西の辻風 2
意固地に口を引き結んだ女──いや娘の顔は美しかった。
年の頃はアニタと同じくらい──16歳くらいか。艶やかなブルネットは前髪を残して高い位置にホーステールに結んでいた。肌理の細かな肌をしている。帯剣して男の出で立ちをしてはいたが、これで男と押し通すには無理があった。
アニョロは溜息を吐いた。
「〝マトモ〟な船には乗れない理由がある、ということか……。何があったか知らないが、船はすぐには戻らんぞ。半月はあのままだ」
娘はあからさまに落胆した。アニョロの言う通り、何か事情があってルージューに関わりのある船には乗ることができないのだろう。でなければ密輸船や聖王朝の軍船を頼ろうなどとは思わない。カルデラの外に出るだけならば、カプレントの港から船に乗ればよい。
「どういう事情なのかな?」
仕方なく訊くと、娘は何だか怒ったように、
「私の勝手だ。動かぬ船に用などない」
そう〝男ことば〟にこだわって応えた。
アニョロは重ねて質した。
「素性を明かしてくれた上でなら…──」
娘は、移り気なように見えたが、中々に頑なだった。
「できぬ」
きっぱりと拒んだ娘は、その次には近くで草を食む2人の乗騎に目を留めていた。
「ワイバーンか……。あれのうちの1頭を私に譲ってくれ。礼ならばコレで…──」
言うや片方の耳朶からイヤリングを外して差し出してきた。
「……十分であろう」
小振りだが〝真珠〟だった。これ1つでワイバーンを〝番〟で求めて釣りがくる。
アニョロの目がわずかに険しくなった。金の問題ではない。
「飛翔獣では瘴の雲を越えられない。馬鹿にくれてやって死なせるつもりはない」
「わ、私はそれほど愚かではないっ!」
これには娘も目を吊り上げるようにして言い返した。
そんな娘に、アニョロは諭すような…──優しい声になって言った。
「悪いことは言わない……。諦めて家に戻りなさい。近くの里の外れまではお送りします」
それでバツの悪くなった彼女は、今度こそ畏まった声でアニョロに言った。
「顔を隠したまま、私にだけ素性を問うのは無礼でしょう?」
「名乗りたくともそう出来ぬ場合もあります」
年上の男の衒いの無い言い様に、娘は精一杯の外連で応じた。
「ここでいったい何をしていました?」
〝後ろ暗いところがある〟のはお互いそうである。このまま〝やり込められた〟のでは、面白くないのだろう。そういう表情を隠して娘はアニョロを質した。
だが、この場合はアニョロの方が経験もあって上手だった。
「さて……、今宵は月が綺麗でしたので」
優男にそう韜晦されてしまえば、後は黙る外なかった。
娘が再び口を引き結んで面を伏した途端、アニョロとアロイジウスの耳に大気を羽撃つ音が聞こえた。ワイバーンが顔を上げて周囲を警戒する中、2人は四方に目を動かした。
「ちっ!」
気付いたときには遅かった。月の明かりの下、夜風を切って7、8頭のグリフォンがいきなり現れたのだ。…──西のカルデラの地には、フクロウに似た翼を持つグリフォンがいるという。彼らは大きな羽音を立てずに飛べる。恐らくそれだろう…──。アニョロとアロイジウスと娘は、何をする余裕もなく囲まれてしまっていた。
(8頭のグリフォンにそれぞれ2名…──15名か……)
万事休す、だった。
「要らぬ面倒で人を煩わすな」
首魁らしき男がグリフォン──彼だけは1人で乗っていた──の上から娘に叫んだ。娘は、月明りに目を凝らした。
「叔父上さま!」
アニョロもアロイジウスも、2人の顔を交互に見やる。
「どうしてここへ?」
「嫌な予感がしたのだ……。姿が見えなくなったと聞き、もしやと思ってこの南壁に当りをつけた」 男は娘の顔に溜息を吐いた。「……まったく、手遅れとならず良かった…──」
言って陸に上げられた飛空艇を見遣る。男はあらためてその場の人間の数とワイバーンの数に怪訝な表情となって、アニョロらを質した。
「その飛空艇の者か?」
アロイジウスが〝どう答えたものか〟と素早く視線をアニョロに向ける。アニョロが何か言う前に娘が口を開いていた。
「ちがいます。舟の者は私を女と知ると襲ってきました。ですから…──」
「──それで殺したのか? おまえが逃げねば、死なずに済んだ命だ」
そう言われてしまい、娘は目線を落とした。不貞腐れたように側らの2人を指して言う。
「其処な者どもに助けられたのです……」
いきなり〝お鉢〟を回され、そこではじめてアニョロとアロイジウスは男に一礼をしてみせた。
「礼を申さねばなりませんな」
男は獣の上から礼を返した後、あらためて質してきた。
「何処の家中の者か?」
その目付きは、先の言動程に柔らかくはなかった。
対してアニョロは、
「我らは旅の者……、どこの家に属する者でもありません」
しれっとそう嘯くと覆面を取って男を見返す。アロイジウスもそれに倣った。
隣の少年 (アロイジウス)共々──内心はともかく──〝西のカルデラ〟のグリフォン・ライダーの一群に臆したふうでないのに、男の口許が綻ぶ。
もっとも、高価なワイバーンに乗って旅する〝平民〟など居ようはずがない。その意味でアニョロの言い分は、先に娘 (男の姪)が〝男と偽ったこと〟ほどにも説得力がなかったが……。
娘はアニョロの横顔を凝視した。
あまりの遠慮のなさにアニョロは困惑し、居心地悪そうに横目を遣る。
娘は不満そうに口を尖らせた。
「……私が訊いたときには、その覆面を外しませんでしたね?」
「貴女と〝叔父上〟殿とでは、役者が違うでしょう……」
「…………」
娘は明らかに気分を害したふうであったが、〝叔父上〟の手前かすぐに息を呑み、プイと顔を背けてしまった。
グリフォン上の男は咳払い一つで、そんな娘の意識を向けさせた。
娘は反応し、不承不承と男の乗騎まで歩み寄っていくと、差し出され腕を掴んでグリフォンの背に引き上げられた。
アロイジウスの思ったよりも、ずっと素軽い身のこなしだった。
「──…旅人なればこの地に不案内のこと、致し方なしとしよう……」
言いつつ男は手綱を操り、月明りの下に2人の姿を求めるように、アニョロら2人の前にグリフォンを進めた。
「……だが、カルデラの南は〝コリピサの堰堤〟より先は許可なく立ち入ってはならぬが定め。聢と心に刻み、早々に立ち去られよ──」
グリフォンの男にそう言われ、アニョロとアロイジウスは黙って一礼を返した。
男は肯くと手綱を引いてグリフォンの向きを変えた。有翼獣が翼を振ってその巨躯を浮かす。風圧がアニョロたちの顔を打ったが、その一度の羽搏きの後は驚くほどの静かさで、2人の人間を乗せたグリフォンは夜闇の中に滑り出したのだった。
アニョロとアロイジウスの目がそれを追う。と、周囲のグリフォンが次々と羽搏いて後に続いた。
(ワイバーンではああはいかないな……。)
始めて実物を見た〝ウルラ・アラス〟のグリフォンの飛行能力に感嘆したアロイジウスは、一方でさり気なく息を吐く傍らのアニョロへと目線を遣った。
その視線に気付きアニョロが言う。
「どうやら見逃してくれたよ……」
「素性、知れたかな?」
「間違いなく…──シラクイラの竜騎であることは隠せなかっただろうな……。その上で、お互い〝見なかったこと〟にして忘れちまいましょう、と言ってくれたということさ」
「先方には〝こちらを赦す理由〟はないと思うけれど……?」
そういうアニョロの解釈には同意しかねたアロイジウスは、独り言ちるふうに言ってみた。
「…………」
アニョロは〝弟分〟の的を射た洞察に目線を返した。それから頼もしそうに眼を細めた。
「──…〝お眼鏡に適った〟のさ……、おそらく」
「……? ──何の?」
「交渉の窓口役にさ」
「交渉……。あの男をアニョロは知っているのか?」
「知らんけどね。おおよその見当はできてる」
それは誰か? と問うアロイジウスの目を無視したアニョロは、それには応えずに自分のワイバーンに向かった。
「もう戻るぞ。さすがにもうこれ以上はいいだろう…──」
ここで折り返すことを宣言する。いまから取って返せば〝第4夜警時〟の終わる頃までには商館に戻れる。ふとアニョロはアロイジウスを振り返って言った。
「あー、それから……、明日の婚礼の席…──今宵見た顔に遇っても表情には出さないでくれよ」
怪訝な目線を返すアロイジウスに、アニョロは悪戯っぽく笑ってワイバーンの背に乗った。
「よろしいのですか?」
グリフォンの背で、娘は〝叔父上さま〟に訊いた。
その声が不満そうだったのは、〝カルデラを出る〟という自らの目論見を止められたからか、それともあの無礼な優男を叔父が見逃すと決めたからか……。おそらくその両方なのだろう。
「構わん。知れたところで痛くもない……」
〝叔父上さま〟は応えてやった。この場合の〝知れる〟とはカルデラ南側の備えのことである。
「いやむしろ都合が好かった…──こういうことは、幾らかを相手に明かしてやった方がよい」
「適当な人物でしたか?」
「おそらく…──これ以上望めぬ人選となったかも知れんぞ」
まだ懐疑的な声音の娘に対し、応じた〝叔父上さま〟の方は確信めいた声音だった。
それに娘が怪訝になった。
「叔父上さまは、あの御仁を存じておいでか?」
「いや、実は知らぬ。……だが、いくらか心当たりはある」
考えようによっては甚だ無責任とも取れるその言葉に、娘は目を丸くした。
「……何だかいい加減なのですね」
言って溜息を一つ吐く。〝叔父上さま〟は苦笑した。
「ま、そんなものだ。それはそれとして、明日の婚礼には出るのだぞ」
途端に娘は押し黙ってしまった。
「我が儘は通らぬぞ。それを通せば、お前の兄の立場とてあるまい」
「…………」
目線を眼下の瘴の煌めきへとやった娘は、しばし黙る。やがてぽつりと言った。
「──…血の繋がりはありません」
「そんなこと、周囲は知らぬ」
そう突き放され、娘は少し泣きそうになって言い募った。
「どうしても出なくてはなりませぬか?」
「──…出なくてはならぬ」 叔父は絆されることはなかった。「……もう16歳だ。立場を弁えよ」
娘はくっと口許を引き結んでみせたが、結局、諦めたように目を瞑り、小さく息を吐き出した。




