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風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
暁風
11/63

暁風 3


 呆けたような表情(かお)のアロイジウスを前に、ともすれば喜色満面な表情(かお)になり勝ちの自分を律するのに苦労しつつ、アニタは精一杯に優雅に見える仕草でカーテシー(お辞儀)をしてみせた。2年ぶりの再会となった自分に見惚れてくれている、と思うと、小さな自尊心がくすぐられるのがわかる。

 面を上げたときには、それが少し漏れた。

「どう? 少しは見違えた?」

「…──見違えた……」

 反射的に応え、それが考えようによってはとても失礼な言い様であることに気付いて、アロイジウスは慌てて頭を振った。それから、それをやれば間抜けに見えるのが解っていながら、咳払いをして目線を外す。


 アニタの方は、そんなアロイジウスを可笑しそうに──余裕のある時の女子の常だ…──見遣りつつも、彼の声を聴いたときにようやくドギマギとしたのだった。初めて聴く声変わりを経たアロイジウスの声は、とても好ましく感じられた。


 その時、アロイジウスはアニタの傍らの人影にようやく気付いた。足下に逃がした目線の端に彼女の隣に並ぶ男物のサンダルを認めたのだ。

 目線を上げれば若い男が佇んでいて、目が逢うと進み出てきた。

「ようやくお気付きか…──」

 若干、嘆息気味の声音(トーン)の中に揶揄を含んでいる。年の頃は17歳のアロイジウスよりは明らかに年長で…──優男だった。やはり西方風の長衣を纏っていた。


「……ま、貴殿()アニタ嬢の魅力に()てられたわけで、その意味ではご同類か……。アティリオ・マルティ・アブレウです。お見知り置き願おう」

 だいぶ外連を利かせつつ男は右手を差し出してきた。アロイジウスは、男の視線を真っ直ぐに見返した。反射的に差し出された右手を握り返すようなことはせぬよう躾けられている。

 握手の挨拶を拒まれてアティリオは今度こそ嘆息した。苦笑を浮かべる顔で所在の無くなった右手を仕方なく見遣っている。


 アロイジウスには男の名乗った家名が心の中で〝引っ掛かって〟いた……。


(──マルティ・アブレウ……〝マルティ〟?)


 それが辺境伯を世襲する家のものであることに遅まきながら気付く。西方風に2つある姓のうち母方を表す第2家名が〝アブレウ〟であるのなら第3子…──今回の婚礼の主役、第2子ジョスタンの直ぐ下の異母弟、ということになる。アロイジウスは慌てて居住いを正した。

 あらためて、貴人への敬意を示すため直立不動の姿勢となって口を開いた。

「ロルバッハ砦の独立竜騎、アロイジウスと申します。ご無礼仕りました」

 簡潔な物言いは平常通りであったが、どこかに隣のアニタの目に卑屈に見えぬように、との意識は生じていたかも知れない。


 アティリオ・マルティは涼やかな笑顔で頷くと、あらためて右手を差し出してきた。その時には幾分の軽薄さは表情から消えており、凛々しい眉と澄んだ瞳に浮かぶ知性の閃きを見て取れた。

「…………」

 今度はアロイジウスも右手を握り返した。

(この(ひと)がルージューの〝周到の人〟…──)

 アロイジウスは春の麗らかな陽射しの下のアティリオ・マルティの顔をしげしげと観察した。第3子というがその器量は1歳年上の異母兄ジョスタンを凌ぐという評判が立っている。少なくない者がアティリオこそ次のルージュー辺境伯と目しているという。そういう評判はカルデラに繋がる島嶼諸邦の島々にも聞こえて来る。

 が、アロイジウスの前の若者はいかにも気さくに微笑み、人を威圧するようなところがない。

 その綽名に相応しいと言えば相応しいのだろうが、ルージューという辺境の半独立国を束ねるには迫力のようなものが感じられないのではないか……、とアロイジウスは思った。それにその二つ名に似合わず、どこか〝軽薄な〟ふうでもある。


「──アティリオさま、あまり揶揄わないでやってください。アーロイと私は()弟のようなものですけれど、もう2年も会っておりません。成長した私に驚くのは当然です」

 アニタのその声で、2人は握手を解いた。

 アティリオはアニタとアロイジウスを見比べるように2人の間に視線を往復させ、アロイジウスは困ったような表情で笑った。


「なるほど……」

 アティリオは頷くと、それから──、

「では貴女の魅力の前に、崇拝者の列に加えられたいと願うのは私唯1人、というわけですか」

 舞台に立つ役者さながら派手な身振りを交え、そう言い募って見せた。

 さすがにこれにはアニタも恐縮したふうとなり、

「──…お戯れを……」

 と、小さくなって抗議の声を上げる。その頬がわずかに上気したふうに見える。

「アティリオさまはルージュー一族の御曹司……、カルデラ中の女に想われておいでではないですか」

「貴女はその中に含まれない?」

 するとすかさず、少し傷心したふうを装ってみせてアティリオが言う。そう言われてしまえばアニタはいよいよ言葉を返せなくなって、そっと傍らのアロイジウスを見遣った。そんな2人を明らかに面白がるふうにアティリオは目を細めている。


「…………」

 アロイジウスは、この状況が面白くなかった。理由はわからない。ただ、何だかムカムカしたし、理由は解らなくともアティリオ・マルティの遣り様は気に入らないと思った。それに、そういう彼に馴れ馴れしく話しかけさせるアニタにも腹立たしい思いを抱いた。ともかく、面白くない…──。


 ──と……、

「やめよう……」

 出し抜けに言って、アティリオ・マルティは肩を竦めた。

「これではまるで、私がアニタ嬢を困らせているようだ」

 アティリオは、毒気のない表情になってそう言い、アニタに〝済まなかった〟と優し気に頷いてみせる。

 アニタは、ほっと小さく息を吐いた。

 稀に顔を覗かせるアティリオ・マルティの悪い癖が出たときにはさすがにバツの悪い思いとなったが、兄アニョロから(ことづ)かった〝アティリオとアロイジウスを引き合わせること〟は何とか果たされた。少々〝気拙い空気〟となってはしまったが、それは時間が解決してくれるだろう。アティリオは天邪鬼な態度を取ることがあるが決して悪い人ではない。アロイジウスが彼のことを誤解しなければよいのだけれど……。


「……〝まるで困らせているよう〟ではなく、現に困らせているでしょう」

 そんなアニタの心配はアロイジウスには届かなかったようである。

 アロイジウスはアティリオに険のある目を向けた。

「権力のある男のやることではないと存じます。……下品だ」

 吐き捨てられた厳しい言葉にアティリオの片方の眉がピクリと持ち上がる。

「アーロイ‼」

 遅まきながらアニタが割って入った。〝気拙い空気〟どころでなくルージュー一族の有力者に〝喧嘩を売った〟となれば、いったい何のために引き合わせたのかわからない。これでは兄に叱られる。

 強張った表情(かお)のアニタがアロイジウスを見上げても、アロイジウスは引き下がりそうにない。


 アティリオは片手を上げてアニタを制するとアロイジウスの目を見返した。

「悪趣味であったと? それは申し訳なかった」 慇懃さの中に挑発の響きがあった。「──…で、どうすればいいかな?」

「…………」

 黙って顎を引いたアロイジウスに、アティリオは笑って言った。

「彼女に心より詫びてみせれば──もっとも、既に詫びているのだし、その方が(かえ)って迷惑ということになるだろうが…── それで()殿()()()()晴れるのか?」


 実はアティリオはこのとき、アロイジウスのこういう〝いたいけな正義感〟に好感を覚えていた。カルデラの民であればルージュー一族を憚って自分にこのようなことは言えないであろうし、外からの客人であればやはり一族との関係を考慮する。だが彼はそんなことを一顧だにせず言ってくれた。

 アティリオとて20歳を少し超えたばかりという年齢で、アロイジウスと然程の年齢(とし)の差があるわけではない。が、アロイジウスと違って数々の浮名を流してきたのは事実(たしか)で、ルージューの地に在れば彼の言う通りに〝選り取り見取り〟の身分であることも事実だった。

 知らず、身勝手な振舞いが他人(ひと)を不快にさせていたかも知れない。少なくともアニタを困らせてみたのは甘えからだ…──諫言は耳に痛かった。

(なるほど……。()()として育ったと聞いたが、これは確かにアニタ殿と〝魂の形〟が似ているようだ)


 アニタとの出会いも、このような諫言めいたやり取りだった。

 グリフォン(大鷲獣)の遠乗りで愛獣を飛ばし過ぎ危うく潰しかけてしまったアティリオを、偶然に居合わせた彼女が叱ってくれたことがそれだった。もっとも、アニタという女性に限れば、今日のように事が自分の身に掛かるようなときには〝強く出れずに困惑するだけ〟というのが不思議ではある。

 この若者──アロイジウスもそうであろうか。


 そういう思いが胸に湧いたが、彼の自分への〝最初の印象〟はすこぶる悪いものとなったらしい。

 ならばもう少しばかり〝敵役〟に徹させてもらおうか。でなければ〝恰好がつかない〟ではないか…──。


「弓でよいか?」

 アティリオは訊くというより質すような口ぶりで目の前のアロイジウスに言った。

「2人での射詰(いづめ)ならば貴殿も納得がいくのではないかな?」

 ハッと目線を向けてきたアニタを半ば無視するように、アロイジウスは頷いて返した。

「いいでしょう、受けます」



 2人で行う射詰(いづめ)とは、2人並んで同じ的を交互に狙い先に的を外した者が負け、という勝負の仕方である。グウィディルンの世界の戦士がよくやる遊びであった。

 商館の中庭に場所を移したアロイジウスとアティリオは、木の間にロープを張って固定した的から10パーチ(≒約30メートル)ほどの距離に並んで立った。的の径は1/2キュビット(※1キュビット≒45センチくらい)。竜騎が練習の際に使う一般的なサイズのものである。


 先に射たのはアティリオであった。西方で使われる短弓──丈の短いM字に屈曲したそれ──を無造作に引くと、乾いた音と共に矢は的に突き立った。

 アロイジウスは聖王朝の竜騎の嗜みとされる長弓である。短弓よりも引き絞るのに時間が掛かる。弦の音が鳴り響くとアティリオの矢のすぐ脇に鋭く矢は刺さった。

「強弓だな」

 アティリオはそんなことを言いながら2射目を放つ。やはり無造作な動作に見えたが矢は的を捉えた。アロイジウスは黙って2射目を放ち、やはり命中させた。


 この後2人は、それぞれ5射ずつを的に当てていた。

 それ見ているアニタは気が気でない。2人ともその技量は確かであったが、勝負が長引けば重い長弓を引くアロイジウスに不利であった。何だ()んだで、彼に勝って欲しい気持ちが強い。


「──…なるほど、やるね……」

 7射目を的に当てたアロイジウスに、アティリオが何気ない様子で言い出した。

「このままでは面白みがない。一つ賭けをしないか?」

 直後の8射目も的の中に収まった。しばしの間を置きアロイジウスも8射目を成功させて応えた。

「何を賭けます?」

「我が兄ジョスタンの婚儀の後に祝いの舞踏会が催される。勝った方がそこでアニタ嬢と踊る」

 アニタの頭がバネ仕掛けのようにアロイジウスの方を向いた。

「まだそのようなっ…──」

 アロイジウスの語調が再び熱くなりかけるが、それをアティリオが遮る。

「──いまさらながら生来の驕慢(きょうまん)から逃れられそうにない。〝カルマ()〟というヤツかな」 溜息が一つ。「……が、しかし、貴殿が勝てば問題もなくなる。もっとも勝てれば、だがね」

 溜息の後、口許を歪めてそう言うや9射目を放った。矢は違わずに的に突き立った。


 憮然とアロイジウスはアニタを見た。彼女が小さく首を横に振ったのが癪だった。

「その勝負、受けましょう」

 9射目を的に放り込むと、そう言っていた。

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