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【2:動揺と回想──未来視がもたらす恐怖】

 水晶が放っていたかすかな光が消え、冷たく沈黙した書斎。数瞬前まで漂っていた不思議な波動の気配は消え去り、夜明け時の静寂だけが部屋を支配していた。


 エリーゼ・ハウフマンは椅子に座ったまま、心臓の鼓動が収まるのをただ待つしかなかった。息を吐くたびに肩が上下し、まるで深い悪夢から抜け出せずにいるような虚脱感にとらわれていた。


「……嘘、よね……? 私が……フィリップ殿下に……」


 苦しげな声が、書斎の壁にわずかに反響する。自分が処刑される未来など、あまりにも荒唐無稽で信じがたい──しかし、自分の占いが高い精度で本物の“出来事”を告げてきたのも事実だ。


 机にうずくまりかけながら、エリーゼは震える指先で床に落ちたカードを拾い集めた。占星術のカードには、それぞれ星や太陽、月のモチーフが描かれている。


 本来ならば占いの際の補助として使用するカードだが、今はまるでその図柄すらも冷ややかな視線で彼女を見返しているように思えてならない。


「悪役令嬢……。何かの間違いじゃないの……?」


 かすれた声で呟き、カードをそっと重ね合わせる。ところがどうしても胸の痛みが収まらない。自分が悪役として王子を怒らせ、最後には殺されるだなんて。まるで戯れ言のようだが、視えてしまった映像は残酷なくらい鮮明だった。


 ひとまず占い道具を脇へやると、机の端に小さく額を押し当て、喘ぐように息を吐く。いつもは安らぎを与えてくれる書斎が、今夜に限っては冷たく張り詰めた空気を孕み、彼女の心を追い詰める牢獄のように思える。


 エリーゼは視界の端で揺れる明かりを見つめながら、自分が知っている“フィリップ王子”という存在を思い返してみた。



                ◆



 侯爵家の令嬢であるエリーゼは、幼い頃から貴族たちの噂話が絶えない社交界の様相を何度も見聞きしてきた。華やかな舞踏会、優雅な晩餐会、そして王宮に渦巻く継承争いと派閥抗争。


 その中で常に話題の中心にいたのが、“冷酷王子”の二つ名をもつフィリップ殿下である。


 若くして王位継承権を手にしているが、他の王族との折り合いが悪く、誰に対しても冷たい態度を貫いている。


 彼が幼少期に母を亡くしてからは、ますます人を寄せ付けなくなった、とか。


 継承権をめぐる暗い噂が後を絶たず、一部では「実力行使も辞さない」「脅しや裏工作で政敵を黙らせている」などという恐ろしい話も聞こえてくる。


 とはいえ、エリーゼ自身は直接彼と深く関わる機会を持ったことがない。


 同じ王都にいながらも、貴族の集まりではせいぜい遠巻きにする程度で、フィリップは淡々と視線を流し、エリーゼを含む多くの令嬢を遠ざけているように見えた。


 だからこそ、“冷酷王子”という印象が強く焼き付いており、その雰囲気を感じるだけで圧倒されるのだ。


 しかし、それがなぜ“エリーゼを処刑する”という未来に繋がるのか。


 エリーゼはそこがまるで理解できない。


「私は、王室に逆らったりするような人間じゃないわ……。噂ですら悪役令嬢なんて呼ばれたことはない」


 呟きかけた声が途中で震えて止まった。


 “悪役令嬢”という不名誉な呼び名は、貴族の間では陰口として使われている。確かにエリーゼは、美しく淑やかな風貌を持ちながら、どこか近寄りがたい雰囲気を放っていて、あまり人付き合いの多いほうではない。そんな些細な印象が「高慢な令嬢」「嫉妬深い侯爵令嬢」と囁かれているのは自覚している。もしかしたら、自分を“悪役令嬢”と呼んでいるひともいるかもしれない。


 だが、ただの噂が“王子に殺される”へ直結するなんて、いったい誰が想像できよう。


 エリーゼは乱れた呼吸のまま、ふと震え声で笑みを漏らしそうになる。馬鹿馬鹿しい、と頭では否定しても、心の底では占いの精度が高いことを彼女自身が一番知っているため、全く笑い話にならないのだ。


「もし、この未来視が当たるなら……私、どうしたらいいの……?」


 瞳の奥に涙がにじむ。泣きそうな気持ちをこらえて、彼女は再度クリスタルに指先をそっと触れた。だがもう何の反応も示さない。


 “占いで視た未来”は絶対ではないとされる。



 しかし、高い確率で起こる可能性を秘めている。だからこそ、エリーゼはこれまでも小さな不幸や事故の予兆を占いで察知し、家族や周囲を危険から救ってきた。


 今回もそうであると信じたい。処刑なんて絶対に回避してみせると。


 とはいえ、対象は王家の直系。その冷酷王子を敵に回してしまうような行動を、エリーゼが今後取るのだろうか。もしくは彼女を陥れようとする第三者の陰謀があるのかもしれない。


「悪役令嬢……。そんな役目、私は欲しくなんかないわ」


 エリーゼは机に伏しながら、押し寄せる恐怖をやり過ごすように目を閉じる。


 外は夜明け。少なくとも一睡もしないまま朝を迎えることになりそうだ。もう、眠れる気がしない。


 ──だが、ここで怯えているだけでは埒が明かない。何も始まらない。


「変えなくちゃ……」


 胸の奥から、確固たる意志が生まれるのを感じる。どんな道を辿れば処刑の未来が回避できるのかは分からないが、じっと待っていては話にならない。


 占いから得られる断片的なヒントだけではなく、自分で王宮へ足を踏み入れ、あるいは“冷酷王子”と呼ばれるフィリップと対峙して、運命を変えてみせる。


 考えるだけで怖気が立つ。想像するだけで手が震える。それでも、やるしかないのだ。彼女の命が懸かっているのだから。


「こわい……けど、やるしかない……」


 エリーゼは心中で何度もそれを繰り返し、身体の震えを必死に抑えようとする。


 やがて、半分朝日が差し始めた窓の外を眺めていると、ふと扉の向こうから物音がし、微かな呼び声が聞こえた。


「お、お嬢様……? こんな時間に書斎でどうなさったんですか?」


 どうやら侍女が心配して様子を見に来たらしい。ノックの音が控えめにトントンと鳴る。


 エリーゼは姿勢を整えながら、机の上のカードを慌てて片付けて隅へ寄せる。


「ええ、ちょっと研究が長引いただけ……今開けるわ」


 震える声をできるだけ抑えて応じると、扉をそっと開いた。



                   ◆



「研究……ですか? 夜通し起きていらしたようですが、大丈夫ですか?」


 侍女が部屋の中へ入ってくると、エリーゼの青白い顔を見てぎょっと息を呑む。


「い、いえ、本当に平気よ。少し夜更かししちゃっただけで……」


 そう言いながら、エリーゼはぎこちなく微笑む。だが、その表情は苦しげであまりにも痛々しい。


 侍女はそれ以上深くは突っ込まず、慣れた手つきで毛繕いをしたり、水を用意したりしながらエリーゼを気遣う。


「無理をなさらないでくださいね。お嬢様は色白ですから、少し血の気が失せただけでも分かりやすいんですよ……? なにか、恐ろしいものでも視てしまったのでは?」


 さすがに占いのことを知っている侍女だけに、勘が鋭い。エリーゼは一瞬言葉に詰まるが、まだ言えない。自分が“王子に処刑される運命”を見たなんて。


「ほんの些細なイメージが見えただけよ。でも、大丈夫だから……。ありがとう」


 その場しのぎに微笑んでいると、侍女は「それならよろしいのですが」と納得しきれていないような目を向ける。


 だが、エリーゼがこれ以上何も言わないと察して、それ以上は追及せずに「朝食の支度ができていますよ。お嬢様も少し口にされたほうがいいかと」と控えめに提案する。


 エリーゼは「そうね……そうしましょう」と頷いた。


 書斎から出る際に、ほんの束の間エリーゼは振り返って机の上の水晶を見た。


 自分を不安の底へ突き落とした元凶とも言えるこの水晶──しかし、運命を変えるのに不可欠な力を与えてくれる存在でもある。


「運命は、きっと変えられる……はず」


 小さく心の中でつぶやき、歩き出す。扉を閉じるその手はまだ少し震えていたが、目には僅かな光がともっていた。


 こうしてエリーゼは、深夜の占いによって未来の断片を視てしまい、恐怖と混乱に苛まれながらも、運命を変える決意を固めるに至る。


 ひとまずは日常の朝を迎え、家族との朝食や日常業務に戻るが、彼女の心中はもう以前とは違っていた。


 ──フィリップ王子に殺される可能性がある、という災厄。信じたくはないが、無視もできない。それに、不確かではあるものの“何かもっと大きな陰謀や事件”に巻き込まれるのかもしれないという、予感もあった。


 夜明けの淡い光のなか、彼女は歯を食いしばり、「自分が動かなければ未来は変わらない」としきりに自分へ言い聞かせた。


 一方、王宮では同じ頃、冷酷と呼ばれる王子・フィリップが不吉な予知夢から目を覚まし、同様の不安に苛まれているとは、エリーゼはまだ知る由もない。


 だが二人の想いは、このときからすでに小さく重なり始めていたのかもしれない。


 果たしてこのまま、エリーゼの身にはどんな運命が降りかかるのか。フィリップとの出会いが、彼女を救うのか、それとも破滅へ導くのか。


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