勢を()がれてしまった。いったん開いた口を噤む。

 おずおずと引き下がった妹に頷くとアニョロは、ユリアに向き直ると優しい声のまま語りかけるように静かに続けた。


人間(ひと)の貴賤は生まれ持った境遇に拠りはしませんよ。

 むしろその境遇に如何に()()()か…──、

 そのために自らに課した行い……いや、気概をこそ貴ぶべきではないでしょうか?

 〝どうありたいと思う〟かが貴いのであって〝どうある〟かが貴い訳ではない。

 ……と、そう私は思っているのですがね」


 聞き終えてユリアはしばし言葉を失くしてアニョロを見ていたが、やがて大きく息を吸うとこくりと頷いた。


「その通りですわ──」

 次に面を上げた時の彼女の表情(かお)は、まるで憑き物が落ちでもしたように晴れ晴れとしている。「わたくしの胸の(うち)の有り様が間違っておりました」

 ユリアはアニョロとアニタに対して謝意を示すと、あらためてエリベルトに向き直った。

(ひが)みからとは言え(はな)から心を開かぬ身勝手さ、お見苦しい振舞いをいたしました。お許しください」


 その様に丁寧に謝られてしまっては、エリベルトとしてはもう何も言うことはない。

 むしろ自分(マリアニ)の存在が、彼女にとって居心地の悪い時間を作ってしまったと、そのことに責任を感じている彼である。許す許さぬの話であれば許すだけであるが、この場合の話のまとめ方が解らないでいた。


 と、そんな竜騎を追い撃ちするよう、館の主から命が下った。


「おいエリベルト、俺はオマエのために似合わない話をして美人から嫌われた。後の始末はオマエに任せるしかないようだ。ユリア殿を館に案内してやってくれ」

 言ってユリアに微笑んで見せると、アニタとアロイジウスを連れ出すようにガゼボ(東屋)を後に歩き出す。

 慌ててユリアが何か言い募ろうとするのを片手を上げて制し、

「それはまた夕食のときにでも。あ、そいつ(エリベルト)は俺と違って女性の前では相当に気が利かないですが、いい漢です。雑事は何なりとコイツに申し付けてやってください」

 面白がるふうにそう言い捨てるや、からからと笑って中庭を温室の方へと消えてしまったのだった。

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