表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
風鳴
44/63

風鳴 3


 まだ陽が昇りきらぬうちにカプレントの商館を抜け出したアニョロ・ウィレンテ・ヴェルガウソは、港の桟橋に横付けられていたルージューの飛空艇に人目に付かぬようにして乗り込んだ。

 艇の上にはルージューを統べるマルティ家の三男、アティリオ・マルティ・アブレウが常ならぬ硬い表情で立っていた。側らに西方の(きら)びやかな鎧姿を二人従えている。どちらも(いささ)か小柄ではあったが、何れ腕に覚えのある衛士なのであろう。

 アニョロが掛けられた板を伝って船上に上がると、アティリオは只黙って頷いた。それでアニョロもまた頷いて返した。


 商館の業務は信頼の置ける手下(てか)に託してきている。細かな指示も残してきた。当面はルージューと示し合わせた通り、門を閉ざして状況の推移を見守り、戦時虜囚の交換窓口となる。

 クロエとはあの後、もう会うことは叶わなかった。

 最後にあの澄んだ目を見ておきたかったが、アニョロが部屋を訪れた時には、兄ジョスタン・エウラリオに従って商館を引き払った後だった。

 私物がそのままに置かれた彼女の部屋に立ったとき、やはり傍に居て欲しかったと思っている身勝手な自分を思い知る。だが、それと同時に覚悟も定まった。

 彼女は強い女性(ひと)だ。命のある限り〝彼女〟は彼女で在り続けてくれるだろう。生きる道を自分で決める女性だ。

 だから自分は、クロエとの縁を解いてもらったのではないか。



 そうしてアニョロはルージューの用意した飛空艇に乗り込んだのだった。最初の行き先はカルデラ南壁の〝浮舟の砦〟である。

 ルージューのジョスタン・エウラリオから、ルーベン・ミケリーノの入ったアンダイエに渡る前に()の地の砦に籠る西方軍の残兵らに開城の説得をせよ、と送り出された。

 ルージューとしても緒戦を制した以上、残された砦を強襲し(いたずら)に兵を損なうことは避けたい。砦に残る兵らの助命と退路の安全を引き換えに開城を求めるのは道理であった。

 アニョロには砦の残兵を纏めてアンダイエまで引率する役が与えられる。(アニタ)の仇であるルーベン・ミケリーノの懐に入る口実が得られるわけで、アニョロにとっても益の有る話だった。


 ルージューの描いたこの筋書きにアニョロは乗ることにした。軍使として〝浮舟の砦〟に入ることが出来るのは有難い。アニョロとしては、仇の在るアンダイエに入るに当たり、是非とも〝浮舟の砦〟から連れ出したい人物がいた。

 妹が結ばれるはずであった我が友──アロイジウス・ロルバッハである。

 アニタを死に追いやったルーベン・ミケリーノを討つのである。その事業を彼に黙して成すということはアニョロになかった。妹の非業の死を納得するアロイジウスではない。まして彼は、アニタのみならず養父母ともを殺されている…──〝(ルーベン)をどう討つか〟、恐らくそればかりを考えているはずである。




 〝浮舟の砦〟にルージューからの軍使が到着したのは、正午までまだ2時間(ホーラ)ほど、という頃合いであった。

 此度の使者は弁舌爽やかに開戦の口上をしてみせた美丈夫、マルティ家の五男マルコではなく、その異母兄で三男のアティリオであったが、何れにせよ美しい青年であることに変わりはない。

 頼みの〈ハウルセク〉を喪い目に見えて士気の低下している砦の浮桟橋で出迎えたアロイジウスは、軍使の(しるし)である白旗を掲げたルージューの艇から降りてきたマルティの貴公子の後ろに知己の顔を見て息を呑んだ。

「アニョロ……」

 流石に戦の最中のこと、軍使一行として現れたアニョロに声を掛ける訳にもいかずアロイジウスは口を噤んだ。アニョロもまた、唯黙って頷いただけである。


 正使のアティリオ、副使のアニョロの他、2名の衛士というルージューの一行は、砦の中央部に浮く今は本丸として使用されている飛空船へと案内された。元は8パーチ(≒24メートル)の船で、その甲板の上で守将のボニファーツィオ・ペナーティが待っていた。周囲には西方軍の将兵が囲んでいる。

 アティリオは、そんな中をペナーティの前まで進み出ると単刀直入に言った。

「挨拶も社交辞令も無し、ということで進めたい。砦を棄て此の地を去れば、ルージューは貴殿らの命と退路の安全を保障します」

 これに西方軍の将兵らは動揺した。アティリオの態度も言葉も丁寧ではあったが、このルージューの言は俄かには信じることは難しい。ルージューは聖王の代理人たる西方長官を騙し討ちにしたのだ。

 ペナーティは、その思いを正直に口にした。

「その言葉を信じる耳を、我らは持ち合わせていないな」

 アティリオの口許に皮肉な微笑が浮かんだ。ルージューからすれば聖王朝の側から挑発してきた戦を受けたまでである。

「では、ここで貴殿らはことごとく討ち死にすることとなります。無駄な死を所望、ということになりますな」

 小さな砦の〝本丸〟に緊張が奔った。アティリオの慇懃無礼な上に問答無用なこの物言いに、アロイジウスでさえ鼻白んでアティリオの隣のアニョロを見た。

 このときになってようやく、アニョロが腕を小さく振り上げ口を開いた。

「ボニファーツィオ卿……先ず兵らを下げてくれまいか。これ以降は卿とロターリオ男爵との話としたい」

 言ってアニョロはアティリオを見た。アティリオは肯いて返す。

 ペナーティはロターリオと目線を交わすと、アニョロに船尾楼の扉を指し示した。

 アニョロは独り扉の方へと足を向け、

「アロイジウス、おまえも来てくれ」

 と、アロイジウスの前を横切るときにそう言う。

 アロイジウスはペナーティを見、ペナーティが肯いたので共に船尾楼へと入った。

 アティリオは衛士と3人になって、つい先程まで殺気立っていた西方軍の将兵らと本丸の甲板に残ることになった。



「やはり開城が得策か?」

 船尾楼の扉が閉まるやペナーティはアニョロを質した。アニョロは考えるまでもない、といふうに首を縦に振った。

「ルーベン・ミケリーノは船団をアンダイエに返した。戦略的に正しいがこの砦は見捨てられた。この上戦うとなれば、アティリオ・マルティの言うように〝無駄な死〟に殉じるだけとなるな」

 ロターリオが、ふんと鼻を鳴らす。

 籠城を続けても援軍の当てはない。そのようなことは始めから判っていたことだ。

 マンドリーニ軍は向かい風を衝く勢いを示さなかった。練度が低いのか、或いは〝こうなる〟ことへの思惑から〝動かなかった〟のか。何れにせよルーベン・ミケリーノは兵を退いた。アンダイエに残した留守居の隊が動いたとして、それでも8日から10日は掛かる計算である。それまでとても持ち堪えることは出来まい。

 そもそも砦に籠ったのは〈ハウルセク〉の後退の時間を稼ぐためで、〈ハウルセク〉を喪失した時点で戦うことの意味もなくなっている。


「──意味の無い死に兵を追いやることは将のすることではないでしょう」

 そう静かに言ったアニョロに、ペナーティは疲れた目を向ける。

「それを言わされるために卿は此処へ来たか」

 アニョロは曖昧に肯いて返した。

「それで……我々に選択肢はそれ程ない訳だが──」

 ロターリオが静かに割って入って訊く。

「ルージューを信じられるのか?」

 カルデラの南で戦った彼らにとって、ルージューは聖王朝の西方長官を騙し討ちにした叛徒である。またこれ迄のカルデラの南における〝不義理〟は(およ)そ許せるものではなく、信を置くことが難しい。

 だが不信の声で質すロターリオに、アニョロははっきりと請け負ってみせた。

「それについては……少なくともアンダイエまでの撤退は間違いなく保障される」

「なぜそう言い切れる?」

「それが〝策〟の一環だからだ」

 その言葉に、それまで黙っていたアロイジウスの口から怪訝な声が漏れる。

「策……?」

 アニョロは厳しい表情で続けた。

「砦の兵をアンダイエまで引率することでルーベン・ミケリーノに近付く」

 ペナーティとロターリオは、アニョロの口から〝ルーベン・ミケリーノ〟の名が出たことで、それぞれ緊張の面持ちとなって視線を交わした。アロイジウスはというと、アニョロのその言葉に戸惑い、ただ怪訝な表情となっただけである。

 そうして結局、ペナーティがアニョロの真意を質すことになる。

「何を言っている?」

 アニョロは抑揚を抑えた声で応えた。

「ルーベン・ミケリーノを討つ」


「…………」

 室内の空気がさらに重くなった。

 皆が言葉のない中、アニョロが視線をアロイジウスへと動かすよりも先に、ペナーティの静かな声がアニョロを質した。

「それは……私怨からか?」

「否定はしない」

 アニョロはやはり静かに答えた後、鋭い視線でペナーティを向いて言う。

「──だが此度の戦、(もと)は〝我が殿(タルデリ)〟の不見識から発したこと……。それにマンドリーニが付け込んだ、というのが事実だ。ルージューが戦を受けたのには理が有る。そのルージューが今さら騙し討ちには及ぶまい。タルデリ襲撃の件、ルーベン・ミケリーノが裏で糸を引いている節がある」

 アニョロは、アロイジウス、ロターリオ、ペナーティを順番に見て、それから言った。

「謀られたのさ。長官府(われわれ)はルーベン・ミケリーノに」

 ペナーティは息を呑むと表情を改めた。そしてアニョロの目を向き言う。

「聞こうか……」



 ペナーティら3人を前に、アニョロは淀みの無い口調で語り出す──。


 先ず、長官府の諜報網に掛からない動きがルーベン登用後に頻出している。ルージューとコレオーニのそれ程には大きなものではないが、西方長官府の諜報の網は現在(いま)に至るまで機能している。それが、ルーベン・ミケリーノの登場の前後で不審とも言える動きが増えている。

 その上でカルデラ南壁の空に飛空艇を並べて砦を造る、という〝奇策の実行〟をタルデリに願い出たのもルーベンである。そのルーベンは自ら造らせた砦に一度として足を向けていない。敵中に孤立無援の砦の実状を承知しているからだ。


 ルーベンと故タルデリ伯の関係についても色々とあった。

 実は他ならぬタルデリの指示で、アニョロはルーベンの周辺を洗うべく準備を進めていた。が、ある時点でその動きは立ち消えとなっている。その理由は推測するしかないが、ルーベン・ミケリーノは戦争をしたがっていた。戦に飢えている、とも言える。そしてタルデリもまた、ルージューの富欲しさに開戦へと導きたがっていた。利害が一致したのだろう。


 (くだん)の襲撃は、そんな中で起きた。

 ルーベン・ミケリーノは、ルージューの招きとは言え砦に進出したタルデリからの再三の合流の要請に、言を左右に応じていない。

 代わりにユレを介して砦に物資が流れるようになったが、ユレへの指示はシラクイラから出された形跡がない。とすれば、そういった指示は島嶼諸邦から伸びる経路から、とアニョロは疑っている。

 そして事件の前後……。マンドリーニの船団は突然船脚を止め、まるでそういう事実が伝えられるだろうことを知っていたかのように、〝西方長官(タルデリ)が騙し討ちにあった〟ことを確認した後、針路をアンダイエに向けている。



「……状況証拠だな」

 ロターリオが慎重な面差しで言った。ペナーティは黙っている。……が、2人の表情には疑義は浮かんでいなかった。むしろ納得をした目であった。

 そんな2人に、

「そうだ。状況証拠と推測に過ぎない──」

 構わずにアニョロは続ける。

「──…だがいまの話の真偽を確かめる術がなかろうと、タルデリとルーベン・ミケリーノの傲慢がこの事態を招いたことに変わりはない……。私には、焼け落ちたロルバッハの砦と妹の死を伝える手紙だけで十分だ」



 本丸の船の船尾楼の中に、冷たい風が吹き込んできた…──。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ