第四話 掃除屋は外堀を埋められる
「わたくし、国を追いやられましたの」
「はあ」
まるで、いたずらを怒られましたの、と言わんばかりの軽さで少女は言いのけた。
確認したところ、少女の名はローザリッテ・アルミス。遥か東の小国にある、王家ゆかりの令嬢だという。
傍系のためか家名に心当たりはなく、国名を訊いてもはぐらかされる。
――追われたということは、亡命か。
ラルクは彼女と面識がない。まさかおとぎ話の妖精の名を口走っただけとも言えず、つい、口をつぐむ。
(必要ならシェイドに調べさせることもできるが……、まぁいい。セインがわざわざレオニア嬢に後見を頼んだんだ。俺が一々口出しすることでもない)
にこにこと目の前に座る絶世の美少女をどう扱えば良いのか。ラルクは途方に暮れ、遥か向こうでポートメアリ公爵と談笑する弟に視線を送った。
――……『約束』『妻になります』とは。
いや、もう、本っっ当に心当たりがなさすぎて、平静を装いつつ、内心冷や汗をかいている。
あれから強制的にホールに連れ戻され、なし崩しに一曲踊ったわけだが、同じ令嬢と立て続けに二曲踊っては「求婚の意志あり」と見なされる。
それで、苦し紛れに彼女を王家の席までエスコートしたのだが、頼みの綱の国王陛下は婚約者殿の披露のため、早速あちこちを渡り歩いていた。
唯一の腹心でもある大精霊のシェイドは、基本的に公の場に姿を現さない。ラルクの私室や夜の庭ならいざ知らず、ここまで煌びやかな社交の場は。
「くそ。俺だって逃げたい……」
「何か仰いまして? ラルク様」
「いいえ」
せめて、できるだけ早く彼女を後見人に託すため、ラルクは席を立った。
「ローザリッテ嬢。喉は渇きませんか? よろしければ飲み物を取ってこよう」
◇◇◇
王兄殿下に給仕の真似事をさせては、と、控えの侍従は目を白黒させたが、いちど認識阻害魔法が解けた席でのんびりもできない。というか、ひとの目がありすぎて落ち着かない。
いっぽう、ローザリッテは当然のようについて来た。気を利かせた侍女が銀盆にワインと林檎酒の杯を捧げ持って来たので、周囲の貴族をあしらいながら立ち話となる。
目当ての国王とその婚約者が談笑している位置までは、約十歩。
なら、ここで様子を――
そんなとき、話しかけてくる女性たちがいた。
「ごきげんよう、ラルク殿下。お久しぶりにございます」
「殿下におかれましては、なかなかお姿を拝見できず……」
「失礼ですが、そちらのかたは?」
本当に失礼だな、と思いつつ、ラルクは記憶と三名の令嬢を照らし合わせた。
いちばん初めに挨拶をしてきた真ん中の金髪がヘデラ侯爵令嬢アイビー。向かって左が伯爵令嬢リリアン。向かって右は――名前を忘れた。たぶん男爵令嬢だ。
おそらくは真ん中が三者のトップ。左右のふたりが取り巻きだろう。ある意味とてもわかりやすい。
(アイビー嬢は長女で婚約者がいない……となると、王家から婿をとるチャンスと切り替えたヘデラ侯爵に焚き付けられたか。気の毒に)
ラルクはちらりと傍らのローザリッテを流し見た。
はたして、正直に紹介して良いものか。
心配をよそに、ローザリッテは光を振りまくような笑顔で応えた。
「初めまして、皆々様。わたくしは東のアルミス家に連なる者。事情があって名は伏せております」
「東……アルミス家? ええと、どちらの国かしら」
「内緒ですわ」
「なるほど、お忍びなのね。では、アルミスさんとお呼びしても?」
「結構ですわ」
鷹揚に構えるローザリッテを、どうやら相当田舎の下級貴族と判断したらしい。アイビーはくすくすと笑い、ラルクの腕に両腕を絡めた。
「ねぇ殿下、いつぞやは『踊れない』と仰ったくせに。嘘でしたのね? 先ほどはレオニア様やアルミスさんと踊っていらっしゃいましたわ。ぜひ私とも踊ってくださいませ」
「え。いや……」
ラルクは思わず言葉に詰まった。二年前、セインが国王になったときの夜会で誰もダンスに誘わなかった弊害が、いま生じるとは。
そこへ柔らかな声が割って入る。
「――アイビー様。いささか、はしたなくてよ」
「! レオニア様」
口元を扇で隠したレオニアは、つ、と近寄り、ローザリッテの側に立った。
「お聞きではない? 彼女はわたくしの大切なお客人……。陛下からどうしてもと伺い、我が家にてお預かりしたのです」
「!! へ、陛下から?」
みるみるうちに青ざめたアイビーが、そうっとラルクの腕を離す。挨拶もそこそこに取り巻きを連れて去って行った。
――そうか、そう言えば追い払えたんだな……と、妙に納得したラルクがレオニアに向き直る。
「やあ、助かったよ」
「もう。やきもきいたしました。こんなときに我が家の名を出してくださらなければ、困りますわ」
「肝に銘じるよ。それで? ローザリッテ嬢を引き取ってもらえるのかな。俺はもう下がるから」
「!!! え……殿下。いま、なんて」
「…………もう下がる?」
「ではなくて! ひょっとして、お名前を教えていただいたのですか」
信じられないように目を丸くしたレオニアに、なぜか傍らのローザリッテが頬を赤らめる。
「いいえ、いいえ、レオニア様。ラルク様は、みずから思い出してくださったのです。お庭で」
「まあ……素敵。おふたりは既知でしたのね」
「はい!」
「おいおいおい、ふたりとも。俺にもわかるように話してくれ」
なぜか意気投合し始めたレオニアとローザリッテに、ラルクが額を押さえる。
そういえば、庭でシェイドに『不用意に呼ぶな』と嗜められたような……?
こほん、とレオニアが咳払いする。
曰く、彼女の国には独特の風習があり、他国で伴侶を探す場合は名を秘めること。伴侶にのみ名前を呼ぶことを許すこと。
不覚にも、それを聞いてラルクは顎を落とした。
「冗談だろう」
「それがね、本気なのですって。――ねえ、我が家ではせめてローザ様、とお呼びしてもいいかしら。ご紹介するときに不便ですもの」
「ええ」
はにかみながらもうれしそうに、ローザリッテは頷いた。