第二話 掃除屋は光が苦手
ラルク・ウィル・ティラーゼの朝は遅い。
血筋は前王の長子。現在の立場は王兄。きょうだいはふたりきり。
ともなれば、何か要職を任されそうなものだが。
「ああ〜……寝た……」
「おはようマスター。ゆうべはお楽しみでしたね」
「お前、うっさいよ、シェイド。楽しんでなんかない。あれは仕事。しー、ごー、と」
「……ネサドラ侯爵子飼いの子爵家当主を、念入りに恐喝するのが?」
人間の小姓姿に扮したシェイドが不思議そうに首を傾げる。すたすたと歩き、昼過ぎのけだるげな空気を逃がすように窓を開けた。カーテンも全開だ。
ラルクは、うっ、と声をもらして目を瞑った。
「まぶしい……ええと、やさしいもんだろ。殺さず生かさずにしたほうがいいんだ。ああいう小悪党は」
「『いちいち狩っていたら、この国から貴族がいなくなる』だっけ。時代が変わってもマスターたちって大変なんだねぇ」
「放っとけ」
けらけらと笑う少年に、ラルクは毒づく。
――本当に、昼のシェイドはふつうの少年にしか見えない。まじまじと見つめる。
夜とは打って変わり、丁寧に梳られた黒髪。茶色に擬態した瞳。どうやってか、異質なほどの存在感も鳴りを潜めている。美形なのは注視しなければわからないほどだ。
そうして思い出す。
昨夜の調査と仕込みは、掃除と言えないほど他愛のない遊戯だったと。
ネサドラ侯爵はティリエル王国の重鎮のひとり。が、侯爵家からは何代も王妃を据えかねており、王の縁戚として華やぐ他家をやっかむ傾向にあった。
(もとは武官の家系だからなぁ、余計にか)
起源は王国黎明期。重要な戦を勝利に導いて叙爵。
以来、押しも押されぬ南方の大貴族となったが、戦のない太平の世では栄えづらかったらしい。
それを慮った傘下の子爵家が独自で動き、自領で未婚女性を見繕っていた。ひそかに教育し、王妃はむりであろうと、側室候補の養女としてネサドラ家に差し出すためだ。
ネサドラ家は代々、なぜか男系だった。極端に女児が産まれづらい家系なのだろう。
……若き国王セインは、婚約者を長く秘匿していた。
本日、春の女神月四日。
そもそも今夜の王宮夜会はセインの誕生を祝う会と周知されていた。ただそれだけだと、ラルクですら認識していた。
ゆえに、対策も後手になったわけで。謀がうごめく隙が生じたのだと解析する。
上半身を起こし、くぁ、と欠伸をひとつ。
ラルクは声を低めてぼやいた。
「あの子爵家に集められた女性たちは、明らかに意に反して連れてこられていた。野心があり過ぎても困るが、あれくらいなら釘を刺すだけでいい。――もういい、起きる」
おとなしく寝台から降りて身支度を始める王兄殿下に、契約で縛られた大精霊は恭しく一礼する。今度は完全に小姓モードだった。
「お食事はこちらに?」
「ああ。頼む」
「畏まりました」
にこやかに去るシェイドを胡乱げに見やり、ラルクは窓辺で肘をついた。
夜会は夕暮れのあと。
――――公には今日も【職なし血統スペア王兄】として、終始「壁の花」ならぬ「壁」そのものに。あるいは、見る者のない「置物」に徹するつもりだった。
それが。
「どうして、こうなるんだ……?」
夜会の始まりはいつも通りだった。
高らかな喇叭のファンファーレののち、集まった諸侯貴族らの海を割り、我らが国王陛下が入場する。
いつもと違ったのは、晴れ晴れとしたセインの傍らに美しく着飾った令嬢――ポートメアリ公爵令嬢レオニアの姿があったことくらい。
王の隣で初々しく頬を染める彼女を、いずれ妃となる女性である、とセインみずから宣言したときは、ホールじゅうが歓喜と驚きに満ちあふれた。
音楽がかき消されるほどの拍手と祝辞。どこからかはご丁寧に花吹雪。ラルクもこっそり手を打ち鳴らしていた。
もちろん、控えめにだ。
闇の大精霊の加護と、己の魔力を全振りして乾杯前から一献はじめていた。上座にしつらえられた王家の席の端っこである。認識阻害魔法様々だ。
しかし、無情にも変化は突然訪れる。
安寧の比喩的暗がりだった席に一条の光がさす。
光。
それすらも比喩表現だが、ラルクにはそう感じられた。居並ぶ参列者らの視線がまぶしい。
誇らしく顔を輝かせた国王陛下が、おもむろに挙げた手をラルクに向けたのだ。
これには、人びとも黙り、音楽が消えた。
国王セインは高らかに声をあげた。
「ひいては! 今宵は私の、これまでの最愛だった兄の良縁を募るものとする! 皆、おおいに美酒とダンス、語らいにオードブルを楽しんでくれ」
(えっ……ええっ!!?)
戸惑いを隠せず、表面上はこゆるぎもせずに立ち上がったまま、ぴたりと笑顔で動作を止めるラルク。
聴衆と化していた貴族たちは、どよめき、多少の失言もこぼしつつ、それでも拍手をもって是としていた。