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風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
風の子ら
2/10

風の子ら 1


 朝のうちアルタノン(神殿広場)の石畳を濡らしていた雨は、もう止んでいた。

 午前中は霧に巻かれていたメツィオの街並みも、正午を過ぎれば低い雲は流れ高い雲は西に遠く退いて、見上げれば街の上空は蒼く晴れ渡っている。かように〝浮き島〟の天気は変わりやすい。大地そのものが雲の中を動くからだ。

 メツィオは聖王朝直轄の三つの〝浮き島〟のうち最も大きいシラクイラの中心であり、聖王家の居城フォルーノクイラにもほど近い。〝王都〟というべき街であった。聖王朝の古の知と技によって成された計画都市。聖王朝の政治、文化、経済の中心である。


 その王都は同時にシラクイラを預る三公筆頭プレシナ大公家の本拠地でもあった。メツィオに広大な屋敷を構える大公家は聖王家に連なる名門であり、聖王朝の軍事を束ねる武門の家柄である。


 大公家に仕える軍人貴族=竜騎の家系に生まれ落ちたエリベルト・マリアニはこのメツィオに育った。この年エリベルトは(数え年で)12歳。物静かな表情(かお)の中の蒼い瞳に怜悧さを見て取ることの出来る、そんな少年であった。



 そのエリベルトは当惑していた。アルタノン(神殿広場)の市井の中、エリベルトの前には良家の子弟と思しき煌びやかな出で立ちの少年──年の頃はエリベルトと同じか少し年長かも知れない…──が二人立ち、その酷薄そうな青白い顔に怒りと侮蔑とをそれぞれ浮かべて彼を糾弾している。そして糾弾されるエリベルトの背後には汚れの目立つ粗末なトゥニカ(貫頭衣)を纏うへロット(下層民)の娘が硬い表情で平伏していた。──瘴の上昇によって行き場を失った人々の流入は止まることがなく、シラクイラの中枢であるここメツィオでもへロットの姿は珍しくなくなっている。


 穏便にことを収めるべく間に割って立ったエリベルトに二人の貴族の子弟は退けと迫り、ことを荒立てたくないエリベルトは当惑の表情を返す、という構図であった。なぜこのようなこととなったか。そもそもはつまらぬことなのである。


 ここに至るまでの顛末とはこうであった。

 この日アルタノン(神殿広場)はプレシナ大公家の嫡子アレシオ・リーノの〝竜騎見習い〟への志願に立ち会う一門の者で溢れていた。竜騎への叙任などではなく見習い志願なのであったが、そこはただの貴族の子弟のことではない。聖王家に連なる武門の家の嫡子のそれである。

 一門の多くの家から男どもが出席し、一言祝いを述べようと集まっていた。少しばかり早く〝竜騎見習い〟となっていたエリベルトもまた、一門の御曹司の儀礼に花を添えるべく管区の軍役貴族の子弟としてこの場に在ったのだ。


 そんな中で、アルタノン(神殿広場)で薬膳を買い求めたへロットの娘が勢い余ってここを歩いていた二人の貴族の子弟と接触し手にした薬膳の器を飛ばしてしまった、というだけのことだ。……ただ、薬膳は一人の貴族の礼服に染みを作った。


 貴族たる者がかようなことで民との間に軋轢を生むのは如何なものかとエリベルトは思う。

 確かに周囲の注意を怠った娘にも非はあったかも知れないが、衆目のある場所で厳しく糾弾されるようなことではない。むしろ高価な薬膳を無駄にしてしまった娘を哀れんでやれぬものか。エリベルトという少年はそう考える。

 それで娘と共に詫びてやることでこの場を収めようとしたのだったが、貴族の子弟二人は収まらなかった。むしろエリベルトが間に入ったことが火に油を注いだ。次の瞬間、エリベルトの頬をワイバーン(飛竜)を操る鞭の強打が襲った。

 彼ら聖王朝譜代の門閥に連なる正真正銘の貴族にとり、軍役貴族たる竜騎など名ばかりの貴族に過ぎない。つまりはへロットと変わらぬ存在ということであった。


 エリベルトはいきなり頬を打たれ思わず二人を見返してしまったが何をするということもできなかった。ただ何故打たれたのか理解でき(わから)ず唖然と見返しただけである。目が合うと途端に身体のあちこちを打たれることとなった。鞭が肌を討つ痛みと屈辱とを耐える。そのような同世代の貴族の子らによる理不尽はしばらく続いた。

 何もやり返せずただ耐えるだけだったが、そうすることでせめて自分の背後に平身低頭する娘に鞭が振り下ろされるのは避けられている。そのことだけは満足のいく仕儀と言えた。



「やめよ」

 凛とした声が辺りに響いた。それでようやく肉を叩く乾いた鞭の音が止んだ。

 声の主は射干玉(ぬばたま)の髪を肩で切り揃えた美しい少年であった。

 プレシナ一門の総帥、現当主アルミロ・ダニエトロ大公殿下の嫡男アレシオ・リーノ。当年11歳である。溢れる才気はその幼さの残る優し気な容姿の陰に隠れていたが〝貴族の中の貴族〟という出自に慣れた者の声と所作はたちまち場を収めた。二人の貴族の子弟も良く訓練された猟犬さながら、たちどころに威儀を正してその場に控えてみせる。


「オンツィオ、ポリナーロ。そなた等の振舞いは美しくなかった」

「はい……」

 オンツィオと呼び掛けられた少年は慎重に返した。が、いま一人──ポリナーロは一拍を置くとエリベルトの後に平伏する娘を指して抗弁をした。

「──…そこの下賤の娘が私の服を汚したのです!」


 アレシオ・リーノの目がスッと細まった。

「私はそなたの〝振舞い〟が美しくない、と言った。この上さらにあさましい物言いをするとは……」

「そ、それは……」

「控えよポリナーロ」

 さらに言葉を重ねようとするのを側らのオンツィオが遮った。ポリナーロは一礼すると引き下がった。

 アレシオはそんな二人をもはや一顧だにしなかった。鞭で打たれ腫れた顔を伏せるでもなく直立しているエリベルトに声を掛ける。

「おまえは?」

「シラクイラ第2大隊の竜騎リスピオ・マリアニが一子エリベルト」 少し躊躇った末に付け加えた。「──…竜騎見習いであります。お見知り置きを」

「憶えた。()()()()竜騎見習いとな? よくプレシナ家麾下の竜騎の誉れを汚すことのない振舞いに徹してくれた。父に代わり礼を申そう」

「はっ」

 アレシオ・リーノのこの物言いをエリベルトは不快に感じなかった。むしろ周囲を納得させるその声音を心地よいとさえ感じ畏まって応答していた。


 そんなエリベルトの後に控えて平伏するへロットの娘にアレシオの視線が動く。

 上目で様子を窺っていた娘は、視線が合う前にさらに深く面を伏せ身を硬くした。

 アレシオはそんな娘から視線を外すと、側らに控えている侍女頭の女に何事か告げて再び歩き出した。彼の動きに合わせて周囲の人が歩みを戻す。市井の人々と共にエリベルトが列を見送る中、オンツィオとポリナーロも一行の後を追って続いた。


 侍女頭の女は平伏したままのへロットの娘の前まで来ると、その付いた両の手の先の石畳の上に、そっと1枚、小金貨を置いた。そうして侍女頭の女は腰を上げると一行の列の中へと戻っていった。

 女の衣擦れの音と遠退く気配で面を上げた娘の肩が、石畳の上の小金貨を目に入れるやびくと小さく震えた。すぐ傍にいたエリベルトでさえ娘のその反応に気付かなかった。


 ぎりっ。

 娘は歯を喰いしばると、身を起こししなに小金貨を掴んだ。

 そしてそのまま大公家一行の列に向かって駆け出す。若い猫のような身のこなしでエリベルトの脇を抜けるや、隊列の先頭を行くアレシオ・リーノを追い越し彼の前に立つ。

 肩をいからせたへロット(下層民)の娘は小金貨を握ったこぶしを突き出すと、緊張した声を震わせつつも叫んだ。


「哀れみなど無用! 施しなど受けぬっ」



 その声にアルタノン(神殿広場)に居合わせた者の衆目が集まった。

 大公家の列の先頭でアレシオ・リーノと対峙したヘロットの娘は、少なくともその瞬間は、確かな輝きを放った。

 アルタノン中の目と言う目が、固唾を飲んで注がれる。

 年若い娘──年の頃は13、4歳か…──は困窮に痩せて身形(みなり)も汚れて粗末であったが、微かに上気した険しい表情は確かな気高さを感じさせた。アレシオ・リーノを取巻く貴族どもでさえ言葉なく娘の方を見遣った。見目がどうということではなく、ただ、美しかったのだ。

 その瞬間は、へロット(下層民)の娘が大公家の貴公子の前で〝対等〟であった。


 そんな中でアレシオ・リーノは娘へと歩を進めていった。供回りの者の動きを片手を振って制し、ゆっくりと近付いて行く。娘は緊張の面差しを崩さず待ち受けた。突き出している右腕がわずかに震えている。アレシオは娘の前に立つと突き出された手を自らの手で取り、その中から黙って小金貨を受取った。


「私が非礼であった」

 小金貨を元の持ち主の掌の上に落とした娘は、そのアレシオの言葉に手を引っ込めた。

「…………」

 アレシオの表情(かお)は神妙で真摯であった。娘はその瞬間に自分とアレシオの身分の差を(わきま)え、気後れするように後退った。そして一際険しい表情となってアレシオの貌を一睨みすると猫の身のこなしで踵を返し、路地の陰へと姿を消した。すぐさま供回りの者が後を追おうとする。


 礼を尽くしたアレシオ・リーノに対し、この娘の所業はさすがに見過ごすことの出来ぬ非礼と思われた。だがアレシオは、再び腕を上げてその動きを制した。

「よい。此度は赦そう」 掌の中の小金貨に視線を落として呟くように続ける。「──私の心無い振舞いがあの娘の気高き心を傷付けた……」

 そう言うとあとは何事もなかったかのように歩き出す。後から一同も続いて歩き出した。



 その一部始終を目に収め一行を見送ったエリベルト・マリアニは、ヘロットの娘の所業とそれを咎め立てぬプレシナ大公家の嫡子の対応に衝撃を受け、いずれプレシナの武門に連なるのであればあのような人物の下で働きたいと幼心に思ったのだった。


 そしてそれは、その年のうちに果されることとなった。

 アレシオ・リーノその人から請われ共に竜騎見習いとして大隊直轄小隊に配されることとなった。こうしてエリベルトはアレシオ・リーノの〝竹馬の友〟となったのである。

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