第五話 掃除屋は夢に花をみる
ティリエル王国には貴族院と民政院がある。
それぞれ上院と下院が存在し、上院には施策立法に関する権限が。下院にはその審議権が。
ほかにも諸々決まりはあるものの、ざっくり言えば、それら二院から提出された施策・予算案への最終決定権を国王が握る。
よって、玉座とは厳しく孤独なものとされた。
孤高の位にあって、王は常に正しい道を選ばねばならない。その重圧と責任を、生涯まっとうせねばならないのだから。
◇◇◇
「――だからね? 私は兄上に感謝しているんです。よく『影に日向に』と言いますが、兄上はいつだって影から全振りに支えてくれているじゃないですか」
「おー、どうした。飲みすぎたか? 踊りすぎたか」
「レオニアと踊りすぎ? あり得ないです」
「あぁそう……」
良かったな、と、ぬるい笑みを浮かべたラルクは装飾たっぷりのマントを外し、ジャケットを脱いだ。私室のソファーに無造作に投げかけ、どかりと座る。
王族が最後まで夜会に参加することはない。むしろ、場があたたまった頃合いで中座する。
いくら無礼講といえど、国で最も尊崇を集める国王とその家族がいては、貴族たちが寛ぎきれないからだ。また、多くは本音もこぼさない。
本音――それは、たとえば国政への不満であるとか。
じっさい、ラルクは早い段階でホールを辞した。レオニアにローザリッテを託してからはすぐのこと。
それ以降は隠遁の魔法を駆使し、柱の影や夜の暗がりから人びとの様子を窺った。いまも宴は続いている。遠く、音楽が聴こえる。
断りなく対面の席に掛けた弟王に、ラルクはむつりと眉をひそめた。
「それより。どういうつもりだ。彼女は」
「いやあ、良かった良かった。仲良くなれたんですね」
「バカか。どこに目をつけ………………っ、じゃなくて!! 見てたのか!? いつから!」
「え、ふつうに。踊っていたでしょう? 彼女がずっと笑顔だったので、良かったなぁと」
「俺の顔は見ていなかったのか」
ソファーに埋もれ、げんなりと問えば「兄上はいつもあんな顔でいらっしゃる」と、爽やかに切り返される。
しみじみと頷くセインからは、およそ悪意の欠片も感じられなかった。どうやら本気で邪魔をしてはいけないと思われていたらしい。
ラルクは、今日何度目かのため息をついた。
「……一方的に求婚された。昨夜の釣書は彼女か? ずいぶんと特殊な国出身のようだが。『東の国』とはどこだ。教えてくれ」
「ほうら、燃やさなきゃ良かったのに。後悔しているでしょう?」
「いいから教えろ!」
セインは兄の苦み走った声にひとしきり溜飲を下したあと、ちょっとだけ申し訳なさそうに眉を下げた。
「う〜ん、すみません。彼女の名と一緒ですよ。制約があるんです。国名は教えて差し上げられません。兄上であっても」
「俺の知る国か? まさか、地図上にないとでも?」
「さあ、どうでしょう」
完全に煙に巻く姿勢のセインに、ラルクは知らぬうちに前のめりになっていた。――ハッと気づく。
(制約……名前と同じ。ということは)
「本人に直接聞くか、自分で気づけと?」
「そうですねえ」
「……お前、最近意地が悪くなったと言われないか」
「まさか。そんなことを仰るのは兄上くらいです」
「よく言う」
舌打ちし、がりがりと頭を掻けば、夜会のために整えていたくすんだ灰銀髪が垂れて視界を塞ぐ。
ラルクは鬱陶しげにそれらをかき上げた。
「…………俺は、結婚は、しないからな」
「いまは、それで結構ですよ。兄上」
一言一句、互いに区切っての応酬。
どこか勝ち誇ったような、それでいて慈愛に満ちたまなざしのセインに、ラルクの口の端が下がる。
ラルクは腹いせに立ち上がり、弟の側まで歩むと慇懃に一礼した。声まで丁寧に作り込んでやる。
「陛下。もう夜も遅うございます。楽の音も途絶えましたゆえ、お送りしましょう。それともこちらで休まれますか」
「!? うわっ、やめて!? 兄上から式典以外でそんな扱いとか、鳥肌しか立たないんで!!!」
「あっはははは」
弾けるように笑ったラルクに、セインは一瞬、きょとんとしてから苦笑する。
結局、おとなしく扉の前で控えていた兵士にセインを託し、ラルクはぱぱっと部屋着に替えて寝台へ。
横たわってから契約精霊のシェイドを呼んだが、いつまで経っても返事がない。思わず閉じていた瞼をひらく。
二度目を呼んだ。
「シェイド……?」
声は虚空に吸い込まれ、まるで応える気配がない。こんなことは初めてだった。
――――が、まあいいか、と。
どうせ、今夜は仕事の予定はなかった。仮にも闇の精霊。自由に月夜を闊歩したいときもあるだろう。
強引に言い聞かせたそばから眠気が押し寄せる。
ラルクはうとうとと目を閉じた。意識は水に沈む速さで落ちてゆく。
そうして、ちらちらと何かが浮かんだ。
(花……か? これは。どこか……嗅いだ香りが)
夢のなか。
なぜか今日会ったばかりの少女の面影が胸によぎった。