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風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
嵐気
49/63

嵐気 3


 ルーベン・ミケリーノ・マンドリーニの率いる軍船団がアンダイエに到着したのは、アニョロらがアンダイエに着いてから3日の後のことであった。

 陽が中天に差し掛かる以前に、マンドリーニ公爵家の軍旗を掲げる大船〈ミアガルマ〉のマスト(帆柱)が瘴の雲が低く流れる北東の空から現れると、アンダイエの民は……或る者は深く考えるでもなく安堵の面持ちを浮かべ、また或る者は怪訝な面持ちを隠そうともせずに遠目に瞼を細めている。

 西方長官府の旗艦〈ハウルセク〉の姿が見えない……。


 戦勤めの者でなくとも、西方に住まう者であれば誰もが聖王朝の西方支配の象徴たる〈ハウルセク〉の姿形を見知っている。軍船団がアンダイエに入る際には必ず〈ハウルセク〉はその先頭にあるもの……そう心得ているのがアンダイエの住民である。

 船団が東港の空中桟橋に舳先を向け次々に進入して来る段になると、戦勤めとは係わりのない者も〈ハウルセク〉の姿が見当たらないことに(ようや)く思い至り、眉根を寄せて側らの者と目線を交わす者が目立つ様になっていた。戦勤めに係わる者は、西方軍の物と異なる軍旗を掲げる大船団を、胡乱な目で見守っている。


 そんな市井の目線の集う東港の桟橋に、ルーベン・ミケリーノは降り立った。

 ()西方長官ポンペオ・タルデリであれば、桟橋からは輿に乗るのが常であったが、ルーベン・ミケリーノは胸甲姿のまま、供廻りの兵と幕僚等を引き連れ、徒歩(かち)で西方長官府へと向かった。



 その姿を見送る者らの中に、ソニア・トザッティの姿があった。

 ことの事情を知らぬソニアは、港に軍船が戻ったとなればその中にエレウテリオ(ウテロ)・ムナーリの姿があるのではないかと駆けて来たのだった。が、桟橋に見知った顔は無かった。

 所在なげに肩を落としたソニアの耳が、マンドリーニの兵らの交わす遣り取りを拾ったのは、視線の先でルーベン・ミケリーノの一行の姿が大通りに消えた時だった。


 ──…しかし、アロイジウス・ロルバッハ……上手くやりやがったな。西方長官を〝売って〟今頃はルージューのお抱えか。仲間を売っても勝てばいい、てか? そんなものだろう、機会次第さ。あやかりたいね……。


 風体の良くない2人組の傭兵崩れの会話だった。

「もし……」

 普段であれば決して近付くことはしなかったろうが、会話の中の〝アロイジウス〟の名にソニアは声を掛けてしまっていた。

「そのお話、いったいどういうことなのでございましょう?」

 傭兵崩れと思しき2人は、ソニアに見上げられるや素早く目線を交わした。



 それから幾らも経たぬうち、桟橋に隣接する倉庫群の裏の路地裏でソニアは悲鳴を上げようとした口を自分の長衣の端で塞がれていた。

 アロイジウスの件は市中での口外は憚られる、と傭兵崩れの2人に挿まれるように物陰の方に引いていかれたのだ。何故このような者たちに声を掛けてしまったのだろう、と後悔の念を強くした時には押し倒され、男どもの身体が()し掛っていた。


 恐怖と羞恥と怒りで震えながらもソニアは精一杯の力で抵抗した。が、女子の細い腕と脚の力では戦場帰りの男2人に抗えようはずはなく、にべなく組み伏せられてしまう。

 ソニアは涙でぐしょぐしょになった顔の目をきつく閉じ、ある時分(とき)まで〝兄〟と慕い、いまは婚儀を約した男性(ひと)となったエレウテリオ(ウテロ)の顔を想った。


 ──ウテロ兄さま……助けて……。


 と、その時、

「──誰かいるのか?」

 そう質す若い男の声がした。


 傭兵崩れ2人の視線が路地の入口に向く。暗い路地裏から光の入ってくる方向に向けた目が眩む。少しして慣れ始めた目が、倉庫建屋の端からこちらを覗く歳若い聖王朝竜騎のシルエット(人影)を捉えた。

 2人は──それが無駄な事であることに思い至らないのか──2人示し合せて息を顰めた。その一瞬動きの止まった隙に、ソニアが力を振り絞って腕と脚とを振り回し、それが路地に積まれた樽や木の切れ端を打って周囲に音を響かせた。

 その音に人影は路地に入って来た。


「何をしている?」

 若いに似ず鋭い声音だった。2人の傭兵崩れは動きを止め、組み伏せているソニアの身体の上で相手の出方を見るようにしている。

 若い竜騎は、その光景にその場で行われつつあったことを理解したのだろう。一層厳しい声音になって再びソニアの上の男どもに質した。

「何をしていると訊いたっ!」

 それに(ようや)く反応しのろのろと立ち上がった傭兵崩れ2人は、若い竜騎に近い方の1人がゆっくりと声の主の方を向いて、

「──…お、俺たちは、そのぅ……」

 何やら言い訳をするふうに、鈍い頭を巡らせるように口を開く……。と、その右手が腰のグラディウス(肉厚幅広の両刃の短剣)を抜いた。傭兵崩れの巨体が、身体ごと若い竜騎に突進──襲い掛かった。


「あっ!」 と声を上げたソニアの眼前で、弾かれる様にして身を退き悲鳴を上げたのは、突進していった巨漢の傭兵崩れの方だった。右手にグラディウス(小剣)はなく、千切れた親指が付け根の辺りから皮一枚でぶら下がっていた。男は左の手で付け根を強く押さえ、止血しなければならぬ羽目となっている……。

「死にたいのか?」

 若い竜騎の、口程には余裕のない年齢(とし)相応の若い声が、傭兵崩れの苦痛に歪む顔に投げ掛けられた。竜騎の左手の中には、刺突に特化した細い刃があった。

「…………」

 傭兵崩れは、右手の痛みに脂汗を浮かべながら言葉を失っている。対峙する若い竜騎を見返し、この結果が〝只の運〟なのかどうかを訝しむように、路地に落ちた自分のグラディウス(小剣)と竜騎の顔とに視線を遣っていた。

 と、遠い位置に下がっていた〝いま一人の傭兵崩れ〟の方が、脱兎の如く路地の奥へと逃げ出した。

 巨漢の方も、舌打ち一つして相棒の後を追って行った。

「あ、待て!」

 若い竜騎はそれを追おうとしかけたが、路地に置き捨てられたソニアが置き上がろうとするのを見て、その足を止めざるを得なかった。


「無事か?」

 左手の得物を仕舞いながらそう静かに訊いてきた若い竜騎に、ソニアは長衣の裾を直しながら小さく、だがしっかりと頷いて返した。そのソニアの表情に竜騎──ヴィジリオ・ジョット・コンタリーニは安堵した表情となり、それから神妙な面差しに戻して言った。

「不幸中の幸いでした。戦場帰りの兵は気が立っているもの。このような場所に連れ込まれる前に声を上げるなりして自分の身を守らねば…──」

「──竜騎さまっ」

 ソニアは、その若い竜騎、ヴィジリオ・ジョットの〝説教面〟を遮って声を上げた。

 戸惑うようなヴィジリオの若い顔に、ソニアは訊いた。

「〝竜騎アロイジウス・ロルバッハが仲間を売った〟と聞きました。……どういうことでしょう?」

 その切羽詰まったふうなソニアの表情(かお)に、ヴィジリオ・ジョットは言葉を探した。

 この件は箝口令が布かれている。この時点で迂闊なことは口に出来なかった。が、ソニアのその表情に(ほだ)されたヴィジリオは、彼女の蒼白な顔に訊いていた。

「……アロイジウス・ロルバッハの御身内か?」

 一瞬だけ〝どう答えるべきか〟を戸惑ったふうなソニアが肯いてアロイジウスとの関係を説明すると、ヴィジリオ・ジョットは小さく息を吐き、()()()()事実を教えてやった。




 ソニアは、竜騎ヴィジリオ・ジョットから聞かされたカルデラの地での戦いの〝事始め〟とその〝顛末〟に半ば呆然自失となり、ふらふらとした足取りで何とか家に辿り着くこととなった。


 開戦は、ルージュー辺境伯に通じたアロイジウス・ロルバッハの手引きした刺客が西方長官タルデリ伯を襲ったことで引き起こされたのだという。タルデリ伯は逃げ(おお)せることなく、カルデラの南の空に斃れたと云う……。

 そして取り残された西方軍は〝絶望的な〟戦いを強いられたはずで、恐らく誰一人助からなかったろう、と、若い竜騎(ヴィジリオ・ジョット)の口から告げられた。


 では、ウテロ兄さまは……アーロイに裏切られて殺されたって云うの?


 まだエレウテリオ(ウテロ)の消息は判らない。

 それを訊いたソニアにヴィジリオは、自分はマンドリーニの船団に居たので西方軍の詳細は知らない。〝西方長官の最後〟も〝〈ハウルセク〉が沈んだ顛末〟も、間に他人(ひと)を挿んでの伝聞で本当のところはわからない、と云うだけだった。

 ……が、そう言ったヴィジリオの、訊いたソニアとそう年齢(とし)の離れていない顔に浮かんだ神妙な面持ちは、確かにソニアを気遣ってのものだったと感じる。


 前の日に会ったアロイジウスの、居心地の悪そうな表情(かお)が思い返された。

 いつものアロイジウスと違う〝何処か後ろ暗い感じ〟が、確かに有った。。

 いま思えば、あれはあたしの顔が見れなかったから……?

 アロイジウスはあたしに嘘を云って……騙した?


 そう言えば……。

 ソニアは思い至った。確かアニタさまをルージューのアティリオ・マルティに(あて)がうことに拘ったのはタルデリ伯さまだった。他にも…──。


 今まで考えたこともなかった疑念が次々と頭を擡げてくる。

 アロイジウスはタルデリ伯から些細なことをいつも咎められ、〝出自のこと〟でも事ある毎に口の端に乗せられては辛い思いをしていた。


 そんなことが積もりに積もって、事に及んだ……。

 そういう話の帰結となり、そうなった瞬間にアロイジウス・ロルバッハはソニアにとって〝許婚の仇〟となった。


 どんなことがあろうと、〝仲間を売る〟などという破廉恥な行いは真っ当な竜騎のすることではない。ましてエレウテリオはアロイジウスを弟のように可愛がり、あんなに世話を焼いていたのに。

 その(エレウテリオ)のいる西方長官さまの軍を裏切って、ルージューに売るなど……。



 ソニアは、自分が怒りに震えていることに気付いた。

 身を預けていた自室の扉の内側に爪の喰い込む感覚を覚える。


 ウテロ兄さま……。

 ソニアはこの時、〝アロイジウスを赦さず、犯した罪を贖わせる〟ことを、心の中のエレウテリオに誓った。

 外套を手早く纏った彼女は、暗い部屋を出た。




 1時間(ホーラ)もしないうちにソニアの姿はドメニコーニの屋敷にあった。

 アロイジウスが〝得体の知れない者〟と一緒にアンダイエに潜んでいる、という事実を、長官(タルデリ)不在の西方長官府を預かる首席文官の耳に届けようと駆け込んだのだ。

 オリンド・ドメニコーニは母方の縁者であった。ドメニコーニの妻はソニアの母の従姉に当たる女性で、何度か屋敷に招かれたことがあった。ソニアとしては現在のアンダイエで一番の実力者が身内であることに思い至り、その伝手(つて)を〝素直に〟頼ったのだった。まさかアロイジウスらがドメニコーニを訪ねていようなどとは彼女には判らない。


 通された応接の間で四半時間(15分)程待たされると屋敷の主(オリンド)が現れた。立ち上がって膝を折ろうと(カーテシー)したソニアを片手で制したドメニコーニは、正面の席にに回って腰を下ろした。

「それで……市中に潜むアロイジウス・ロルバッハの姿を見た、と?」

「はい」 ソニアは慎重に頷いた。

「アロイジウス卿は西方軍の武官だ。首席武官の命を受け、事前にアンダイエに渡って来たのかも知れん……」

「……ドメニコーニさま」 韜晦しようとした首席文官をソニアは遮った。「──アロイジウスが西方軍を裏切り罠に掛けたことを聞きました」

 ドメニコーニは肩眉を上げることとなった。ソニアの顔を窺い、やがて低く訊いた。

「どこからそれを?」

「今日、東港に入った軍船の竜騎さまから聞きました。お名前は……」

 この件について〝箝口令〟が布かれていることはヴィジリオ・ジョットその人の口から聞いたことに思い至る。

「──言えばどのようなことになるのか、お教えいただけねば、申せません」

 ドメニコーニは、改めてソニアを見遣ると溜息を吐いて部屋の扉の方に声を掛けた。「……入ってくれ」


 ドアが開くと冷気が流れ込んできたようだった。

 応接間の入口には、暗い色のローブを纏う女性が1人立っている。

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