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風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
風鳴
46/63

風鳴 5


 クロエは、思わず口を吐いて出てしまった自分の声に、今度こそ言葉を呑んだ。

 まさか1日目からこの様なことになろうとは……。彼女としては、もう少し素性を伏しておきたかったのだが、思いがけぬアニョロの吐露に言葉を発してしまっていた。

 アニョロが真っ直ぐに自分を見ている。

 クロエは、観念をして兜を脱いだ。

 目線をアニョロへと向ける。ブルネットが冷たい風にそよと揺れた。

 彼の表情(かお)が強張るのが判った。

「お前……髪を…──」


 一瞬、胸を込み上げるものがあった。

 アニョロの前に立つ自分の髪は、いまは肩よりも上で刃を入れられ、昨日までの艶やかな出で立ちは見る影もない……。

 妹2人と比べ(たお)やかさに欠けることを自覚しているクロエにとって、髪だけは秘かに自慢であった。それに、今朝、自ら鋏を入れたのだ。

 カプレントの商館の中庭で、あるいは月夜のバルコニーで、アニョロが称賛してくれたあの髪は、今はまるで少年のように短髪となっている。

 そうしたのは、ジョスタンに云われたからだ。

 ──アティリオに付いて敵地(アンダイエ)に渡るというのなら、〝覚悟〟を示せ、と……。

 だから兄弟の前で自らの髪に鋏を入れたのだ。


 それなのに……その覚悟を強いたアニョロが、まるで〝そうしたこと〟を批難するように表情(かお)を曇らせ息を飲んだのを見て、クロエは反射的に声を上げていた。

「貴方には関係のないことです‼」

 それから、自分の声音を御するのに苦労しながら言う。

「──私は〝私の仕事〟をしています。警護に長い髪は邪魔でしょう……っ」

 自分で口にした〝邪魔〟という単語に、思わず涙が滲みそうになる。そんなクロエの顔を、アニョロは強張った面差しのまま見返すのだ……。

 言葉を失った態のアニョロの様がクロエにはいよいよ腹立たしく感じられた。思わず目許がキツくなるのを自覚する。

「それに……貴方に〝お前呼ばわり〟される(いわ)れはないわ!」 その自分の声の抑揚に驚きながら、「──貴方は私との婚約(はなし)を破約にした。もう貴方と私は無縁です。ルージューの女は、(えん)所縁(ゆかり)もない殿方に〝お前〟と呼ばせるようなこと(無礼)を許しません!」

 そこまで一気に言い募ってアニョロを睨む。


 一方、アニョロの方にも、そんなクロエの心情を推し測る余裕がないようだった。

「君は……馬鹿なのか?」

 反射的に声を上げようとするクロエを遮って続ける。

「君を巻き込みたくない、そう言ったはずだ。──聖王朝の権門に盾突くことほど詰まらぬことはないんだ。馬鹿な男に付き合って人生を棄てる愚を犯すつもりか?」

「私の人生です!」

 間髪も置かずに彼女の声が返ったことで、アニョロは口を噤んだ。

 クロエの、今度こそは抑制された声が言継ぐ。

「──私はアーティ(アティリオ)兄さまの警護を買って出たのです……貴方の警護をしているわけではありません。警護には長い髪は邪魔なのですっ」

 言うやクロエは踵を返すと自分たちの天幕の入口のカーテン(引き幕)を乱暴に()けて、そそくさと逃げるように中へ消えてしまった。


 アニョロは、憮然とそれを見送りつつ、溜息と共に頭を振るしかなかった。

 感情を素直に出したときの彼女(クロエ)の貌は、やはり美しい……と思う。が、それはそれとして、これを一体どうしたものかと思案を巡らせ始めたところで、自分たちの天幕から出てきたアロイジウスの目線に気付いた。

 アロイジウスの厳しい表情が云っていた。


 ──戦地に女性はダメだ……。〝守れなくなったとき〟どうする?


 と……。

 アニョロは、理解して(わかって)いると片手を挙げて返事をし、船尾へと足を向けた。



 船尾で舵を操っていたアティリオは、アニョロ・ヴェルガウソが表情を消して大股で近付いて来るのを見た。

 アニョロは舵を握るアティリオの前に立つと、その表情と同様に感情を消した声で質した。

「……図ったな?」

「はて?」 アティリオの方は韜晦して応える。「従士の人選はこちらの勝手。一々そちらに伺いを立てる必要が?」

「…………」

 アニョロはしばらく黙ってアティリオを見下ろしていたが、やがて〝致し方ない〟とばかりに肩を竦めると隣に腰を下ろし、訊いた。

「守り切る自信が?」

 今度はアティリオも慎重に応えた。

「クロエは自分の身は自分で守れる……弓を取れば、並の男よりも余程に腕が立つ──」

 それを、乾いた声でアニョロは遮った。

「──アニタもそうだった」

「…………」

 しばしの沈黙を挿んで、アティリオは白状した。

「……実はジョスタン(あに)の〝差し金〟だ」

 アティリオの目線が、クロエの居る天幕へと流れる。

「──貴殿と私、アロイジウス卿の3人だけでは、ルーベン・ミケリーノを斃して良しとしかねない。クロエが同行すれば命を〝()(がまる)〟ようなことはできまい。……生きて必ず還ってこい、と、まぁ、そう考えてのことらしい」

 そう言って苦笑するアティリオにアニョロは絶句し、それから険しい目をアティリオに向けた。

「ジョスタン・エウラリオは、そのような考えで妹をアンダイエに送り出したのか⁉」

 アティリオは苦笑を貼り付かせたままの顔で応じた。

「それだけ貴殿と私とを信頼している、ということだ。──貴殿も私も、〝生きて〟還らねばならなくなった……」

 それにアニョロは思案顔を作った。それから顔を顰めて言う。

「聞きしに勝る〝人使いの荒さ〟だな」

 言って立ち上がったアニョロの背に、アティリオは投げ掛けた。

「これで半端な策では臨めなくなったろう? ……策士殿」

 それにアニョロは事も無げに振り返る。そしてふんと鼻を鳴らして返した。

「あんたこそ〝周到の人〟の二つ名が伊達じゃないのを示さねばならないんだろう?」

 曖昧に頷いたアティリオを残し、アニョロは船尾を離れ自分たちの天幕の方に向かう。

 その背を見送りながらアティリオは、不器用な異母妹(いもうと)とそれを持て余し気味のアニョロとのやり取りを思い返していた。


〝シラクイラは全てを喰い尽くすウロボロス〟


 ……そう言ったアニョロ・ヴェルガウソの口が、〝相手の息の根を絶つ戦い〟の準備…──いや、覚悟の有無を訊いた。


〝ルージューは勝ち方の見えぬ戦などしません〟


 クロエは〝あの様に〟答えたが、現実には、アティリオもジョスタンも、未だに答を見出せてはいない……。



 アティリオは小さく呟く。

「……〝先の展望〟か。世の中、見えぬことばかりだな」

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