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風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
微風
25/63

微風 7


「…──ヴェルガウソ子爵への義理立てか、西方軍として戦って死ぬのを臆してか?」

 アロイジウスには、そのアレシオ・リーノの言い様に、隣でアニタが息を飲むのが判った。

 逡巡の末にアニタは口を開きかける。

 その腕をアロイジウスは掴んだ。

「確かに、意味のない戦いで死ぬのは面白くありません。……ですが、この場合は戦いの理由に義がないからです。この度の件、そもそもが西方長官の私欲から発したこと。西方長官には軍略も政略もない…──」

 言いながらアロイジウスは、養父──ファリエロ・ロルバッハならばこう言うだろうと思いながら、プレシナ家の御曹司の顔を正面から見据えて続ける。

「……十分な勝算なく、まして〝戦の畳み方〟もなく中央門閥の私兵が繰り出されるようなことになれば西方諸邦の民が迷惑。戦うならばプレシナの旗の下、聖王朝の全軍を上げて一気にカルデラを平らげることをしてもらわねば無駄に人が死ぬことになります」


 アロイジウスの言葉に、アレシオ・リーノは〝ふっ〟と破顔した。他人を侮るような笑いではない。何かに満足したふうな、そんな笑みであった。

「なるほど……〝民が迷惑〟か」

 アレシオは立ち上がると、あらためてアロイジウスの前に立った。

「卿の言い分、一々尤もだ。……エリベルトの義弟とは言え卿の人柄が判らなかった。それで試すようなことを言った。……許せ」

「…………」

「エリベルト・マリアニは私にとって半身に等しい。その半身が卿の()()()()()ように書き送ってきたのだ」

 悪びれたふうのないその言葉に、ようやくアロイジウスも肯いて返すことにした。

「いえ……」

 そうすると、大貴族の御曹司は気さくに肩を叩いて2人に着席を促した。


「さて……(いず)れルージューとは雌雄を決せねばならぬが、いま戦って負けて彼方(あちら)の側に組する勢力を勢い付かせるのは面白くない……それでランプニャーニか」

「話を通して頂けますか」

「…………」 アレシオはチラとアロイジウスを見返すと、右の手のひらを口元へとやった。「ランプニャーニな…──」

 その二の腕の張りは能く鍛えられた戦士のそれであった。毎日竜騎の調練を欠かさねばこうもなろう。貴公子然とした容貌などはこの男の一面に過ぎないことを、このときアロイジウスは見て取った。

 アレシオは、貌の半分を手で覆ったまま、溜息混じりに言った。

「──あの男と私は犬猿の仲なのだ。出来れば顔を合わせたくない」

「…………」 そんな言葉にも、アロイジウスは辛抱強く結論を待つ。

 終にアレシオはこう言った。

「そうだ、卿が会って直接話をせよ」

「は?」

「卿の弁の立つのは判った。忍耐強いのもな。なればその、卿の〝素直な物の見かた〟の方が私などよりも余程〝あの男〟の心に響くだろう」

「……それはどういう?」

 思わず訊き返したアロイジウスに、アレシオは自分の言葉に肯くようにして言った。

「会えば判る。紹介状を夜のうちに届けさせよう」



 アレシオ・リーノのガゼボ(東屋)を辞した2人は、調練場から正門へと再び向かっていた。

 案内は衛士ではなく使用人に替わった。中年男の使用人は能く訓練されているようで、無駄口を一切叩かなかった。

 それでアロイジウスもアニタも、何となく黙ったまま調練場の端を進んでいた。

 調練場に隣接する竜舎の端に差し掛かったとき、最初に様子の異変に意識がいったのはアニタだった──。

 何気なく視線を遣った先で、ワイバーン(飛竜)が何かに怯えたのか棹立ちになってその巨体を翻していた。そしてその眼前には小さな人影……。

 そのときにはもう、アニタは駆け出していた。

 一拍遅れてアロイジウスが状況を理解し、やはり駆け出す。

 三拍ほど遅れて使用人が声を上げ、さらに数拍遅れて竜舎から人が飛び出してきた。


 アニタは、恐慌に陥ったワイバーンの眼前で立ち竦んでしまっているように見える人影に横合いから走り寄ると、その身を抱くようにして押し倒した。その人影の在った空間で、ワイバーンの前歯が音を鳴らして噛み合わされる。

 草食獣とは言え体の大きなワイバーンの力は決して弱くはない。咬まれれば大怪我を負うかも知れなかった。

 アニタは最初、人影を庇うかワイバーンの方に取りつくかを迷った。迷った末に、いまにも咬みつかれそうな小柄な人影をワイバーンから守ることの方を優先した。ワイバーンの方はアロイジウスに任せれば上手く御してくれる……そう信じて。

 だから躊躇することもなく、ワイバーンの前で固まってしまっていた黒衣黒髪の少女に跳びかかってその細い身体を押し倒すようにしていた。自分の身体でその少女の身体を庇うように覆ったときには、ひょっとしたら一咬みくらいはされるかもしれないと覚悟していた。

 が、やはりアニタのその覚悟は杞憂に終わった。

 一撃を(かわ)されたワイバーンが二撃目を繰り出す前に、アロイジウスがその背の鞍に取り付いていた。

「どーぉ……どぅっ」

 掛け声と共に手綱を絞るアロイジウスを背に、ワイバーンは翼を振って脚を蹴った。

 ワイバーンの体躯が上下に大きく躍動して浮いた。

 余程の恐慌状態なのか、調教されたワイバーンの離昇の仕方ではなかった。下手な竜騎であれば振り落とされていても不思議ではない、そういう機動である。

 だがアロイジウスは、右手でしっかりと手綱を握り、左手ではワイバーンの首筋を撫で(さす)ってやって気を落ち着かせていた。そうしてワイバーンの耳に自らの声を受け入れてもらえるように言い聞かせる。

「──…落ち着け、落ち着け……

 どうした、何を怖がる……

 大丈夫、大丈夫だ……

 どう、どう……」


 やがてワイバーンは落ち着きを取り戻し、アロイジウスの制御に服して翼を畳んだ。

 アニタはその気配を感じ取るや一度背後を見遣ってアロイジウスを確認し、それから身体の下の少女へと視線を戻した。

 初めに少女の紫色の瞳の視線と視線が合った。その人形のように美しい白い貌は、思いの外落ち着いていた。

「あの…、大丈夫……?」

 次にアニタが覆い被さった身体を離したとき、黒衣の胸元に豪奢な飛行石のブローチが目に入った。その意匠が〝バスケットから溢れる春の花〟──聖王家に連なる名門アルソット大公家の者にのみ許されたものであることに思い至り、アニタは慌てて飛び退った。

 アルソット家はプレシナ家と並び聖王家に連なる名門で、世に〝武門のプレシナ〟〝魔導のアルソット〟と並び称される、そういう家柄である。


「──…ご、ご無礼いたしました!」

 如何に火急のことだったとはいえ、一官吏貴族たる子爵家の娘が大公御息女を地に引き倒すなど許されることではない。

 そんな意識が先に立って、アニタは身を硬くして面を伏した。

 少女は呆然とした表情でアロイジウスを見て状況を把握すると、アニタに視線を戻し微笑んで言った。

「起こしてくださいますか?」

 その鈴を振るような声に促され、アニタは身を起こして少女の傍に寄った。

 少女はアニタの手を取って起き上がるときも、アロイジウスの方をじっと見ていた。それからアニタをあらためて見遣り少女は声を上げた。

「あら、女の方だったの……」

 驚いたふうに言って目を細める。その顔立ちから推して、年齢は13、4歳くらいだろうか。

 少女は、畏まったアニタに対しごく自然に名を質した。

貴女(あなた)……お名前は?」

「ヴェルガウソ子爵家のアニタと申します」

 少女の視線がアロイジウスに動くのを感じ、アニタは先回りして続ける。

「──…彼方(あちら)はロルバッハ砦の独立竜騎、アロイジウス卿です……」

 アロイジウスはワイバーンを降りて一礼した。

 この頃には、使用人の声に竜舎を飛び出してきた飼育員らが(くだん)のワイバーンを囲んでおり、アロイジウスはその中の1人に手綱を返す。竜舎を預る竜方(りゅうかた)の長がすっかり縮こまった態で少女に平伏しようとしたが、少女は細い腕を一振りして下がらせた。


 少女はアロイジウスとアニタを見て、それぞれに一度頷いてみせた。

「よくも助けてくださいました……礼を申しますわ」

 頭を下げることはしなかった。

「わたくし、アルソット家19代当主エラルド・ファビオが末娘、パウラ・アルテーアです」

 少女のそんな振る舞いは尊大であったが、アレシオ・リーノとまた違った意味で、それがいかにも自然であると思わせた。

 すると少女──パウラが腕をアロイジウスへと差し出した。

 一瞬アニタを向いたアロイジウスは、彼女がそっと肯いたのを確認すると、パウラの側まで進み出た。そして跪いてその手を取り、軽く口づけするふうに唇を寄せる。

 頬を染め、パウラは満足そうに笑った。

「竜騎さまはなぜプレシナの館に?」

 アロイジウスは、一瞬、どう応えるべきか迷ったが、どういう経路で話が広まるかわからないと判断した。

「軍務なればお答え出来かねます」

 パウラは小さく頷くと、もうこの件には深入りすることをしなかった。アロイジウスの面白みのない返答に少し失望していたかも知れない。

 が、そうすると次の瞬間には、アニタの方を向いて話題を転じていた。


「ヴェルガウソ家のアニタさま」

「は、はい」

 美しい声で名を呼ばれ、アニタは顔を向ける。

「危ないところをよく助けてくださいました」

 パウラの微笑がアニタを見る。

「一つ、訊いてよろしいかしら?」

「はい」

 慎重に応えるアニタに、パウラが訊いた。

「あのようなワイバーンを前に、危険を押してわたくしを救ってくださったのは、やはりわたくしがアルソットの者と知ってのことだったのでしょうか?」

「…………」

 アニタは口を引き結んだ。アニタがパウラの顔を見知ったのは、いまさっきであったことをパウラは知らない。だがそんなことがアニタの顔を強張らせたのではない。

「いえ……」 わずかに躊躇った末、アニタは言った。「目の前で子供が危険なれば、私は〝私に出来ること〟をします。目の前の子供の貴賤を考える余裕はありません」

 それを聞いたパウラは、不思議な表情を浮かべた。それから、

「失礼いたしました……気分を害してしまいましたね」

 アニタの顔を真っ直ぐに向いて言う。

「これまでわたくしの周囲には貴女のような方がいなかったのです。まさか自分の身の危険を顧みずにわたくしのような小娘をお助けくださる女性がいらっしゃるなんて」

 そして頭を下げてみせた。

「不愉快なことをお訊きしたこと、どうかお赦しください」


 慌てたのはアニタだった。

「あ……いえ! そのような…──」

 何と応えたものかと言葉を探すうちに、言葉後(ことばじり)を押し被せられるようにパウラに言い募られた。

「これを機にわたくしと友誼を結んでいただけませんか? 貴女とお近づきになって貴女のようになれたら、きっと素敵だと思うの」

 その勢いに、アニタはこう応えるしかなかった。

「は……ぁ……あの……私のような者でよろしければ」

「まあ、嬉しい!」

 パウラは破顔しアニタの手を取った。パウラのその年相応の笑顔に戸惑いながらも、アニタはぎこちなく笑い返す。

 パウラは再びアロイジウスを向いて笑みを浮かべた。


 そのとき……アロイジウスらの顔に影が掛かった。何事かと見上げれば、艇首にアルソット大公家の紋章とパウラ・アルテーアの〝御印(個人記章)〟を掲げた白い瀟洒な造りの飛行艇が、静かに高度を下げて降りてくるところだった。

 これは随分と〝行き脚〟の速そうな艇だと思っていると、パウラの鈴を振るような声が聴こえた。

「どうやら迎えが参ったようですわ」




 ヴェルガウソ家のアニタの手を取り近々中の再会を約したパウラは、自分の旗の掲げられた飛空艇で(そら)へ昇った。

 空に上がり微速で巡航に入った船上、優雅に広げられた天蓋の下の長椅子にその身を沈めると、冷たい声音で言った。

「ヴェルガウソ家のアニタとロルバッハ砦のアロイジウス…──どういう人物で、何故プレシナの館にいたのか、調べなさい」

 その言葉は、天蓋を支える柱の影に控えていた人影に拾われていた。

 若い女だった。女は、表情を消した顔で、柱の影から落ち着いた声で訊き返した。

「お気に障られましたの?」

「ええ、障ったわ……」

 鈴を振るような声で応える。

「わたしが()()()()()()()()()()獣との間に割って入った……。(あまつさ)え、わたしのことを〝子供呼ばわり〟したわ……。嫌いなのよ、ああいう偽善ぶった態度が身に付いた輩…──賢しらな目を絶望の色に染め上げてやりたくなるの……」

 そう言うとパウラ・アルテーアは、込み上げてくる笑いを抑えることができなくなったのか声を上げて笑い出した。

 そうして一頻(ひとしき)り笑い終えると、その紫色の目にぞっとするほど冷たい光を宿して言った──。


「……次の〝玩具(おもちゃ)〟が決まったわぁ。せいぜい愉しませてもらいましょ」

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