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風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
風の子ら
4/63

風の子ら 3


 アンダイエから回航してきたシラクイラの軍船団は、船団付きの〝風読み〟の目論見の通り、陽の高い時間帯(うち)にムランの空中桟橋に着くことができた。早速奴隷の市が立ち、捕らえたアンダイエの民の競売が始まる。この島で全ての奴隷を売り捌くことはできないが、シラクイラまでの道中、少しでも食い扶持を減らしておく必要からの算段である。

 が、ムランの商人らは輸送船の船倉から綱に繋がれ引き立てられてきた商品らの姿を見たとき、その異様さに声を潜めることとなった。女子供ばかりである。働き手として期待できる成人男子が一人とていない。これでは買い手の数も期待できそうにない。


「…………!」

 声にならない悲鳴に港口の広場の視線が集まったのは、奴隷市が立ってから少し時間が経ってからだった。広場に集う者たちの視線の先には、商品たる奴隷娘が長い巻き毛──巻き毛は島嶼諸邦の島々の民には珍しい──を男に掴まれ無理矢理に広場を引きずられている。引きずり回している男はシラクイラの胸甲を着けた竜騎だった。

 娘は手枷を嵌められ半ば自由の利かぬ身で髪を引っ張られながらも、痛みに耐え、声を立てぬ様に懸命に口を引き結んでいる。男の方は娘の面を無理矢理に上げさせるとニヤニヤと笑って言った。

「この娘、俺が一晩買おう」

 それから委託された奴隷商の足下に小金貨を1枚放って寄越す。奴隷商が石畳から金貨を拾うのを見た娘は一層口を引き結ぶと男の下卑た表情から顔を背けた。今宵の慰みの相手となることが決まった。

 男が乱暴に娘の髪を手繰り寄せてその身を引き寄せたとき、広場に幼い声が響いた。

「姉ちゃんに酷いことをするな!」

 それは娘と同じく奴隷の身となった少年から発せられたものだった。


 はじめ手枷を嵌められた少年の顔には恐怖があったが、それでも苦痛と恥辱に歪んだ姉の表情を見遣ると、弟は覚悟を決めて息を吸い込み、キッと、あらためて視線を上げ竜騎の男を睨みつけた。

 偶々(たまたま)広場に居合わせて事をみていたファリエロ・ロルバッハは、少年を見て思った。

(いい目をしている)

 後先を考えぬ若い魂がまだ浮世の汚れに染まっていないことが見て取れ、歴戦の老竜騎は溜息の出る思いとなる。

 だが、夜の慰みに年端もゆかぬ少女を買った竜騎の方はそんな少年を気に入るはずがなかった。無言で少年を見返していた男は娘の髪を乱暴に放すと少年の方へと近付いて行き、その頬を打った。力の加減の無い打ち方であった。二度三度と続けて打つ竜騎の背に、それを止めようと姉が細い身体をぶつけた。男はその姉の身体を広場の石畳の上に振り払うと、さらに弟の顔を打ち続けた。


 一頻り打ち据えると男は、少年の巻き毛の髪を鷲掴んで無理やりに面を上げさせ、唇を切り血を滲ませる少年の顔を嗤って見下ろす。

 だが少年は、それで怯むということをしなかった。しっかりと光を宿した鳶色の目で男を睨むと、血の混じった唾をその顔に吐きかけた。男は咄嗟に少年を突き飛ばしたのだが、その血の混じった唾は聖王朝軍の胸甲の下の白いトゥニカ(短衣)に染みを作った。

「貴様ぁ!」 激昂した男の腕が再び振り下ろされた。「──聖王朝に仕える竜騎の戦装束(いくさしょうぞく)を、お前たちのような不浄の血で汚すとは!」

 しかし少年は、もうこのときにはその激昂の声と降り降ろされる拳とを甘んじて受けはしなかった。両手首の手枷を思いっきり振り上げ、男の顔面を打ったのである。


 ぎゃッ……⁉

 今度は驚愕した男のくぐもった悲鳴が上がった。少年から顔を背けるようにし、鼻と口から血を滴らせながらつんのめるようによろよろと二三歩後退る。その先で偉丈夫の羽織るマント(外套)に頭から突っ込んで停まった。男を受け止めた偉丈夫はファリエロ・ロルバッハだった。

「こ、これはファリエロ殿……かたじけない」

 男は礼を述べるのもそこそこに、自らの顔を強かに打った少年に歩みを進めようと振り返ろうとする。

「待たれい!」

 その背にファリエロは厳しい声を投げ掛けた。

「我が戦装束(いくさしょうぞく)を不浄の血で汚しておきながら詫びもせぬ無礼…──このファリエロ・ロルバッハを小邦在野の竜騎と侮るかっ」


 老竜騎の一喝に男は唖然とした視線を返した。聖王家随一の武門たるプレシナ家直属の竜騎である自分を、たかが田舎の独立竜騎が叱り飛ばしている。曲がり(なり)にも宮廷竜騎であった男は顔色を変えた。懐のハンカチーフ(手巾)で口と鼻の血を拭うと老ファリエロに向き直って言う。

「──…で、あれば如何する? 私の父はプレシナ御家門衆に連なる竜騎でありますぞ。私自身宮廷に仕える身。同じく竜騎を名乗っていても其処許(そこもと)などとは素性が違う!」

 そう息巻くと再び少年の方に向き直ろうとする。彼にとって在郷の小領主などこれで震え上がるべき存在である。が、老竜騎は泰然と、振り返りしなの男の横顔に言った。

其処許(そこもと)の素性など知らぬよ。……だが〝喧嘩〟を所望なのはわかった。お相手致す」


 男の方は再び唖然とした視線を返すこととなった。田舎の独立竜騎が宮廷竜騎と事を構えるなどこの数十年来聞いたことがない。いったん事を構えれば〝喧嘩〟の次第はともかく、最終的には一門に連なる手の者が大挙して貧乏竜騎の砦──砦を持っていれば、だが…──を襲う。後ろ盾のない独立竜騎には一族皆殺しという結末が待つ。〝喧嘩〟になろうはずがないのだ。

 誰もがわかっているからこそ、この男のような宮廷竜騎の横暴は後を絶たない。

 そうであるから男は高を括っていたのだが、此度は勝手が違っていた。

 老ファリエロの背後より聖王朝軍の胸甲を着けた竜騎が進み出たのだ。


「──なるほど竜騎同士の喧嘩なれば〝デュエル(決闘)〟が(いにしえ)よりの法。後事を気にせずに存分になされるがよい。不詳リスピオ・マリアニが立会人を務めます」

 リスピオは大隊の竜騎長の中では筆頭であり、軍監を務めるほど大隊長の信任を得ている男であった。軍規に厳しく清廉な武将であることでも知られていた。

「…………」

 男は覚悟を決めざるを得なかった。



 竜騎の〝デュエル(決闘)〟は弓を用いる。互いに3本ずつの矢を持ち、十数歩背を向けて歩いてから合図で振り向きざまに矢を(つが)えて放つ。3本の矢を使い切ればそれで仕舞いとされる。

 男と老ファリエロの決闘は合図の鐘が鳴った直後、最初の矢で決着した。

 老竜騎の強弓の弦音がしたときには、男は1本目の矢を引き切ることすら出来ずに眉間を射貫かれ絶命していた。老竜騎の技前は老いなど微塵も感じさせなかった。


 決闘が終わればリスピオが兵に命じて後の片付けを始めさせた。元々この宮廷竜騎の素行には問題があり、先のアンダイエの後始末の折にもその行いに眉を顰める者が多かった。筆頭竜騎長として、また軍監としていずれ軍規に照らして粛清をせねばならないと考えていたのだ。この程度の竜騎であれば大隊から消えたところで惜しくもない。むしろプレシナ家門には不要であった。

「ことの仔細は私から船団長とフォルーノクイラ(聖王宮)に伝えましょう。お見事でした」

 そう言ったリスピオに老ファリエロは小さく感謝の一礼をした。二人が少年の声を聴いたのはそのときだった。


「竜騎さま!」

 まだ声変わりしていない、必死の声が耳に飛び込んできた。

「──竜騎さま、俺と契約してくれ!」

 声の方を見遣れば先の奴隷姉弟の弟の方だった。血糊の付いた手枷の両手を石畳の上に突き、血の滲んだ顔で必死にファリエロの顔を見上げている。

 ファリエロは弟の側まで歩いて行った。見上げる目を覗き込んで訊いた。

「わしにお前を買い請けよと?」

「違う! 買えとは云っていない! 雇ってくれと云った。それに俺だけじゃない……俺と姉ちゃんの二人だ」

 老ファリエロは怪訝に少年を見返した。どうにも要領を得ない。すると少年は気を落ち着かせてから改めて口を開いた。

「竜騎ならば従士が必要でしょう? 俺を従士として雇ってくれ。そうすれば俺は、きっと働いて身請けの金を稼ぐ」

「お前と……姉の、2人分をか?」

 老ファリエロは確認した。10歳以下の弟ならば奴隷としての値は金貨100枚。姉の方はその器量から見て200~300枚ほどは必要である。市井で自由民として生きれば、それだけ貯めるのにどれだけ掛かるか知れない。竜騎とてそれだけ稼ぐのには何年も掛かる。そういう額である。


 だが少年はきっぱりとこう口にした。

「俺はきっと役に立つ! 竜騎の従士となって金を稼ぎ、その金で竜騎になって姉ちゃんの自由の身も買い取る」

 言って口を引き結ぶ。そんな少年にファリエロはふと問うた。

「後先を考えず〝弓持つ者〟に食って掛かるお前がか?」

 それは老竜騎にとっては半ば褒めたようなものだったのだが、言われた方の少年は言葉に詰まった。

「…………」

 それでも少年には後がないことが判っている。だからここで口を噤んでしまう訳にはいかなかった。

「──…そ、それで竜騎さまの目に留まった! 思慮はこの先学べる。だけど運の掴み方は学べない。俺には運を掴む能力(ちから)がある!」

 半分は口からの出まかせのようなものだ。だが自らの運を掴むために、今できることは何でもする──、そういう想いに少年は云い募った。


 そんな少年の視線を正面から見据えた老竜騎は、わっはっは、と愉し気な笑い声を上げた。


「──…なるほど、運を掴む能力(ちから)か……そうか、気に入った!」

 ファリエロはそう言って顔馴染みでもある奴隷商を手招くと、懐から宝石──金貨で50枚にはなる──を取り出して手渡した。

「とりあえず前金だ。残りの250は後で届けさせる」

「残りは150で結構。どのみち娘には今日の(いわ)くが付いて回る。高値は付きません」

 同じ島嶼諸邦に生きる者の(よしみ)からか、そう言って奴隷商は頭を下げた。日頃ファリエロの飛空艇が近隣を見回って空賊に睨みを利かせてくれている。恩もあるし〝持ちつ持たれつ〟なのだ。

 ファリエロも小さく頷いて返した。それからファリエロは、手枷を外された少年とその姉に向き直った。

「ぼうず、名は何という?」

「アーロイ! 姉ちゃんの名はユリアだ!」

「アーロイか…… よし! ならば今日からお前はアロイジウスと名乗れ。先ずはワイバーン(飛竜)の世話から覚えてもらうことになる。ユリアは妻の下で砦の家事を手伝ってもらおう」



 そんな老竜騎と姉弟の笑顔を見やり、リスピオは今回のこの顛末はファリエロ・ロルバッハにとって中々に良い結果となったと満足していた。

 奴隷に身をやつしながらも竜騎に向かって真っすぐ目線を上げられる者がどれほど居ようか。

 それにあの咄嗟の弁舌。頭の回転も良いようだ。

 リスピオはふと思った。ひょっとしたら老ファリエロは跡継ぎを得たのかも知れないと。


 数年の後にはそのリスピオの予感は現実のものとなった。少年はアロイジウス・ロルバッハと名乗りロルバッハ砦の竜騎見習いとなっていた。

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