禍つ風 5
マンドリーニ公の三男、ルーベン・ミケリーノの率いる大小の軍船39隻 (──便宜上〝マンドリーニ軍〟と呼称する)がシラクイラ西岸の港町オーヴィアを発ったのは、その年の秋の始まる頃である。
その内訳は、ルーベン・ミケリーノの座乗船──13パーチ(※)の大船──〈ミアガルマ〉以下、10パーチ超の大船が3隻、8パーチの飛空船7隻、そして4パーチの飛空艇29隻。ワイバーンは70騎余りを数えた。これは西方長官府の常備戦力の半数ほどである。
(※1パーチ≒3メートル)
軍船団はアンダイエには直進せず、カルデラとの中間に浮かぶ島嶼諸邦に進んだ。そして〝陣立てと補給のため〟と称して諸邦の港に入ったのだが、間もなく訪れる冬の風の厳しさを盾に、そのまま居座ってしまった。
ここで島嶼の中心の島ムランで〝事件〟が起こる。
上陸を許された私兵の幾人かが町で諍いを起こし、こともあろうに住民への乱暴狼藉に及んだのである。
問題の兵はルーベン・ミケリーノの手下によって即座に逮捕され、軍紀に照らして極刑に処せられた。
が、その後に続く処置が島嶼の民を苦しめることとなる。ルーベンは治安維持を名目に島嶼の町や港に憲兵を置くことを一方的に通知し実行したのだ。
ロルバッハ砦をはじめ島嶼の独立竜騎は異議を唱え、ムランからはアンダイエの西方長官府へ抗議の使者が立ったのだが、マンドリーニ軍首脳部とアンダイエ伯は、それぞれにこれを黙殺した。
アンダイエの地で西方を預かるタルデリにすれば、現状はルージューを挑発することに忙しく、元老院の送り出してきた監察官との折衝事に向かい合う気など無かった。
ルーベン・ミケリーノがアンダイエに直ぐに来ないで〝道草〟を喰ってくれている方が望ましかったのだ。
そうしてしばらくすると、マンドリーニの私兵が町を我が物顔で歩くことになり、島嶼諸邦は事実上の占領下の態となった。
この様なことになってみれば、〝最初の兵による諍いごと〟そのものがこうなることへの布石であったのではなかろうか……、そう訝る者も出る。おそらくそれが正しい見方であったろう。
マンドリーニの集めた私兵の余りの横暴に島嶼諸邦の民は脅える日々を送ることになったのだが、マンドリーニ軍首脳部の出した〝兵の慰安のための施設〟を供せよ、との指示が出るに及んで、若い妻や年頃の娘を持つ住民の懸念は最高潮となった。
ロルバッハ砦のノルマとアニタは、そんな中で頼ってきた島嶼の女と娘を砦内に匿っている。マンドリーニの船が彼女らの引き渡しを求め押し寄せてきても、敢然と弓を掲げてみせ、弁舌を駆使し、終にはそれを追い返してしまったのだ。
軍役を供する竜騎の砦は、聖王朝との〝盟約〟によって守られていたからである。
やがてその話が島々に伝わると、さらに多くの若い女がロルバッハ砦に逃げ込むこととなった。
ルーベン・ミケリーノは、またしても意に従わぬ『ロルバッハ』の名に不快を露わにしたというが、この時点では、表立って何かをするということはしていない。
そうした情勢下、アロイジウスのいる西方軍は、首席武官ボニファーツィオ・ペナーティに率いられカルデラの南側に進出している。
それまでの夏の終わりから秋の間中、西方軍管区の諸隊はアンダイエよりカルデラの南壁までを長駆進出し、空賊取り締まりの名目で、ルージューの築いた〝隠し見附〟を一々潰して回っていたのだ。
西方軍は、タルデリが派遣を認めた6隻の〝8パーチ飛空船〟を2隻ずつの3群に分け、それぞれに飛空艇7隻の隊を支援させて、脚の遅い大船で約8日かかる(※)航路を輪番で往来するのであるが、如何にも数が足りていなかった。
(※脚の速い船や飛空艇ならば5日で渡れるが、小さな船の積載量では、復路の分の水・食料すら十分に積むことができない)
ルージューの側もそれを解かっていて、長官府の旗を掲げた飛空艇が姿を見せれば、サッと瘴の隘路に退いて姿を晦ましてしまうのが常であった。
そして頃合いを見計らい、西方軍が破却した見附に舞い戻るのである。
1つの群が作戦域に滞在できるのは最大でも6日程…──それさえも小船の乗員の疲労を大船に移らせて休息させてやらねばならないため、1度に繰り出せる飛空艇は2隻……無理をして5隻程度である。
また聖王朝が誇るワイバーンは全長が3~4パーチ程度の飛空艇では〝軍務〟として運用し切れるものではなく、これらを載せる専用の大船をルージューとの取り決めで送り出せない現状では、無理をして1群に2、3騎程度を随伴させるのが関の山という有様であった。
当に〝もぐら叩き〟からの〝鼬ごっこ〟の繰り返しだった。
稀に逃げる飛空艇に追い付くことができても、捕らえる寸前に何処からともなく飛翔獣──ルージューの誇るグリフォンでないことが厭らしい…──が現れ〝空賊〟とされる船乗り共を連れて逃げ去ってしまうのだった。
無論、現場で指揮を執るペナーティとて〝こうなること〟は予想していたが、マンドリーニ軍の動向を恐れこれ以上の大船の投入を渋るタルデリの下では如何ともし難かった。
そしてアロイジウスは、アニタから届く手紙にヤキモキしながら展望の開けない軍役をこなす日々を送っている。
島嶼諸邦──ムランの交易館の中でも、自らの座所として最も豪奢な続き部屋を供出させたルーベン・ミケリーノは、その居間に寛いでいた。
ほとんど半裸といったルーベンは、側らにやはり半裸といった態の女を侍らせ、手にした杯に酒を注がせている。
他に部屋の中には人影が一つ。室内だというのに長衣のフードを目深に被っている。
その人影に向かい、ルーベンは酒が入った割に明瞭な声音を投げ掛けた。
「──…では西方軍の奴ら、遥々カルデラの南側まで出張って行って、苦労を背負ってる訳だ……笑えるな」
言って杯の中の酒を一気に呷ると側らの女を引き寄せる。女は抗わなかった。
「ふん…──つくづく馬鹿な奴らだ……。アンダイエから南壁まで小さな船には遠すぎることくらい判っているだろうに。
カルデラの奴らとの取り決めだ何だと大船を繰り出すのを躊躇うくらいなら、始めから兵を送るべきじゃなかったな」
元々、マンドリーニによる此度の〝西方行〟は示威行動に過ぎない。にも拘らず能力を超えてルージューを挑発するタルデリを、ルーベン・ミケリーノは冷笑したのだった。
──ランプニャーニの描いた非戦の筋書きに沿って〝アンダイエに生産力が戻った〟として、それでも現在のように空賊が横行 (半ば以上〝言い掛かり〟であるが……)していては、その供給が儘ならない。ルージューが空賊を取り締まらない、あるいは取り締まれないというのならば、聖王朝貴族の有志が私財を投じても西方の戦力を増強すべき──。
そういう世論でシラクイラは動いている。
聖王朝としてはこの時点でルージューに宣戦をする訳ではなく、寧ろカルデラの南の空に出没する〝不逞の賊〟の鎮圧をルージューと協調して成す、という名目がある。
故に元老院としては、あからさまにルージューを挑発することは厳に禁じていた。
西方長官個人が幾ら戦を目論んで笛を吹こうとも、シラクイラからの勅命が下されぬ限り、大軍は動かせぬ。そしてルージューを攻めるには大軍が必要だった。
「寡兵(※1)による懸軍長駆(※2)はあっと言う間に軍を消耗させる……自明だろうに」
(※1 少ない兵力
※2 遠く軍を派遣し後方との連絡が絶えるほど敵地に深く入り込むこと)
ルーベン・ミケリーノの、その軽佻浮薄な物言いながら〝的を射た〟言に、フードの人影が応じた。
「そう申されて……このままではタルデリさまの思惑通りに開戦、とはなりそうにありません。それでは御三男さまもお困りになるのでは?」
成熟した大人の女の抑揚を抑えた声が、ルーベンの腕の中の女が上げる嬌声に重なった。
「あー?」 ルーベンが面倒そうな声で応じる。「ま、確かにこのままじゃ、いつまで経っても戦にならんか……」
ルーベンはいったん引き寄せた半裸の女の身体を放すと、暫し思案の表情になった。
「…………」
やがて……黙ってさえいれば精悍にも見える細面の口許が歪んだ。子供が悪戯を思い付いたときの表情だった。
「……カルデラの奴らに戦を仕向けさせるのは簡単だ……ただ、あの〝強欲じじい〟が俺の策を受け入れるかな」
「でしたら…──」 フードの女は〝簡単なこと〟だと言うふうに応じた。「……貴方さまも強欲を示されればよろしいのです」
ルーベン・ミケリーノはフードの女に目線を遣って、
「ふっ……ははっ……‼」
やがて声を立てて笑った。
「……なるほど! タルデリのごとく振る舞って見せよ、と? 人間、同じように見える者には警戒を解くというしな……いや、笑える」
本当に〝可笑しそう〟にルーベン・ミケリーノは一頻り笑って、フードの女に訊いた。
「それで……いったい俺は〝何を望んでいる〟ことにする?」
女は、即座に応えてみせた。
「この島嶼諸邦の〝タルデリ伯との共同支配権〟…──
そうですね……、10年の租借権のうちの4割ほどの名義など……そう所望してみせればよろしいかと」
ルーベン・ミケリーノは女の顔を見据えた。
「…………」 ふん、と嘲るように鼻を鳴らす。「いいだろう…──委細はお前に任す」
再び半裸の女を引き寄せて言った。
「西方長官が話しに乗って来たら使いを寄こしてくれ。面倒ではあるが一手を指南しに出向いてやろう……。どのみち俺は、いまは戦が出来ればそれでいい……ああ、それと美しい女と……それに〝ロルバッハ〟、かな」
フードの女は丁重に一礼した。静かに部屋を辞そうと動く。その背にルーベンは言った。
「せいぜいその〝可愛らしい貌〟で、じじいを篭絡してみせてくれ……好色なタルデリはしつこいぞ」
女は、その品位の無い言葉を無視して扉を閉じた。
部屋を出て背後で扉の閉まる音を聞くと、女はフードを下ろして素顔を顕にした。
年齢の頃は22、3歳か……。アルソット大公家の飛空艇の天蓋の中で、パウラ・アルテーアの側に控えて居た女だった。雨上がりのアルタノンで、アロイジウスとアニタを遠目に追っていたのもこの女である。
そして〝事実〟がもう一つ──。
もしエリベルト・マリアニがこの女の顔を見たならば、十年前の〝あの日〟のアルタノンでの情景をたちまち脳裏に甦らせたはずである。
その意志の強い眼差しこそ白い貌の表情と共に消してはいたが、あの日に衆目の前でアレシオ・リーノに立ちふさがった、あのヘロットの娘であった。
女は無表情のまま、いまはルーベン・ミケリーノの座所となった交易館を出ると、真っ直ぐに空中桟橋に向かう。然程離れていない桟橋には黒塗りの快速艇が繋がれていた。
女は飛空艇に乗り込み、ムランを後にした…──。




