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風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
炸風
57/63

炸風 4


 正午にはアンダイエの市中の其処此処に於いて市民とマンドリーニの義勇軍との間に小競り合いが発生している。

 ルーベン・ミケリーノの意を受けたオヴィディオ・ボネッティが放った手下は殊更に横柄な態度でアンダイエ市民を威嚇し、一方の市民の側の中にはルージューの思惑でコレオーニの商館から放たれた多くの者が紛れ、(いたずら)に事を(こじ)らせる……。


 喧嘩を〝売る者〟がいて〝買う者〟がいれば、そこに喧嘩が生れるのが道理である。

 ペナーティは西方長官府に入ることを一旦断念せざる得なかった。

 事の始めからボネッティは兵を市中に繰り出しており、ペナーティら一行について、見掛け次第〝不測の事故を装って始末する〟ことを秘かに命じていた。それを見越してルージューの側も、商館から〝腕自慢〟を市井の荒くれの中に潜ませてペナーティの身柄を護らせる。

 アニョロ・ヴェルガウソとアティリオ・マルティの目論見の通りに、アンダイエの市中は弓を持つ者が睨み合う事態に発展した。


 事ここに至ればアンダイエ留守居の西方軍各隊が出動する。

 事態は短い時間のうちに市中の治安組織たる警衛の手に余るものとなっていたが、(もと)より〝こうなる〟ことを織り込んで事を練ったのがアニョロである。西方軍各隊はアンダイエ市民の盾となることを建前にマンドリーニ軍を牽制した。

 当然、これにマンドリーニ軍は反応した。ボネッティの配下の兵のみならずアンダイエに上陸した諸隊は直ちに営舎を出、空中桟橋に繋がれた飛空船は(もやい)を解いて空に上がっている。長官府の外に在って直接にマンドリーニ諸隊を動かしたのはオヴィディオ・ボネッティであったが、これらは全てルーベン・ミケリーノの指示あってのことである。




 正午を過ぎた頃──。

 長官府の大ホールには文武官の主だった顔触れが揃い、シラクイラ(中央)から派遣されてきた監察官と技官、それにマンドリーニの義勇軍幹部ら一行と向かい合っていた。

 〝マンドリーニ〟の目論見の通りであれば、この場はタルデリ不在の西方長官府内における最高位者、首席文官オリンド・ドメニコーニによってルーベン・ミケリーノが〝首席武官()()〟に指名されるはずの場であった。

 が、ボニファーツィオ・ペナーティの存在が、既にその目論見を崩していた。

 戦地より現首席武官が帰還を果たした以上、もはや代行を立てる理由がなかった。そもそもルーベン・ミケリーノは『監察官』の身分で西方長官府に赴任してきており、彼が率いてきた義勇軍は、速やかに〝翼軍〟(補助部隊)として現地軍の統制の下に組み入れられるべき性格のものである。西方軍の総指揮権者である西方長官は戦に斃れ不在であるが、実務の上で武官を束ねる首席武官が健在なのである。(ペナーティ)の指揮権の優越は明白だった。


 一方のマンドリーニ方の言い分は次のようなものである。

 ルージューが叛意を表し(いくさ)となった現在(いま)、現地の状況と経緯(いきさつ)をシラクイラに伝えるにペナーティ以上の適任者はいない。加えて彼はタルデリ謀殺に際して武官の筆頭でありながらそれを阻止できず、敗戦の責任を負うべき立場であることも明白…──早急にシラクイラの聖王陛下と元老院の前に赴くべきである。


 更にはペナーティら将兵が戦地を脱したこと自体に〝疑義〟を抱く者もいた。ルージューとの戦が終わってから開城、和議、撤退までの時間が余りにも短い。ルージューとの間に、〝内通〟かそれに近い密約が交わされたとみてもおかしくはない。ここはシラクイラで申し開きをさせるべきではないか、と……。


 流石にこれには西方軍の武官らが鼻白んだ。〝事実〟は限りなくそれに近いものであったが神ならぬ身には判らない。長官府のホールに緊張が奔った。


「…──では貴殿らは、ボニファーツィオ・ペナーティ始め〝カルデラの空で戦った者ら〟がルージューへの内応を条件に助けられたと、そういうのか?」

 居並ぶ長官府側の武官の列から声が上がった。抑えてはいたがその声音には不快の色が滲んでいる。マンドリーニの側からはルーベン・ミケリーノの側近のうち、オヴィディオ・ボネッティと共に最も側近くに(はべ)るグエルリーノ・トリヤーニが応じた。

「事実、戦が始まってわずか1日2日で開城している。西方長官こそ斃れたものの〝浮舟の砦〟は健在だったにも関わらず、だ。……戦えぬ状況ではない。我らマンドリーニであれば考えられぬ」

「無礼なっ!」

 挑発するかのような──否、挑発そのものと言える…──その物言いに、長官府の武官らが鋭い目を向けたのだったが、トリヤーニは構わずに言い放った。

「そもそもがルージューに通じた竜騎の手引きで西方長官が討たれている。西方軍の一部武官が共謀したと疑ってもおかしくない状況では?」

 居並ぶ文武官のうち武官の列に動揺が奔った。

「なにを根拠にそのような…──」

 ()かさずトリヤーニは問い継いだ。

「──アロイジウス・ロルバッハのこと、聞いてはおられぬか?」

 さらなる動揺が武官らの表情(かお)に浮かぶのを見てドメニコーニが口を開いた。

「──確証のある話ではなかった故、周知はしておらぬ。……グエルリーノ卿、お控え願いたい」

 諫められたトリヤーニだったが、口許に薄ら笑いを張り付かせ、こう(うそぶ)いた。

「なればこそ、元老院の前にて申し開きをすべきと申しました。その間、西方の守りは我らマンドリーニの軍が御三男殿(ルーベン・ミケリーノ)の下に果たして見せましょう」

 云って慇懃に一礼をしてみせた。若い武官・竜騎らがトリヤーニに向ける視線は、険呑なものとなっていた。



 そんなホールの空気の中、ルーベン・ミケリーノは南側に大きく採られた明り取りの窓に視線を遣っている。

 その目が怪訝に細まった。


 何故に()()に気付けたのか、この男にも説明などできはしなかった。〝プリミティブ〟な直観であったとしか言えない。……が、気付いてしまえば状況は理解できる。

 中庭の東側の端に面する右翼館の壁面に()められたガラスに、5、6の武装した人影が映り込んでいた。彼らは植え込み越しに息を潜めホールの様子を窺っているのだが、〝鏡合わせ〟となったガラスの映り込みに気付かれていようとは思いも寄っていないだろう。


 なるほど。こちらも兵を動かしている。先方にも武力に打って出ようという者が居て不思議はないわけだ。


 ルーベン・ミケリーノは表立っては何らの表情の変化も見せず、静かに首席文官の立つ方へと向いた。

 そして視線の集まる中をゆっくりとした歩調でドメニコーニの許まで進んで行く。

 ドメニコーニが怪訝の表情を向けるとルーベン・ミケリーノは笑って返した。

 そして、次の瞬間には身体を入れ替えるように背後からドメニコーニの両の腕を捕らえ、自らの左腕を滑り込ませて相手の左から両腕を拘束してしまった。そうして、腰から引き抜いたにグラディウス(小剣)を喉元に突き付ける。

 ホールに居合わせた誰も──武官すら──が声すら上げられぬ、鮮やかな手並みだった。


「グエルリーノ、直ちに長官府内に入れた兵を集めよ」

 突き付けたグラディウス(小剣)で首席文官を黙らせ、ルーベン・ミケリーノはトリヤーニに言う。

「どうも我々は、初めから〝招かれざる客〟だったようだ──首と胴が繋がっているうちにお(いとま)することにしよう」


 最初、さすがに驚きの表情を浮かべていたトリヤーニだったが、〝窓外を見よ〟とのルーベン・ミケリーノの目の動きで状況を(さと)った。

 トリヤーニは肯くと剣を抜き、自らが束ねる配下に兵を集めてくるよう命じる。

 周囲のマンドリーニの将らもトリヤーニに倣い剣を抜き、ドメニコーニを人質としたルーベン・ミケリーノを護るよう半円の形に周囲を固める。その時には、長官府の側の武官も剣を抜いていた。


 長官府内で聖王朝の軍役官吏同士が剣を突き付け合うという不名誉な事態が、第2幕の〝幕開け〟となった。




 大ホールから中庭に開かれた柱廊玄関に達したマンドリーニの一党は、そこで矢を(つが)えた一隊に囲まれて歩みを止めた。

 ルーベン・ミケリーノが後ろ手のドメニコーニの身体を盾として突き出し西方軍の出方を窺うと、矢を外すよう指示をして男が一人、弓隊の中程を割って出てきた。


 トガ(長衣)に竜騎の胸甲という風変わりな出で立ちの男に、ルーベン・ミケリーノは親しく声を掛けた。

「アニョロ・ヴェルガウソ……貴様だったか」

 アニョロは静かにルーベンを見返して頷いた。ルーベン・ミケリーノが重ねて訊く。

「貴様が此処に居るということは、やはりルージューと結んで俺を斃そうという腹かな?」

「形の上ではそう言えるのかな……。だが、貴様だけは赦すことは出来ない」

 と、そう言ったアニョロの側に煌びやかな西方の装いの鎧武者が立った。

 ルーベン・ミケリーノの顔に、引き攣る様な笑みが滲む。マンドリーニ一党のみならず、少なくない西方軍の将兵にも動揺が奔ったその時──、


「ルージューはルーベン・ミケリーノの首が所望!」

 凛とした声が鎧武者の口から発せられた。「──此度(こたび)(いさか)い、其処なるルーベン・ミケリーノが裏で糸を引いての暴挙(こと)、我らはとくと承知。ユスティティア(正義の女神)の名に誓って聖王朝に遺恨は有らず。ただ()の首に神判の下るのを見届けに参った」


 わずかに上気したクロエの貌は美しかった。

 何かの証しが示された訳でないにも係わらず、その声で語られた言に得心した西方軍の将兵は多く、ルーベン・ミケリーノらマンドリーニの一党を囲む輪はさらに狭まったようだった。

 ルーベン・ミケリーノの表情から、愈々(いよいよ)〝余裕〟が消えた。

(まま)ならんものだろう?」 冷淡な表情(かお)をアニョロはしてみせた。「マンドリーニの西方支配……望まぬ者は多いのさ」

 ルーベン・ミケリーノは、進退が窮まったのを認めざるを得なかった。

 周囲の人垣の輪は確実に閉じられようとしている。



 いよいよ包囲の輪が狭められようという時、視界の中で彩度が幾らか翳った。何が正午の陽光を遮ったのかと視線を遣れば、長官府の上空に飛空艇の姿がある。

「──御三男殿(ルーベン・ミケリーノ)……!」

 その声はオヴィディオ・ボネッティのものである。

 アンダイエの市中から取って返してきたらしい。どうやらルーベン・ミケリーノの命運は、まだ尽きてはいないようである。

 ボネッティはルーベン・ミケリーノが肯いて返すや、艇に並ぶ配下へと指示を下した。

「放て!」


 一拍を置き、中庭にいる長官府側の武官の頭上に、無数の矢が降り注いだ。

 思わず目を瞑ったクロエだったが、意を決して瞼を開けると、先ず自分を庇うアニョロの背中を見て取った。次にその肩越しに、頭上の飛空艇から幾条もの黒い筋の塊が自分に襲いかかってくるのを見る。これでよく当たらないものだ、と弛緩した感覚の中で思っていると、やがてそれはアニョロが風を操り矢を逸らせているのに思い至る。

 冷静になることができたクロエの視界の中で、高度を下げた飛空艇がルーベン・ミケリーノを迎え上げようとしていた。


 クロエは思った。

 ルーベン・ミケリーノ…──なんて悪運の強い男だろう、と……。

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