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風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
微風
21/63

微風 3


 アニョロ・ウィレンテ・ヴェルガウソ商館長代理は、自分が差配を任された商館の中庭で、客人を前にすっかりと寛いでいた。

 …──いや、実際にはそう見えるようにしているだけなのであったが……。

 客人とはルージュー辺境伯ライムンドの3姉妹の長姉クロエであった。

 そのクロエは午後の陽射しの中、通された中庭のガゼボ(東屋)に置かれたテーブルに腰を下ろし、差し向かいに座ったアンダイエ商館の代表の表情をそれとなく窺っている。現在(いま)の彼女は、アニョロの授けた知恵で『コレオーニ商館』の代理人という立場であった。


 その立場に就いてまだ日の浅いクロエであったが、三日にあげずアンダイエの商館へと通い詰めて来るうちに、商談を纏める才を見せ始めている。

 どうもこの分野──商館の〝表向き〟の仕事──に関しては、小さな数字を積み上げることを苦にしない彼女の方に適性がありそうなことに、少し前からアニョロも気付かされている。

 今日もアンダイエの首席武官からの知らせで気鬱であったとはいえ、最後に収支をひっくり返されたのには内心で舌を巻かされた。相当に勉強していると見えた。

 クロエは、そんなふうな人物評を内心でしているアンダイエ商館長代理を前に、緊張するでもなく午後のお茶を楽しんでいた。

 いま彼女の出で立ちは、アニョロとアロイジウスがカルデラの南壁で初めて出会った夜の男装姿に近く、長い髪を高い位置で結い上げ、服は西方風の長衣を動きやすい型に繕い直したものだった。仕事でこちらに赴くときは常にこのようなスタイルであったが、コレオーニの商館を通じて()()()紹介をされた日より、男以上に精力的に仕事に取り組む彼女には良く似合っている、とアニョロは思っていた。


「ところで…──」

 クロエが、香りを楽しんだカップを皿に戻してアニョロを向いた。

「この度の妹君(アニタ)兄上(アティリオ)との〝お話〟、マルティ、ヴェルガウソの両家にとりたいへん喜ばしく思います、おめでとうございます」

 アニョロは、何気なさを装いつつ、内心でだけ慎重に訊いた。

「…──何の話です?」


「アンダイエ伯さまはルージューとの〝懸け橋〟にと、妹君とアーティ兄さまの婚儀を望まれているとか。もとよりアーティ兄さまとアニタ嬢は収まりがよくお似合いです」

 アティリオのアニタ嬢への想いは本当のものであると、──例え政略の側面はあるにせよ、アニタ嬢は幸せになれると、そうクロエは思っていた。


 一方のアニョロは、そんなふうに何の衒いも含みもなく言うクロエに内心で困惑しながら、そのまま困惑したふうを装って見返した。

 自分の家の事で有る無しに、このタイミングで〝こういった話〟が外に漏れているのは問題だった。そもそも、アロイジウスから昨日伝えられ知ってはいたことだったが、正式には、この話は未だ商館に伝わってきてすらいないのだ。当のアニタも知りはしない。

「何を根拠にそのような……」

 無駄を承知で水だけは向けてみる。


「違うのですか?」

 アニョロの表情から〝お気に入りの娘を取り上げられる父親の代わり〟、という感じを見て取れなかったことで、少しクロエの表情が変わった。

 アニョロの表情の中に探る様なものを感じた彼女は、平板な声音になって言った。

「私はピエルジャコモから聞きました。ルージューの一族でこのことを知る者は、まだいないと思います」

 ピエルジャコモがどのようにしてこの情報を手に入れたのか。クロエは知らないし、知っていてもそれは教えられない。教えるつもりもなかった。第一、そう言うことを最初に教えてくれたのは、他ならぬアニョロなのだから。


 クロエのその(見る人が見れば)わかりやすく変化する表情が、アニョロは好きだった。

(やはり女性(おんな)なのだな……)

 諜報に携わる人間としては明らかに不適である。が、彼女のような女性(ひと)がするのであれば、こういう〝女の使い方〟は(アニョロ)は許容できた。──というより、明らかにこの娘にはこの手の仕事が向いておらず、その分だけ〝自分には無いモノねだり〟が働くのだろう。

 アニョロは口許を綻ばして一息を吐くと、それまで繕っていた表情を改めて席を立った。

 ガゼボ(東屋)の柱まで進み、中庭の緑を基調とする色彩へと一度視線をやってから、改めてクロエを向いて溜息混じりに言う。

「実は困っています」

 正直に言った。彼女の欠点──いや、普通に考えれば美点だが…──は、こちらが正直になれば必ず正直に応じることである。

「妹君には他に誰か〝想い人〟が?」

 案の定、彼女は遠慮がちに訊いてきた。アニョロは頷いて返した。彼女のその優しさがいまのアニョロには有難かった。

 (もと)より身内を政略の道具に使う心算(つもり)のないアニョロとしても、主家の当主であるタルデリがそうと決めた以上、拒むことは難しい。それが宮中伯家を補する子爵家の悲哀である。家を継いで初めて思い知った。


 いっそ相手として名の上がったアティリオが、兄の目から見てどうしようもない男であれば、自身の持てる全力を以って妹を逃がしてやるというのもあったわけたが…──、アティリオは望み得る最良の部類の男であった。

 (アニタ)への執心にもあの男なりの誠意が感じられ、妹の心がアロイジウスに在るのを知っていなければ、むしろ説得をしてでも嫁がせている。アティリオであれば妻として妹を大切に扱うだろうと、理性と感情の両面が理解していた。

 そんなアニョロは、今日にもアニタに〝この話〟を告げねばならなかった。

 気の重い話を控え、ルージューの人間でありながら真剣に同情をしてくれるクロエの友情に感謝をし、そうすることで、自分に〝心の中の免罪符〟を求めていた。その自覚はある。

(何のことはない……自分も弱い人間だ)

 アニョロは自分を嗤った。



 アニョロが頷くと、クロエも黙って席を立った。

 テーブルの向かいからアニョロの側まで回ってくると、黙ってアニョロの隣に収まる。そして彼女は優しい表情でアニョロを見上げた。

 一族の者以外に、彼女がこういう表情をすることは滅多にないことをアニョロは知らない。

「妹想いなのですね」

 どうすることも出来ないことへの苦しい胸の中の吐露だったが、彼女が聞いてくれるというならば、と、アニョロは〝話を切上げる〟ことを止めた。

「2人きりの兄妹なのでね。──父も妹を可愛がっていた。カルデラを治める家の美姫の前では身贔屓と笑われましょうが、あれはあれで美しく育った。……出来れば幸せに、と願っています」

 クロエはそう言うアニョロに微笑むと、小さく首を振って〝その身贔屓〟を肯定してくれた。

 アニョロは自然と微笑が浮かんだ顔でクロエを向き、訊いた。

「アティリオ殿の耳には〝この話〟……どう聞こえると思います?」


 クロエはわずかに逡巡した。──異母兄(あに)は自尊心の高い男だ。

 アティリオがわざと露悪的に見える表情(かお)になって口許を歪ませる、そんなイメージが心に浮かんだ。

「──妹君に想い人がいるのであれば、この話を兄は受けないと思います」

 逡巡した後、クロエは言っていた。異母兄(あに)を擁護するように切ない笑みを浮かべて。

「〝政略〟かどうかは兄は問題にしません。ルージューとはそういう一族ですし、そのことは貴方もご存じでしょう。

 それよりも……兄はあれで人の気持ちを(おもんばか)男性(ひと)です。例えアニタさまが決意をしたとして……いいえ、むしろそうであれば尚更、自分からお話を辞退するように思えます」


 アニョロは、アロイジウスに〝勝ちを譲った〟マルティ家の三男を思うと、〝そうであろうな〟と納得をした。そう言えば、クロエは〝アティリオとアロイジウスの勝負の件〟は知らないのだろうか。

 それはさておき、現実には上司──西方長官タルデリの強い意向がある。

「さて……こういうことは相手あってのこと。これで妹を説得しても意味がないことが判ったわけで……」

 アニョロはいよいよ頭が痛い、とばかりに後頭の下に手をやってしまったが、彼らしくもなく、その無防備な姿をクロエが見上げているのに気付かなかった。

 気付いたときには、アニョロとしては、肩を竦めてバツの悪くなった表情(かお)を向けるしかなかった。


「仕方ない……。妹を()()()()()、この件は〝幕引き〟としましょう。商館長代理の役職は取り上げられるかも知れませんが──」

 ──〝いまカルデラの地を離れる訳にもいかず……さてどうしたものか〟──と続けるより先に、クロエの方が口を開いていた。

「なぜそうなるのです?」

 クロエの声音は、アニョロの言に納得のいっていないものだった。

 アニョロは困ったふうに応えた。

「〝我が殿(アンダイエ伯)〟の勘気(かんき)を被ることになるからですよ」

「それはおかしい! それではこの西方のことは全て、人の心の動きまでアンダイエ伯の思惑の通りにならなくてはならないということになります」

 聖王朝の宮廷貴族であれば()()()()()〝ことの顛末〟だったが、クロエには、それを受け入れているアニョロの方に衝撃(ショック)を受けたようであった。

 アニョロは言い訳した。

「我が殿はあの通りの理屈の通らぬ御人……病人なのですよ」

「いったいそれは、どのような病気です?」

「権門と言う揺り籠の中で、心が子供のままに育たなかった」

「子供って……」

 呆れたふうに絶句してしまった。

「むろん〝心清らかな〟という意味ではありませんよ」

 仕方なく苦笑したアニョロに、クロエは反射的に声を上げる。

「わかっていますっ」

 アニョロは口許を綻ばせた。

「かく言う私も、その権門に連なる枝葉ということで現在(いま)の立場を得ました……他人(ひと)のことは言えませんな……」

 そう言ったアニョロを見るクロエの表情は複雑に揺れていた。

 最初こそ切なげなものだったが、やがて何か決意したかのように一つ頷くと、声音を改めて語り始めた。


「そんな難病に効く処方があるとは聞いたことがありませんが、この場合、もっと良い解決策があるように思えます」

「──…?」

「ルージュー一族とアンダイエ伯の手下の者との間に、婚姻が交わされればよろしいのでしょう?」

「ま、それはそうですが…──」

 アニョロは、クロエがまたいつものように物事を単純に語り始めた、と軽く笑った。

 彼女は話の筋を捉えるがその際には一度物事を単純化して語る。そうすることで最短の道を示唆してみせるのが常だった。

 が、この話題については彼女の言う解決策など有りはしない。

 一方の当事者であるアニタにはすでに心を定めた想い人が居り、もう一方のアティリオに見合うほどの女性は家中(アンダイエ)に見当たらない。他の男女を捜すのも難しかろうが、仮に見つかったとしても我がヴェルガウソの家が〝我が殿(アンダイエ伯)勘気(かんき)を被ること〟に代わりはないわけで……。


 そういう思いを飲み込んで、アニョロは隣のクロエへと視線を下ろす。

 クロエは〝何かの反応〟を待っているように、少々もどかしそうにアニョロを見上げている。

「まだわかりませんか?」

 終に溜息を()かれた。アニョロは、自分の自尊心が少しばかり傷付けられたのを感じたのだが、それでもクロエに対し〝そのように単純化されても〟別段、何の策の材料になどならないと語って聞かせようと口を開いた。

「いまアンダイエには、ルージューの男どもに見合う年頃の娘は我が妹の他いません。ルージューの女を娶るとなればそれなりの家格が必要で、正妻として迎えるとなると──」

 が、そこで鋭く遮られてしまった……。

「当たり前です! ……側女だなんて冗談じゃないわ」

 余りの語調の鋭さに、アニョロは怪訝になってクロエを見返した。彼女の方は、いよいよ焦れったい! とばかりに言い募る。

「ヴェルガウソ家の妹君とマルティ家の三兄との話が最初なのですよ ──それならば、ヴェルガウソ家の()()()とマルティの家の()()()だとしても成り立つ話でしょう!」


 そういう筋書きは、勿論アニョロとて〝幾つもの仮定の中の1つ〟としては検討している。だがそれは、思考の遊び程度のもので、深く考えを進めるようなものではなかった。

 だから改めて当人の口からそれを示されたとき、咄嗟に反応することが出来なかったのだ。



 その沈黙に不安になったように、上目遣いのクロエが言った。

「それとも……私では不服でしょうか……」

「まさか!」

 アニョロは、自分でも滑稽に思えるくらいには、動揺して応えた。

「──あ、いや……大国の姫が一介の官吏貴族に嫁ぐなど、聞いたことがなかったので……」

 どうにかこうにか、しどろもどろとならずに言うことのできたアニョロに、クロエは慎重な面差しで訊いた。

「それでは……前例がないというだけで、私を諦めますか?」

 いつの間にやら〝自分はクロエを求めている〟ことになっていたが、アニョロには否定はできなかった。それを事実としてもよかったから。

 それに、そう言ったクロエの表情が〝一杯一杯〟であることが容易に見て取れ、彼女の性格から推しても、これが〝最初で最後の〟機会だろうと直感した。

「私と結婚する……それがどういうことか、おわかりですね?」 アニョロは表情から笑いを消した。「ルージューの姫君としての、()()()()()は約束できませんよ」

「そのようなこと、(もと)より求めていません」


 そのクロエの言葉に、アニョロは身仕舞いを正して彼女の正面に立った。そして膝を着いて言う。

「初めてお会いしたあの時から、もし叶うのならばと心に決めておりました……。

 私の妻となって頂きたい」


 さして飾り気のない言葉だったが、彼女には十分だった。

 自分から仕向けたはずだったのに、いざとなれば言葉が出て来ず、ただ黙って肯くことしかできなかったのだから。

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