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風の舞う地  作者: ハイファンタジーだいすき
暁風
10/63

暁風 2


 それから3時間(ホーラ)ほど後。

 飛空船〈ハウルセク〉はコリピサの砦を右に見ながら、両側を断崖に挟まれた峡谷に辿り着いた。峡谷の先はさらに狭まり、最深部には〝コリピサの堰堤(ダム)〟がその威容を誇っていた。カルデラの外輪山の南の連なりを横切る横谷の標高の低さを補い、上昇する瘴の浸潤から防ぐために築かれた巨大な建造物である。この堰堤を越えれば〝西のカルデラ〟…──ルージュー六邦である。

 〈ハウルセク〉はゆっくりと帆を畳んだ。取り決めにより聖王朝の大船はカルデラ内部には入ることはできない。堰堤に附随して造られた空中桟橋に係留されるのが決まりであった。風読みの報告を受けてポンペオ・タルデリが船尾楼の扉から姿を見せた。船に何時間も揺られたせいでタルデリの体は左右に小さく動いている。酒気を追い出すように息を吐き出すと、堰堤の向こう側に広がるルージューの地にしばし目を留めてから言った。

「迎えの船は?」

「あちらに」

 物見の長が応じた。遠くに大型の飛空艇が3隻、並んで近付いて来るのが見える。


「知っておるか?」

 敢えてアロイジウスを選んで声を掛けることで、ポンペオ・タルデリは自らに随行する幕僚たちに持論を披瀝してみせた。

「ここはかつて西方異民族の蹂躙を幾度となく経験した地。混血も相当に進んでいるというぞ。辺境伯などと名乗ってはいるが、むしろ西の酋長と言った方が的を射ておるのやもしれぬの」

 西方長官のあからさまに侮蔑を込めたその物言いに、ペナーティならずとも居合わせた随員の眉根が寄った。アロイジウスも同様である。

 そんな幕僚たちの表情に気付かぬふうに、ポンペオ・タルデリは続けた。

「──…何れにせよシラクイラ(聖王朝の中心)から遠く、聖王家の威光も元老院の叡智も届かぬ土地。取り決めにより大船を持つことを許されぬ田舎貴族なれば、我が〈ハウルセク〉の威容に恐れをなしていようぞ」


 タルデリは上機嫌であった。聖王朝とルージュー辺境伯領との間の〝取り決め〟のことを言っているのである。

 元老院はルージューの地に辺境伯を置いて治めさせるに際し、大船の所有数を1隻と定め、その建造も許さなかった。唯1隻の大船は全て聖王朝の造船所が造り、聖王家の名で下賜する、と、そう決めたのである。代わりにルージュー側の求めにも応じることとなり、ルージューの地に聖王朝の大船は入れなくなったのだが、当時の元老院はそんな〝取り決め〟などいつでも反故にできると考た。

 時を経て、結果は必ずしも元老院の目論んだ通りとはいかなかったことが明らかとなった。

 表向きルージューの空に浮かぶ大船は1隻きりであったが、その1隻──辺境伯の座乗船〈フラガラッハ〉は西のカルデラの地で造られた飛空船であった。

 国土が次々と瘴に沈むという渦中にあり富の喪失の止まらない聖王朝に、ルージュー側が大船建造の代行を申し出たのである。折からの財政難に苦しむ元老院は軍首脳部の反対を押しきってそれを受けた。無論、1隻だけという制約は順守はさせて……。

 が、1隻建造すればその経験や技術がルージューに残る。中央軍 (シラクイラ軍)の首脳部は天を仰いだがもはや後の祭りであった。ルージューはその意志さえ持てば2隻目3隻目の大船を竣工させるだろう……。その国力ならば既に備えている、というのが実務方の大方の見立てであった。


 しかしながら、()西方長官であるポンペオ・タルデリの見立ては、それとは異なるようである。

 〝辺境の地を厭い、彼の地の民を侮ること甚だし〟…──とは、後の世に伝わるタルデリの評伝である。シラクイラの権門に連なる宮中貴族である彼にとっては、ルージューの地などに微塵の興味も湧きはしなかったのだろうが、西方諸邦を統括する西方長官の要職を務める身としては甚だ不適格な人物と言えた。

 軍令上の上司たるプレシナ大公アルミロ・ダニエトロから期待された任務は、管区内のルージューの実力を(つまび)らかとすることであったのだから。そのために西方長官府をシラクイラ西岸のオーヴィアから新たに元老院直轄地に編入されたアンダイエに移し、アンダイエ伯に任じることまでしたのだ。

 その大任を拝したのがポンペオ・タルデリだったというのは、アルミロ・ダニエトロにとっても名状し難いことだったろう。嗤うしか無かったかも知れない。そしてそれは、西方長官附きの幕僚たちにとっても同様である……。



 そういうポンペオ・タルデリの言葉を聞き流すことにして、アロイジウスは近付いて来た飛空艇へと目を遣った。艇の舳先に掲げられた旗はアンダイエの商館が用いる物であった。

「迎えの船です」

「アニョロ・ヴェルガウソか?」

 ペナーティに質され、アロイジウスは肯いて返した。

 中央を走る飛空艇の上には長衣に胸甲という風変わりな出で立ちの男が佇んでおり、笑顔でこちらを向いて手を振っていた。

(アニョロ・ウィレンテ・ヴェルガウソ〝商館長代理〟、か……)

 アニョロと判ってアロイジウスの表情(かお)が綻んだ。アニョロはアロイジウスが竜騎に叙されたのとほぼ時を同じくして、ルージューに置かれたアンダイエ商館の実質的な責任者に抜擢されていた。

 ヴェルガウソ子爵家は元々タルデリ宮中伯家を補する家柄であり、西方長官となったポンぺオがアンダイエ伯を兼任することとなった際に、ポンぺオから請われる形でルージュー一族との折衝に当たる商館の実質的な長に迎えられていた。腰の重い主人に先んじて、数か月も前にここ西のカルデラの地に赴任している。

 3年前のヴェルガウソ館の中庭で、書物に描かれた西のカルデラの地の情景に憧れを抱いていた青年は現在(いま)アンダイエ伯の祐筆 (私的秘書)となってカルデラに居る。〝知識の間〟に学ぶアニョロの見識を伯が認めたのだ。いまだ竜騎見習いの資格のままではあったが、官吏としての道にポンペオ・タルデリが取り立てた形である。タルデリの選択の中の数少ない奏功例であった。


 横付けした飛空艇に〈ハウルセク〉から板が渡された。

「アーロイ! 元気だったか」

 乗り込んだ自分に手を差し伸べたのがアロイジウスであったのにアニョロは破顔した。

アニタ()が首を長くして待ち侘びている。朝から似合わぬ服を着てソワソワしているぞ」

 アロイジウスは笑顔で応え、船上にアニョロを引き上げてやった。

 船上に上がるとアニョロは一行にあらためて頭を下げた。しばらく会わぬうちに如才なく振舞うことを覚えたらしい。

「お待たせしましたか?」

「いや。むしろ本船のコリピサ到着に合わせたようなタイミング……その見極めに感心した次第です」

 風読みがそう言うと、アニョロは事も無げに応えてみせた。

「2時間(ホーラ)ほど前にコリピサの砦の方に動きがありましたので、飛空艇の準備をさせました。程なくしてルージューの城の方からも使いがありましたが、我が商館の者は彼らほどに手際よく準備できませんから……」

「2時間前には我らの到着を?」

 ペナーティが質すとアニョロは小さく肯いた。やはりペナーティが想像してみせたような、龕灯(がんどう)による伝令網が在るのだろう……。


 アニョロはポンペオ・タルデリの前に出ると深々と一礼した。

「これから商館の方に向かうのか?」

 タルデリがのんびりと質した

「いえ。随行の方々はそうなりますが〝我が殿(アンダイエ伯)〟におかれましてはルージューより仮の館が提供されております」

「仮の館とな?」

「我が殿のご臨席が定まりてから辺境伯の命でピエルジャコモ・コレオーニに用意させた館です。急拵えとは言いながら、中々の館といえます」

「ほう……、わしのために、とな?」

 タルデリは満更でもない表情で周囲の幕僚たちを見遣った。

「我が殿のお世話に女子も20人ばかり。婚礼の後もしばらく館に逗留されたい、との辺境伯からの懇願でございます」

「なるほど、さようか……。せっかくの願いとあらば無下にもできまいな。半月も遊んで戻るとするか」

 女が居ると聞いてタルデリの頬は緩んだ。老齢に関わらずポンペオ・タルデリの色好みは知られている。傍らでペナーティが苦虫を噛み潰したような表情となった。



 それから一行は3隻の飛空艇に分乗しコリピサの空中桟橋を離れた。

 ポンペオ・タルデリの乗った飛空艇は、用意された仮の館へ向かうためカルデラの地に入った。ルージューのグリフォンが2頭、先導に付く。アニョロ、ペナーティ他、数名の文武の随員が同乗した。

 一方、残り2隻の飛空艇は、西方長官の供廻りの兵士と残りの随員を乗せ、カルデラ外輪の峰々の外側を回って、アンダイエ商館の在所する東の港街──ルージューの〝表玄関〟──カプレントへと向かった。


 アロイジウスも商館へと向かう兵士と共にカルデラの外を巡り、飛空艇の快速を以ってして1時間(ホーラ)半の時間を経た後に、商館の船着き場に降り立った。アンダイエの商館は、この界隈でも一際に威勢を誇っているピエルジャコモ・コレオーニ商館の広大な区画に並ぶように、カプレントの港口の側に建っていた。

「アーロイ!」

 石造りの船着き場に立ち背後の峡谷の先の見ていた手持ち無沙汰のアロイジウスは、聞き覚えのあるその黄色い声に振り見遣った。


「…………」

 思わず息を呑んでしまった。

 アニョロの妹、ヴェルガウソ家のアニタがそこに立っている。

 記憶にある顔──つい数年前まで毎日突き合わせていた顔だ…──よりも幾分大人びた表情となっていたが、愛らしさは損なわれていない。

 相変わらず陽に(さら)された髪は赤味を帯びた金色の風合いであったが、さすがにそのすらりと長い脚がトゥニカ(短衣)から覗くような出で立ちではなかった。細身ながら女としては長身の身体つきの彼女は、西方風の長衣を纏っている。

 そう言えばアニョロが〝似合わぬ服を着て〟などと言っていたような…──。

 それはとんでもないことで、長身で手足の長い彼女には白を基調とした襞のないシンプルな長衣はよく似合っている、と思うアロイジウスだった。


 目が逢うとアニタは、()()向日葵の笑顔になり、それから、

「──…?」

 相変らず言葉の出てこないアロイジウスに怪訝な表情(かお)になって小首を傾げた。

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