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風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
禍つ風
26/63

禍つ風 1


 アレシオ・リーノからの紹介状は次の夜 (※一日の始まりは日没)のうちに届いた。

 それはランプニャーニ家の若き当主マウリツィオ・ジャンマリオの主催するサロン──若手の元老院議員有志による〝勉強会〟──をプレシナ家の縁者が見舞う、という体裁のもので、アロイジウスはアレシオの名代ということになっていた。

 そういうことであれば、アロイジウスは形式上アレシオ・リーノ個人に仕えていることになる。

 確かにアロイジウスの竜騎叙任はアレシオの父アルミロ・ダニエトロの名代としてリスピオ・マリアニが執り行っていた。その意味ではおかしな理屈ではないのだが、それでも現在は西方長官の手下で働くアロイジウスにとっては、少々微妙と言える立ち位置に配役されてしまった。

 また、ランプニャーニの主宰する〝勉強会〟というのも得体が知れない。紹介をしてくれたアレシオからは特に説明もなかった。



 翌日の午後、紹介状を携えたアロイジウスとアニタは元老院の議事堂たるヴァノーネ宮に赴いた。ヴァノーネ宮は衛士こそ配置されているが市民の誰に対しても開かれている。元老院が招集されていないときの日中は、中庭までであれば誰でも出入りすることができた。

 サロンということであればてっきりランプニャーニ宮中伯の屋敷で行われているものと思ったのだったが、彼は自身の権門を越えて多くの若者と意見を闘わせることを好み、このヴァノーネ宮の中庭で会を催しているという。

 アロイジウスとアニタは、中庭に入るや激論を交わす若者たちの興奮した声を聞いた。



〝アンダイエを得てなお支配を広げるのは寧ろ危うい。そもそも西方は自由・独立の気風溢れる地。一筋縄とはいかぬ。ここは新たに属領としたアンダイエの安定こそが大事…──〟


〝──それは誰もが解かっている! 問題はどうやって安定を図るかであろう。西方諸邦においては古くより緩衝の勢力を置いて直接的な衝突を避けてきたのが慣例だ。それがアンダイエを滅ぼしたことでカルデラの地(ルージュー)と接することとなってしまった……〟


〝だからルージューとの当面の衝突を回避するためにも、先ずは北のユレを押さえるのが、結局は西方を安定させると申しているのだ!〟


〝それをすれば必ずルージューが出て来るであろう! 本末転倒ではないかっ〟



 男どものあまりの剣幕に、アロイジウスの隣でアニタが首を小さく竦めるようにした。

 アロイジウスも内心で呆れた。軍の帷幄でもこのような激論はそうそうない。ましてこの場に居るのは元老院に議席を持った、あるいは持つことを約束された大貴族の子弟らであるのだから……。


 そんな2人を気に留める者はなく、男たちは激論を交わし続けている。

 とりあえずアロイジウスは、座の中で一際に熱く、堂に入った様が異彩を放っている大柄な男に目星を付けると、彼が落ち着くのを待ってランプニャーニ宮中伯への取次ぎを頼もうと様子を見ることにした。

 ところがいくら待っても白熱した議論は収まりそうもない。

 どうしたものかと隣のアニタに顔を向けるようとすると、いつの間にやらアニタとは反対の側の隣に立っていた中背の男に声を掛けられた。


「ここに来たなら、黙っていては何も始まらないでしょう……君も何か語るといい」

 いかにも他人事、といった(てい)の男は、血色の悪い冴えない顔をしていた。誰かは知らないが自分たちの存在に気付いてくれたこの男に、アロイジウスは困ったように言った。

「確かにそういう空気なのはわかります……ですがいま、無闇に割って入っては…──」

 (こじ)れた話の渦中に新参者がそのようなことをしても相手にされまいし、相手にされればされたで収拾がつくまい。ランプニャーニ伯に内密の話があって来たのだ。ここで〝討論〟に巻き込まれては困ると思った。


「君は〝猪武者〟ではないわけか……」

 穏やかな口調ながらそう言われ、アロイジウスはあらためて側らに立つ青年の横顔を見下ろした。男の背はアロイジウスはもとより(女としては長身とはいえ)アニタほどもなく、身体は痩せていて、彼自身は武人でないことが一目で見て取れる。

 このときアロイジウスは、反対側の隣から、男の正体に気付いたアニタが腕を引いてくるのに気付いて彼女を向いた。

 目が合うとアニタは小さく肯いて返した。彼女はシラクイラに育った子爵家の令嬢だったから宮中の貴族の顔は概ね見知っていた。


 アロイジウスはあらためて威儀を正した。そして懐からアレシオからの紹介状を引き出すとマウリツィオ・ランプニャーニへと差し出す。

「アレシオ・リーノ卿の代理として参りました」

 ランプニャーニは紹介状を受け取ると(おもむろ)に目を通した。

 マウリツィオ・ジャンマリオ・ランプニャーニはこの年34歳。非戦を唱える元老院派の気鋭、といった覇気のようなものは感じない。おさまりの悪い黒髪の風貌は、確かに学者……いや書生といったふうで、宮中の貴族であることを想像するのさえ難しかった。

 紹介状に目を通し終えたランプニャーニは、それから初めてアロイジウスを正面から見て中庭の奥の雑木の奥へと2人を誘った。

 その先に小振りのガゼボ(東屋)が在るのをアロイジウスも知っていた。



「アロイジウス君、と言ったね。ランプニャーニだ」

 差し出された手をアロイジウスは握り返し、アニタはカーテシーで応じた。

 そうするとランプニャーニは2人をガゼボに据えられたベンチ(腰掛け)に座らせ、自身は立ったままで言葉を続けた。

「……それで、タルデリ宮中伯のこととか?」

 ランプニャーニに促され、アロイジウスは先ずは状況を説明した。


 やがて話が一段落するや、

「なるほど……」

 と、ランプニャーニは思案顔の顎先に軽く握ったこぶしを充て、独り言ちるふうに言を継いだのだった。

「あのアレシオ・リーノが武威を用いるのを躊躇うほどに、ルージューは力を付けているのか?」

 そう質され、アロイジウスは肯いて返した。

「はい」

 ランプニャーニの口から深い溜息が漏れ、その後に吐き捨てるような声が続いた。

「だから言わぬことではない。アンダイエを滅ぼせばルージューを刺激すると……ルージューを刺激すれば西域が一つに纏まりかねないとあれ程……」

 そんなふうに言葉が溢れ出したランプニャーニ伯であったが、アロイジウスの視線を感じたのか口を噤んだ。

「失礼……。それで、アレシオ・リーノは私に何を?」

 アロイジウスは真正直に言った。

「アレシオ卿は、ランプニャーニ殿にシラクイラ(中央政界)で弁舌を揮って頂きアンダイエ(西方長官府)の動きを牽制して頂きたい、と願っております」


 それを聞いたランプニャーニはしばし口を閉ざした後、露悪的に口許を歪めて言った。

「確実に勝てる算段が付くまで、いかなる兵も出させるな、と? ハッ……あいつは一体、何様だ」


「あ、あの……」「もし……」

 ──聖王家に連なる(王位の継承権すら持つ)貴族中の貴族の御曹司に対するその言い様……。

 聞いていたアロイジウスとアニタの方がさすがに慌てた。ランプニャーニは面白くないといった表情のままに続ける。


「アレシオ・リーノは私の教え子だ……いや、()()()と言うべきかな。昔はあれで〝可愛いものの見方〟をする育ちの良い貴公子だったのだが、何を間違ったのか、それがいまでは立派な戦争屋さ。その戦争屋が今さら私を頼って西方の小競合いを止めよ、という……」

「決して小競合いでは…──」

 放っておくとどこまでも話していきそうだった。さすがにアロイジウスは口を挿もうとしたがランプニャーニは話をさせてくれなかった。

「──解かっている。だいたい軍人という輩は後先を考えないヤツが多すぎる。アレシオ・リーノはそうでないだけマシだが……」

 ようやく、ふと気付いたようにランプニャーニはアロイジウスを見た。

「それで、君はなぜアレシオ・リーノのために動いている。現在(いま)はタルデリ宮中伯の手下(てか)なのだろう?」

 訊かれたアロイジウスは、苦笑を飲み込んで応えた。

「正確にはアレシオ卿のためという訳ではありません。アンダイエや島嶼諸邦、そしてルージューの民のためと思って頂ければ──」

「民……」 ランプニャーニは眉根を寄せた。「本気で言っているか?」

 アロイジウスは慎重な表情になった。

「本気です。民草あっての国、そして王侯でしょう?」

 ランプニャーニは表情を改め、しげしげとアロイジウスを見返した。

「もう一度訊くが……こうすることが聖王朝のためであると?」

 アロイジウスが衒いも外連もなく肯いて返すと、ランプニャーニは目線を避けるように中庭へ視線を向けてしまった。


 やがて、静かな語調になって訊いてきた。

「いったいどのくらいの時間(とき)を稼げばよいのだ?」

「少なくとも2年…──」

 それだけの時間(とき)があれば東の浮き島(エスティクイラ)の造船所に並んだ軍船が戦列に加わる。いかにルージューとて、プレシナがあれだけの戦力を差し向けることが出来ると判れば戦と異なる道を探るであろう。そういう心の中の見立てをアロイジウスは口にした。

「──3年だな……3年あればタルデリの任期も明ける」

 だがランプニャーニは、アロイジウスが理由を語るよりも先に、あっさりと〝3年〟という数字に訂正した。その理由も簡潔に付け加えて。

「よろしい、承った」

 言うや自信ありげな微笑になって頷いて見せた。その明瞭な物言いに、同じシラクイラの貴族であるアニタが驚きの表情を浮かべたほどである。


「あの……、それは有難い……ですが、いったいどのように…──」

 余りに呆気なく、あっさりとランプニャーニから了承を得られたので、拍子抜けしたアロイジウスはそう訊いてしまった。ランプニャーニが〝承った〟と言ったのだから目算のあることは疑っていない。ただ、どのような策で臨むのか、アロイジウスにも興味があった。

 ランプニャーニは〝教師の顔〟となって続けた。

「アンダイエの工房の稼働が以前の半分にも満たぬ状況が続いている。そのことを盾に〝知識の間〟から技師を派遣させよう」

 アロイジウスの目に理解が色が広がるのを認め、ランプニャーニはにやりと笑う。

「そして元老院主導で工房の再整備を監督させる。どのみち国庫に金はない。まともに整備に取り組めば戦費の調達にまでは回らんという寸法さ」


 アロイジウスは肯いた。なるほど、西方長官は元老院が任命する官職でありその命に服さなければならない。10年前の戦役の復興が遅れているのならば元老院から人を送り込み、更には間接的に長官府の収支を監視させる。皮肉にもタルデリが〝カルデラの地〟に対して行おうとした〝やり口〟である。

 元老院は西方長官にポンペオ・タルデリを任命したが、その手腕を買っているわけではない。あくまで門閥の力学が働いた結果である。このまま西方の富を効率よく統御できないのであれば、人材を送り込んで〝(てこ)入れ〟をするのは別段おかしなことではない。

 元老院とて(いたずら)な戦の拡大は望んではいない。戦以前に収益の上げられる事業に手がついていないのであれば、先ずはそこに投資をして利益を手にする。元老院のこの姿勢の前には、例えタルデリ宮中伯の〝後ろ盾〟であるマンドリーニ公爵であってすら、表立って抗することはできないのである。


 説明を聞き終えてその顔に納得の色が広がったアロイジウスに、

「君の言う〝民草あっての王侯〟…──元老院にあっても中々聞かれなくなった物言いだ。このランプニャーニ……その心意気に感じ入った故、手伝わせてもらうことにした。期待してくれていい」

 そう言って、ランプニャーニは受け合ってくれた。

 これは、満足すべき成果と言えるだろう。

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