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風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
西の辻風
13/63

西の辻風 1


 その夜は風の凪いだ、月の綺麗な夜だった──。

 夜中、密かに商館を抜け出したアニョロとアロイジウスは、商館のワイバーン(飛竜)を駆ってカルデラの南側を山肌に沿って飛んでいた。

 〝朝駆け〟である。

 第4夜警時 (真夜中から日の出までの時間帯の後半)の終わる頃…──明け方までには戻れると踏んで商館を出た。

 カルデラの南側を視察しておくためである。

 むろん、誰かに見咎められれば面倒となりかねない。2人は聖王朝の官衣を脱いで覆面をしていた。その上で見つかれば、もう〝朝駆け〟ということで押し通すしかない。だから〝朝駆け〟なのだった。

 そんな事情もあって、2人は高度を下げ瘴の境界にほど近い所を飛んでいる。風が凪いでいなければ身体の危険を感じるほどの近い距離に、瘴の蒼く美しい煌めきがあった。

 口許の覆面は、春先でまだ冷たい向かい風を和らげる役目は果してくれたが、もし瘴を被れば、その猛毒までは防いでくれない。吸い込めば、あっと言う間に心の臓が止まる。


 先頭を飛ぶアニョロが〝左手を見ろ〟とゼスチュア(身振り)をした。

 指差す方を見遣れば、南五峰の南壁に対して〝対岸〟に当る峰々の連なりの影の中に、石造りの建築物を認めることができた。恐らく見附(みつけ)(見張り番所)の類いだろう。アロイジウスは小さく溜息を吐いた。

(ペナーティ殿の読み通りか……。これは臨戦態勢じゃないか)

 巧妙な擬装がなされ、夜闇に飛ぶワイバーンを息を潜めてやり過ごそうとしている。

 ──十中八九、こちらの姿を認めているのだろうが、敢えて巡検の者を上げてこないのは、先方も事を荒立てたくないのか。

(この程度であれば〝公然の秘密〟。互いに了承済、ということか……)


 その後1時間(ホーラ)ほどを飛んで、2人はワイバーンを絶壁の上の開けた緩斜面の上に降ろした。夜明けはまだまだ先だが、これ以上先を飛んでも得るものはないと踏み、ここで折り返すことにしたのだ。

 月明りの下、ワイバーンに足もとの草を()ませ、アニョロとアロイジウスは並んで斜面に寝転んだ。

 満天の星空に月が明るい。

 声を潜めるようにアロイジウスが訊ねた。

「ルージューは聖王朝と事を構えるつもりだろうか?」

「何年も前から(いくさ)を仕掛け続けているのはシラクイラ(聖王朝)だろう」

 アニョロは慎重な声音で応えた。

「──座して死を待とうというのでなければ、このくらいの備えはするさ」

「ではやはり……」

「シラクイラは全てを喰い尽くす。貪欲に、容赦なく……。浮き島も高地諸邦もカルデラも皆、最後にはシラクイラの餌食となろうさ。アンダイエがそうだったろう?」

「…………」

 アロイジウスは押し黙った。確かにアニョロの言っていることへの反証はない。聖王朝(シラクイラ)は貪欲だ……。そこに神殿付きの〝知識の間〟で語られる叡智などないように思えた。

「なんだか……、馬鹿みたいだ」

「馬鹿なのさ」

「なぜそんな馬鹿を……?」

 アニョロは息を吸い込むと、大きく吐き出して言った。

「──…ウロボロス(尾を飲み込む蛇)は自らを尾から呑み込むことで、その神性を循環させ、永続させ、無限のモノとしようとしているらしい……。真面(まとも)な知性があれば、それが馬鹿なことなのに気付きそうなもんだけどな」

 最後の終止(フレーズ)を吐き捨てるように言うと半身を起こした。


 アロイジウスも倣って身を起こしかけたが、立ち上がる前に隣のアニョロの腕を掴んだ。

 怪訝に見返して来るアニョロに、黙って緩斜面の先の絶壁の、さらに先の瘴の煌めきの上に目線を遣ってみせる。そこに飛空艇が浮いていた。

 暗い色に塗られた飛空艇は、静かに、滑るようにカルデラ南側の隘路を進んでいた。山中のこの夜闇の中、灯火がないのが変だ。

「哨戒の舟かな?」

 だとすれば見つかりたくはなかった。見つかれば厄介だ。

 哨戒中の飛空艇であれば不審な飛竜の姿を見れば誰何(すいか)せねばならないだろうし、そうなればこの場に在る理由(わけ)を質される。


 が、アニョロの見立ては違っていた。

「いや、辺境伯の手下(てか)じゃないな。灯火を消して進むのは妙だ。たぶん密輸だろう……」

 2人は肯き合うとそれぞれのワイバーン(飛竜)の元に戻った。そして乗騎に翼を広げさせて伏せさせると自らもその側らに伏せて様子を窺う。商館のワイバーンはアニタがよく(しつ)けてくれていて、こういう指示にもよく従ってくれる。

 息を潜めてやり過ごそうと2人が見守る中、事態が急変した。

 飛空艇の艇首の辺りで何かが光った。──チカ、チカと……。

 はじめは〝火打ち〟の器具の発光かと思ったが、どうもそうではないようだった。

 すると飛空艇が揺れ始めた。


 怪訝に感じたアニョロは小さく印を切ると古語(エンシェント・ロー)を唱えた。風を操り声を運ばせる。

 アニョロは特に魔法の素養に恵まれた者ではなかったが〝知識の間〟で学び、この程度の術は使えた。

 風の運ぶ声に耳を澄ませば、少なくとも複数の人間の息遣いが聴こえた。

 どうやら飛空艇の上で揉み合いになっているようであった。

 …──時折、キン! キン! と金属の打ち合う音が混じる。とすれば、あの発光は剣がぶつかり合う火花か。何とも〝きな臭い〟情景となってきた。面倒くさいな、とアニョロは思う。

 大方、密輸で得た利益の分配で揉めたのだろうが、一つ間違えて飛空艇から落ちれば命が無い。どうも馬鹿は()()()()いたようである。

 最善の手はこのままやり過ごすことであったが、風が運んで来た会話が、アニョロにそうすることを思い止まらせた。


『話が違う!』

『何がだい? 坊や』

報酬(かね)ならば払ったではないかっ』

『お前さんくらいの〝上玉〟と判りゃ、そりゃあ追加料金だって頂きたくなるものなのさ。払えないのならその体で払ってもらえるしねぇ』

『近付くな! 下郎っ』

『おおっと──、おぃおぃ、そのおっかない短剣はさっさと捨てなぁ。危なくてしようがねぇ』


 アニョロはしばし躊躇いはしたが、結局、行動した。

 ワイバーン(飛竜)を起こして飛翔させると、事情の判らないアロイジウスに付いて来るよう身振りで示し、飛空艇に向かって一鞭をくれる。

 アロイジウスのワイバーンも遅れずに付いてくる。


『どうした? 何が起こった?』

 耳元にアロイジウスが声を運ばせてきた。彼もまた〝知識の間〟で学んでいて、こういう術はアニョロよりも得手(えて)である。

 ワイバーンを操りながら、よく技を使えるものだ……。

 そう思いつつアニョロは声に出して言った。声に出せばアロイジウスが風を操り拾ってくれる。

「どうも貴人が〝面倒事〟に巻き込まれているらしい。助けねば寝覚めが悪くなりそうだ……」

 アロイジウスは、それでもう納得してくれた。物分りがよくて助かる。



 二人はそれぞれのワイバーンを操り、飛空艇を左右から挟むように近付いて行った。

 艇の上に人影は3つあった。

 艇首の方に折り重なるように2つ、艇尾で舵を取っている1つ。

 そのうちの2つがワイバーンの接近に気付き、面を上げてマヌケな顔を向けてきた。

(やはり密輸の闇商人どもか……)

 一先ず安堵した2人の視界の中で、事態は再び急変した。


 艇首の重なった人影──大きい方の影が小さい影を組み伏せているように見える…──に変化が起こった。

 大きな方の人影が仰け反るように身体を起こすと、首筋を押さえ、ふらふらと覚束(おぼつか)ぬふうに艇の上を後退り、そしてそのまま艇の縁から宙へと落ちていった……。

 組み伏せられていたと思しき小さな方の人影が身を起こした。その手に、何か得物──おそらくは短剣──が握られている。


 チッ、とアニョロは舌打ちをした。──面倒事が増えていっている気がする。

 案の定、艇尾の男が反応した。弓を取り矢を番えようと動く。

 だが、その矢は放たれることはない。

 アロイジウスの矢の方が先に男を射貫くだろう。


 事実、そうなった…──。



 その後、1人残された人影の載った艇を先の緩斜面の上に引き上げるのに、半時間(ホーラ)ほど掛かった。人影は飛空艇を扱えぬようであったし、放心して動けぬ者の載った艇に飛び移るのは転覆する危険があって躊躇われた。仕方なくこちらの方で艇首の先にロープを結び、2頭のワイバーンで慎重に牽いて陸に上げたのである。


 緩斜面に直接乗り上げる形になった飛空艇の艇首には、べっとりと血糊を頭から被った若者が縁に身を預けていた。つい今しがたまで吐いていたのだ。まあ無理もない。これ程の量の血を浴びることなど、そうはない。

 船尾の方の遺体の始末──崖下に捨てた──をつけたアニョロとアロイジウスが戻ってくると、その2人の覆面姿に若者はあらためて手にした血塗れの短剣を握り直して言った。

「お前たち、何者だ! この地の者ではないな」

 血糊に汚れた顔の混乱した目が忙しなくアニョロとアロイジウスとの間を行き来する。月明りの下に怯える華奢な身体つきが痛々しかった。

 アニョロが思案顔をアロイジウスに向ける前に、アロイジウスは若者に近付いていき、首に巻いたマントを外し、それを腰の革袋の酒で浸して若者に差し出してやった。

 おずおずとそれを受け取った若者は、顔に近付けた一瞬だけ酒の強い芳香に顔を顰めたが、意を決するようにして顔の血糊を拭った。

 すると美しい顔が顕となった。


「おまえ……女か?」

 アロイジウスは若者のその顔を正面から見つめた。若者は否定せずに、ただ目線を逸らせた。

 アニョロは、内心で溜息を吐く。

 そして、次の言葉が出てこないアロイジウスに代わり、仕方なしに若者──女に訊いた。

「どういうことか、()かぬ方がよろしいか?」

 探るような上目で見上げながら、こくり、と、女は小さく頷いた。

「では一番近い人里の外れに降ろしましょう。そこからはご自分で……」

 と、話を纏めにかかるアニョロを遮るように、横からアロイジウスが割って入った。

「何か事情があるのなら、場合によっては力になります」

「…………」

 女の目が探るようにアロイジウスを向くと、慌ててアニョロが口を開いた。

「〝弟〟よ」

 苦い顔になってアロイジウスに言う。──まさかここで〝本名〟で呼ぶ訳にはいかないから〝弟〟である。

「事情であれば我らにもある。ここは互いに詮索はなしだ」

「しかし…──」


「──西方長官の手の者か?」

 言い合いになりそうになったとき、女が口を開いた。その声は、あらためて聴けばやはり女の声であった。

「やはり、そうなのだな?」

「お嬢さん、今宵のことはお互いに忘れるのが為でしょう」

 (にべ)無く聞こえるふうにそう言ったのだが、女はもう前言を翻すつもりの様である。


「聖王朝の手下(てか)なら私を連れて行ってくれ」

「連れて行けとは……いったいどこに?」

 アニョロは少し苛ついた声になって女を見返した。

「カルデラの地の外へ」

 アニョロはしばし口を閉ざした。アロイジウスと目線を交わす。

「礼はする。軍船に乗せてくれるだけでよい」


 今度はアニョロの方が探るように女を見て質した。

「ルージューでいったい何をした?」

「何も……」 女は静かに答えた。「ただ、ルージューには居たくない」

 そう言うと、今度は真っ直ぐに顔を向けてきた。

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