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風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
炸風
54/63

炸風 1


 アロイジウスは夢を見ていた。

 それが夢だとすぐに判ったのは、アニタが自分を睨んでいたからだ。

 それだけで、嗚呼、これは現実ではないのだと気付き、アロイジウスは一度跳ね上がった鼓動がゆっくりと収まってゆくのを感じる。

 視界の中のアニタの顔はまだ幼く、強情な瞳が揺れていた。

 その10歳の彼女の表情(かお)を憶えている──…初めてヴェルガウソ館を養父(ちち)に連れられて訪ねたときの、決して忘れ得ぬ記憶が甦ってきた。


 今は亡き先代のヴェルガウソ子爵アルバン・ハシントが、自分と養父を親しく館のホールで出迎えてくれたとき、アニタは兄のアニョロと共に其処にいた。

 ロルバッハ砦を出立する前の日に〝粗相の無いように〟と姉ユリアに強く求められて練習した作法の通りに自分は挨拶をしたのだったが、その時のアニタは(はな)から〝気もそぞろ〟で、一刻も早くこの場を退出したいとばかりに父ヴェルガウソ子爵の顔をチラチラと見ていた。

 解放された戦利奴隷の挨拶などよりも大事な〝何か〟があるのだろう。そのとき、そう思ったことを覚えている。当時の自分は、そういう扱いに慣れてしまっていた。


 事実は少し違っていた。

 アニタは、その前日から、着地に失敗して大怪我を負ったワイバーン(飛竜)の幼獣を館の竜舎で介抱していた。

 どうにか礼を失さぬ態で自分と養父とに挨拶を返したアニタは、すぐさま飛ぶようにして竜舎へと駆けていった。

 (くだん)の幼獣は、前年の暮れに生れた3頭の中から彼女が特に父に強請(ねだ)って任された〝お気に入り〟の1頭で、この時にはもう彼女に懐いていたことは後で知った。

 ようやく飛ぶことをし始めた幼獣の兄弟が〝じゃれ合う〟うちに怪我をする、という事はないことではない。怪我の具合が軽ければよかったのだが、脚に負った傷は致命的だった。グリフォン(大鷲獣)程の巨躯でなくともワイバーンは大型の獣である。大きな体躯をその脚で支えねばならない。脚に重い傷を負えば飛び立つことはおろか自らの重い体躯を支え切ることが出来なくなり、やがて脚から壊死していくことになる。

 その幼獣の負った怪我は、そういう具合のものだった。


 館付きの獣医や厩役には、もう何日も前から、幼獣が助からないと判っていたろう。事情を聞かされぬまま初めて状態を目にした自分にさえ、そのことは判った。──ロルバッハ砦でワイバーンの世話を任され、島嶼の島々の中で翼獣の扱いを学んでいたのだ。日々の暮らしの中で、親しくなった翼獣の死も経験していた。


 竜舎のみならず館全体に重い空気が漂う中、唯一人アニタだけが幼獣の快癒を信じて疑わないでいた。その健気さに父も(アニョロ)も目を伏せるばかりだったが、そんなうちにも幼獣は衰弱していった。

 ようやく人の身体程に成長した体躯(からだ)を苦し気に悶えさせる幼獣に、アニタは懸命に声を掛け、水で濡らした布で熱に(ほて)る体躯を拭いてやっている。だがそうしたところで快方に向かうはずはなく、痩せ細り衰弱するばかりとなった……。

 流石(さすが)にアニタの表情も翳っていった。


 嗚呼、やはりこれは夢なんだな……。

 記憶の中に納められた通り…──それでも諦めないでいる彼女に、誰も〝穏やかな死(安楽死)〟を勧めないでいることに微かな怒りを滲ませた〝あの日〟のアロイジウスが言った。


『──…もう、苦しませるのは止めなよ……』


 幼いワイバーンの側に膝をついて見守るアニタの背後から投げ掛けたその言葉が、竜舎の空気を更に重くしたことを覚えている。

 最初、アニタはその言葉に〝聴こえないふり〟をしようとしたが、それを含めて非難がましく背後に立ち続ける自分(アロイジウス)の気配に、終に肩を怒らせて立ち上がった。背後を振り見遣ると、キッと睨み返してきた。

 そのとき初めて、彼女から〝感情のある〟表情(かお)を向けられた。


『なんで……なんでそんなことを言うのっ……』

『……かわいそうだ』


『今は苦しいでしょうけれど、きっと良くなるのっ……』

『……よくはならないよ』


『治るわ! 治るためにこの子はがんばってるっ……』

『……もう、治らない』


 そんな遣り取りがあったと思う。

 最後は、泣きそうになりながらそれを懸命に堪える強情なアニタの肩に手を置いて、父ヴェルガウソ子爵が優しく云って諭した──「(アロイジウス)の云う通りだ」と……。

 その手を振り払って竜舎を飛び出していったアニタを見送ると、父子爵は獣医にそっと肯いた。

 ワイバーンは、その日のうちに苦しみから解放された。

 最後の瞬間には、アニタは(ワイバーン)の側に戻ってきていた。

 もう既に泣くだけ泣いたのだろう。最後を看取ったとき、彼女は泣かなかった。


 翌朝、館の片隅にワイバーンの骸を葬り石を置いて墓としたとき、初対面だった自分から〝厳しい言葉を投げ掛けてしまったこと〟に何と声を掛けたら良いかと言葉を探していると、彼女の方から声を掛けられた。

 腫れぼったい顔の彼女は、畏まって頭を下げると、ワイバーンを苦しませてしまっていた自分の身勝手を指摘してくれたことの礼を述べ、改めて礼を失していたことを詫びた。

 それから、どう応じたものか戸惑う自分を前に、不安気に微かに震える声で彼女は訊いたのだ。

『──あんなに苦しませてしまって、あの子はちゃんと天国へ辿り着けるかしら……。途中で力尽きてしまわないかしら……』

 そう云って心配する彼女の(てら)いのない表情に、好感を持ったのはこの時だ。

『大丈夫だよ。こんなに大事に扱われたワイバーンは、そうはいないもの。きっと次に生まれたときには君を乗せて飛びたいって、そう〝葬祭の女神〟に伝えようって天国に還っていったさ』

 自分のその言葉に、彼女は少し安心したように小さく笑うと、サッと手を差し出してきた。それから表情をあらためて云った。

『アニタよ。これからよろしくね』



 その手を取ろうと手を伸ばしかけたとき、夢は醒めてしまった。


 ──まっ、待って……っ!


 アロイジウスは目を開けた。

 そこは無論ヴェルガウソ館の庭でなく、警衛の獄の石畳の上でもなかった。

 清潔なベッドを覆う白い帳に、暖炉に(おこ)された炎の照り返しと影とが踊っている。

 ベッドに半身を起こしたアロイジウスは、室内に人の気配を感じて目線を遣った。

 ソニア・トザッティの、睨むような硬い表情があった。

 何と声を掛けるべきか。アロイジウスのそんな思案を余所に、ソニアはつと目線を外すと、足早に部屋を出ていった。

 アロイジウスは、自分がまだ〝天国〟に辿り着けていないことと、状況が何ら好転していないことを知った。




 パウラ・アルテーアは、町娘に扮した自らの出で立ちを〝名を持たぬ女〟の前で確かめさせる様に、その場でくるりと廻ってみせた。

 女の方は〝不思議なもの〟でも見るかのような表情だったが、パウラの視線を感じ取ると 取り繕った微笑になって肯いて返してやる。正直、市井の娘というには無理があったが、それでも〝御忍びで市中に出る良家の子女〟程度には見えなくもない。

 その女の表情に、パウラはとくに満足気に、というふうでもなく頷き返すと、何気ない感じに言った。

「アロイジウスへの暗示……後は任せてよいのかしら?」 問い掛けの形の命令。

 女は肯き、

「お任せを……」

 と女主人(あるじ)に手を伸ばし〝端然と過ぎる〟主人の着こなしを少しばかり崩してやりながら、やはり何気なさ気に訊き返した。

「──ですがパウラさま。パウラさま自らコレオーニの商館を訪ねる必要がありますの?」

 パウラは物憂い表情(かお)で応じた。町の〝走り使い〟を装う小道具のバスケット()を手に取り、中に蝋燭を確認する。パウラはこれから一時、〝蝋燭売り〟となるのだ。……が、差し当って今はアルソット家のパウラ・アルテーアである。

 何らの表情の浮かばぬ顔で言う。

「あると言えばある、ないと言えばないわ……」

「…………」

 〝名を持たぬ女〟は、その思惑を推し測るように主人の横顔を盗み見て、

「では、〝ない〟のでしょう?」

 女主人の気紛れを、そう〝問いの形〟で断じてみせた。

 それにパウラはふっと嗤った。

「いいじゃない。──…ルージュー・マルティの末息子アベル・サムエル。少し興味が湧いたわ。〝よくしてくれた〟こともあるのだし、少しばかり戯れるのも一興よ」

 先に出会った際にアベル・サムエルの心の表層はすでに読んでおり、彼がマルティの男子であることは判っていた。


 そんなパウラに、女は目を伏せて応じた。

 あらためて女主人(あるじ)の性分を思う──。

 パウラ・アルテーアにとって少年の純情を弄ぶのも、聖王朝と西の大邦とを相争わせるために画策するのも同じようなことなのだ、と。


「それでは、後はよろしくね」

 女はその声に頭を下げると、部屋を出て行くパウラの背を見送った。




 アンダイエ在所のコレオーニ商館に〝ローブ姿の女性からメッセージを預かってきた〟と蝋燭売りの娘が姿を現したのは、正午の前という時間だった。

 〝名を持たぬ女〟が訪れた日から2日が過ぎている。

 アティリオと共にホールに下りたアベルは、そこに知己の顔を見て驚いた。──蝋燭売りに扮してはいるが、間違いなく〝先日グリフォン(大鷲獣)に襲われたところを助けてやった少女〟である。

 町で〝走り使い〟をする貧しい者に有り勝ちな落ち着きの無さからは程遠い物腰で、少女はアティリオの伸ばす手の中に〝言伝て〟の紙片(メッセージ)を物怖じすることなく置いた。普通の〝走り使い〟とは違った意味で、カーテシーが不似合いだった。

 なら〝市井の娘〟に扮する意味など無かったんじゃないのか? そう額に手を遣りたくなったアベルは、同時に、なぜ彼女がアロイジウスを(さら)った魔女の〝走り使い〟をしているのかが解らず、心の中では混乱させられている。

 その混乱したアベルは、ふと自分に向けられた少女──アルテーア──の悪戯っぽい目線に気付き、大いに(あせ)らされることとなった。浮かれた〝市井の娘〟のする様な、媚びを湛えた笑みで無かったの救いだったが、余りに明け透けな目線だったからだ……。


 そんな異母弟(アベル)の心中の焦りを他所に、紙片を受け取ったアティリオはそれを一読するや〝蝋燭売りの娘〟に頷いて言った。

「委細承知したと伝えてくれ」

 まさかその紙片を(したた)めた当人が目の前の〝蝋燭売りの娘〟であろうとは露とも思い至らないのはアベルも一緒である。マルティの2人を前に、パウラ・アルテーアは小さく頷いてもう一度腰を折ってみせた。



 パウラは商館のホールを辞すると、建物の正面に開けている広場の噴水の前に立った。上品な佇まいが人目を惹くのも構わずにアベルが出て来るのを待つ。

 程なく、彼女の思惑通りにマルティの末の息子は商館から出てきた。

 アベルは真っ直ぐパウラの許に歩み寄ると小さな紙片を手渡し、踵を返して商館へと戻っていった。それを見送り少年(アベル)の背が商館の中に消えると、手許の紙片を(おもむろ)にパウラは開いた。

 そこには、『3時頃、〝水場の杜〟の池の辺で』と(したた)めてあった。

 ──その場所は、初めて会った場所だ。


 パウラは満足気に笑うと、燕の様な軽やかさでその場を離れた。

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